明治12年(1879) 遠江国 榛原郡のうち大井川左岸 (北東岸) の各村 (近世 源助村・上泉村・善左衛門新田村・相川村・上新田村・下江富村・西島村・宗高村・上小杉村・下小杉村・藤守村・中島村・吉永村・吉永利右衛門分・高新田・御請新田・飯淵村・飯淵新田村) は駿河国 志太郡に編入され、遠江・駿河の国界は南西に移動した。明治12年(1879) 2月27日付の静岡令甲第30号※1による。
かつて大井川は変動前の国界を本流としていたが、近世はじめには現在に近い流路が本流となっていたとされる※2。このため遠江国から駿河国へ移された部分は、そもそも志太郡と地続きに近い状態になっていた一方、榛原郡のほかの各村とは大井川本流によって隔てられていた。なお、変動部分は新たに志太郡になったことから「新志太」と呼ばれた※3。
明治19年(1886) の公文式制定以前のため、静岡令甲第30号の根拠となる国からの布達がどのようなものだったのかははっきりしない。陸軍省の通達には「源助村以東大井川中央ヲ以駿河遠江之(ノ)國界ト被定候旨昨明治十二年二月太政官ヨリ靜岡縣へ御達相成候就テハ」とあり、太政官からのものであることが示唆される。
❉1: | 「現行 静岡縣令達類纂」(1899)・「大井川町史 下巻」(1992)。原文「管下遠江國榛原郡源助村上泉村相川村西島村中島村飯淵村吉永村上新田村下江留村宗高村上小杉村下小杉村藤守村ヲ駿河國志太郡ヘ組替右源助村以東大井川中央ヲ以テ駿河遠江ノ國界ト改定候旨達有之候條此旨布達候事」。 |
❉2: | 大井川町史 中巻(1991)・島田市史 上巻(1978)。 |
❉3: | 大井川町史 上巻(1984)・下巻(1992)。 |
近世 遠江国 榛原郡
■6. | 源助村※1。 |
■7. | 上泉村※2。 |
■8. | 善左衛門新田村。 |
■9. | 相川村※3。 |
■10. | 上新田村。 |
■11. | 下江富村※3※4。 |
■12. | 西島村※5。 |
■13. | 宗高村※6。 |
■14. | 上小杉村※7。 |
■15. | 下小杉村※7。 |
■16. | 藤守村※3。 |
■17. | 中島村。 |
■18. | 吉永村※8。 |
■19. | 吉永利右衛門分※9。 |
■20. | 高新田※10。 |
■21. | 御請新田。 |
■22. | 飯淵村※11。 |
■23. | 飯淵新田村。 |
近世 駿河国 志太郡
■1. | 田尻北村。 |
■2. | 北新田村※12。 |
■3. | 下小田村。 |
■4. | 石津村※13。 |
■5. | 与惣次村※14。 |
■6. | 道原村。 |
■7. | 田尻村※15。 |
■8. | 一色村。 |
■9. | 惣右衛門村※16。 |
■10. | 上小田村。 |
■11. | 三郎兵衛新田。 |
■12. | 中根新田。 |
■13. | 祢宜島村。 |
■18. | 大住新田。 |
■19. | 三右衛門新田※17。 |
■20. | 中根村。 |
■21. | 本中根村※18。 |
■22. | 大島村。 |
■23. | 大島新田。 |
■24. | 中新田村。 |
■25. | 与左衛門新田。 |
■26. | 兵太夫新田。 |
■27. | 土瑞村。 |
■28. | 弥左衛門新田。 |
■29. | 忠兵衛新田。 |
■30. | 五平村。 |
■31. | 御請新田。 |
■71. | 細島村※19。 |
■102. | 久兵衛市右衛門請新田。 |
■126. | 治兵衛・長次右衛門 請所新田※20。 |
❉1: | [新田・分村] 天保郷帳では「古者源助新田村」と付記される。 |
❉2: | [中世〜織豊期] 建武3年(1336):「遠江國初倉庄內鮎河鄕、江富鄕 (付上泉村)、吉永鄕、藤守鄕」(秋元興朝所蔵文書、大日本史料 第6編之3,1903)、至徳元年(1384): 「江富鄕上泉村世戶嶋國境」(沙彌法種・左京亮助秀連署打渡状、南禅寺文書 上巻,1972)、ほか。 |
❉3: | [中世〜織豊期] 建武元年(1334): 「當寺領遠江國初倉庄內大井河以東、鮎河鄕・江富鄕・吉永鄕・藤守鄕等」(當寺 = 南禪寺、後醍醐天皇綸旨、南禅寺文書 上巻,1972)、ほか。 |
❉4: | 対応する近代の大字は「下江留」。 |
❉5: | [中世〜織豊期] 明徳3年(推定,1392): 「遠州初倉庄內西嶋鄕」(遠江守護今川仲秋寺領寄進状、南禅寺文書 上巻,1972)、ほか。 |
❉6: | [中世〜織豊期] 嘉吉3年(1443): 「南禅寺御領初倉庄江富郷」の「宗高」(遠江国初倉庄江富郷検地目録、南禅寺文書 上巻,1972)。 |
❉7: | [中世〜織豊期] 観応2年(1351): 「同国小椙郷」(同=遠江、足利尊氏御判御教書、袋井市史 史料編1 古代中世,1981)、天正2年(1574): 「遠州榛原郡小杉郷」(小浜景隆判物、静岡県榛原町史 上巻,1985)、ほか。 |
❉8: | [中世〜織豊期] 相川村などと共通する史料のほか、永禄12年(1569): 「遠州」の「吉長」(徳川家康判物写、袋井市史 史料編1 古代中世,1981) など。 |
❉9: | 寛永16年(1639) 吉永村から分村 (静岡県志太郡誌,1916/1986)。 |
❉10: | 天保郷帳では「古者吉永高新田村」と付記される。 |
❉11: | [中世〜織豊期] 永正17年(1520):「遠江国榛原郡羽淵」(松井山城守宛判物、静岡市史 中世近世史料2,1981)、永禄12年(1569):「同国飯淵長徳寺」(同=遠州、臨済寺領書立、掛川市史 資料編 古代・中世, 2000)。 |
❉12: | [新田・分村] 寛文4年(1664)「宗高新田」から改称。 |
❉13: | [中世〜織豊期] 天文18年(1549): 「石津」(今川義元朱印状、本川根町史 資料編1 古代中世,1998)、ほか。 |
❉14: | [新田・分村] 寛永年間(1624〜1644) の末までは石津村の新田 (静岡県志太郡誌,1916/1986)。 |
❉15: | [中世〜織豊期] 観応2年(1351): 「駿河國田尻鄕南村河原一色」(天龍寺文書、大日本史料 第6編之15,1917)、ほか。 |
❉16: | [新田・分村] 寛文7年(1667) 一色村新田から改称 (静岡県志太郡誌,1916/1986)。 |
❉17: | 天保郷帳・国絵図では「大住村枝郷」と付記される。 |
❉18: | [中世〜織豊期] 貞和4年(1348): 「駿河国中根郷」(駿河の今川氏 第4集,1979)、ほか。 |
❉19: | [新田・分村] 寛永年間(1624〜1644) のころは青島村の一部 (駿河記 上巻,1932/1974))。 |
❉20: | [新田・分村] 天保国絵図では「治兵衛・長次右衛門 請新田」、どちらも人名は併記される。 |