
基本的に近代の上在所は天保郷帳・国絵図の上石徹白村、中在所・西在所は中石徹白村、下在所は下石徹白村に対応すると考えられ、小谷堂・三面はこの 3村のどれかに含められていると思われるが、厳密には不明。
| ^ ※1: | [中世~織豊期] 天正3年(1575): 「石徹白」「押谷村」「下石徹白村」「下村」「さ津ら村」「小谷道村」「古小谷道村」「西村」(『御祭田定帳』、『岐阜県史 史料編 古代・中世1』(1969) 所収、石徹白#57・cc.526-528)、天正21年(文禄2年,1593): 「石徹白」「か𛃉村」「下村」「小谷道」「さつら」「ふち」「こたんと」「おし谷」(『石徹白年貢算用状』『算用状断簡』、同##23-24・cc.516-517)。 |