11.12. 下妻鬼怒川東流部(利根川・鬼怒川): 常陸・下野国界

戦国期、常陸ひたちせきじょうを根拠とする氏が勢力を強めて南下し、しもつま城を拠点に下総国へ領域を拡大し、両国にまたがった多賀谷領が成立した。しかし天正17年(1589) 多賀谷しげつねのぶいえ親子とみつつね の二派に分裂し、けいちょう6年(1601) 関ケ原の戦い後、佐竹よしのぶに従った前者は没落 (重経)・退去 (宣家) を余儀なくされた。他方、ゆうひでやすに従った三経は加増となったものの越前国 北庄きたのしょう (現在の福井) へ移ることになった。

これによって当地の領域認識は曖昧化し、初期の国絵図にはその混乱がそのまま反映され、慶長9年(1604) の検地で確定する近世の常陸・下総国界は北へ移された。

Fig.084 下妻鬼怒川東流部 (常陸・下総国界): 慶長9年(1604)

詳細は『28.2.2. 下妻鬼怒川東流部』を参照。