11.14. 葛西(利根川・鬼怒川): 下総・武蔵国界

戦国期、西さいは後北条氏 (小田原北条氏) の勢力下に組み入れられ、安房あわ国の里見氏に対して前線として機能するようになり、実質的に武蔵国の延長上になっていた。後北条氏も武蔵国として把握していたと見られ、下総・武蔵国界は実質的に変動した。

Fig.077 葛西 (下総・武蔵国界): 寛永年間(1624〜1644)

しかしこの領域認識は豊臣政権には継承されなかった。天正18年(1590) 小田原城の陥落と後北条氏の滅亡後、その旧領は徳川家康に与えられたが、この継承の経緯が要因だったとみられる。豊臣政権下では葛西が下総なのか武蔵なのかは一定せず、この混乱は徳川政権下で作成された江戸初期の国絵図でも継続し、これが解消されるのは次の二郷半・松伏・幸手・島中川辺と変わらない、寛永年間(1624~1644) と考えられる。

詳細は『28.2.28. 葛西』を参照。