(3) 兵庫北関入舩納帳と中世の福浦

福浦地区は南北朝期以降、播磨はりま国を根拠とする赤松氏の支配下にあったとされ※2、また住民は播磨国の船に乗って兵庫まで船荷を運んでいた。ということは、福浦地区もまた佐用町の石井地区・東中山と同様にかつては播磨国であった可能性はないのだろうか。赤松氏の支配については直接的な史料が存在しないが、海運については『兵庫ひょうごきたせきいりふねのうちょう』があるので検討してみよう。

『兵庫北関入舩納帳』は、ぶんあん2年(1445) 正月から同3(1446) 年正月にかけて兵庫北関で記録された関税の徴収簿であり、船籍地・積荷・船頭・業者などの情報が載っている※1。この中かから「福浦ふくら」の地名を抽出すると以下のようになる。福浦の港は風待ち・潮待ちに適している。松の伐採・売却のほか大豆の栽培もあったので※2、海産物のほかにそうした特産物を運んで利益を得ていたのだろう。

月日船頭船籍地品目業者
地名名前
1月8日福ら五郎太郎大豆豊後屋
8月25日フクラ (ノ)千代松小イハシ豊後屋
9月12日ふくら五郎三郎小イハシ豊後屋
11月16日福浦長松小イハシ豊後屋
9月22日ふくら左衛門四郎小イハシ豊後屋
10月3日ふくら衛門五郎マツ豊後屋
11月11日ふくら兵衛太郎ナマコ豊後屋
11月18日ふくら五郎三郎小イハシ豊後屋
11月26日ふくら左衛門次郎小イハシ豊後屋

しかしここに国郡の記載はなく、決定的な判断材料にできないのは残念である。

なお船籍地の「室」は近世 播磨国 いっ西さいむろ (現在の兵庫県 たつの市 御津町室津) である。付近には淡路国 津名郡 室津浦・室津村 (現在の兵庫県 淡路市 室津) と同国 三原郡 福良浦 (同県 南あわじ市 ふく甲・同乙・同丙) も存在する。しかし室津浦・室津村は接尾辞を略した場合「室津」であって「室」とは呼べず、納帳には「淡路斗」という単位を使用する「室津」がほかに存在することから、「室」は播磨の室津 (『津』が接尾辞なので『室』と呼べる) であり、したがって「ふくら」も至近にある備前の福浦ということになる。

^ ※1: 『兵庫北関入舩納帳』(1981)『岡山県立博物館研究報告 15』(1994) など。
^ ※2: 『赤穂の民俗 その10 福浦編』(1992)