昭和28年(1953)※1広島県 比婆郡 八鉾村 油木の一部 (三井野原)※2※3は島根県 仁多郡 八川村に、島根県 那賀郡 波佐村 波佐の一部 (滝平)※3は広島県 山県郡 八幡村に編入された。
三井野原は、島根県の事業として開拓された原野のうち広島県にかかる部分にあたる。日常生活を島根県 八川村に依存する住民は同村への編入を希望していた。一方、滝平は広島県側の住民が草苅場 (秣場・茅場など) と利用していたほか、開拓を希望していたため、双方を交換することによって県境の変更が実現した。なお「島根県総合振興計画」(1961) によると「三井野の一部」は 1.39km²、「滝平の一部」は 3.24km² となっているが、後者は誤りと思われる。
変更された県境のうち、三井野原は備後・出雲の国界、滝平は石見・安芸の国界にあたる。しかし経緯は上記のとおりであって、古代・中世はもちろんのこと近世にも遡らないし、交換された土地も原野・草苅場に過ぎない。
❉1: | 昭和28年12月1日付。 |
❉2: | 史料によっては「三井野」。同時期に開設された国鉄 (現JR) 木次線の駅名やスキー場などの施設は「三井野原」で統一されているが、地理院地図で確認できる小字は「三井野」。 |
❉3: | 厳密にはさらにこの一部。 |