昭和33年(1958)※1、福井県 大野郡 石徹白村のうち、小谷堂・三面地区を除く主要地区 (上在所・中在所・下在所・西在所) は、岐阜県 郡上郡 白鳥町に編入された。結果として、越前・美濃の国界はこの付近で西へ移動したことになるが、当然ながらこの時点で「越前国」も「美濃国」も地域区分として用いられていない。

地形的には旧県境 (=旧国界) が分水嶺であって、石徹白村は福井県側 (越前国側) と連続している。しかし、もっとも近い福井県 大野市の市街地へは距離がある上に道のりも険しく、近代に入って道路が整備されても冬季は途絶した。一方で、長滝白山神社が所在する岐阜県 郡上郡 白鳥町とは白山信仰を通して古くから深い関係にあり、桧峠を越えれば市街地へのアクセスも難しくなかった。
いわゆる昭和の大合併において県境をまたぐ合併・編入 (越境合併) が試みられたほかの地域と同様、ここでも編入賛成派・反対派で対立し、これに福井県側の強力な引留工作が拍車をかけ、結果として西部の小谷堂・三面地区は福井県に残ることになった。江戸期の両地区は主要地区の従属的な立場にあって、『白鳥町史 通史編 上巻』(1976) によれば「末社人」が居住し、社田 (神田) の小作や祭礼の下働きに従事していたという。相対的に大野市の市街地や県庁所在地に近いことも理由と考えられるが、昭和中期とはいえ山深い土地にあっては過去の経緯も少なからず影響したかと想像される。
| ^ ※1: | 昭和33年(1958) 10月15日付。 |