29.4. 伊豆・相模の国絵図

『元禄相模国絵図』に反映された裁許絵図には以下のように描かれた。

Fig.603 元禄13年(1700): 境論裁許絵図 (湯河原町史 第1巻 原始・古代・中世・近世資料編(1984) NDLDC#9539377 所収)Fig.628 元禄13年(1700): 境論裁許絵図 (湯河原町史 第1巻 原始・古代・中世・近世資料編(1984) NDLDC#9539377 所収)

凡例・説明がないため厳密なところはわからないが、鮮やかに着色された部分 (『岩戸』『日金地蔵』がある岩山も含む) が伊豆国 (伊豆山権現領) と理解できる。その伊豆国内には「宮上村之内」と付記された「塩坪」「寺坂」「和泉」の 3集落が存在し、飛地となっている。

このほか国界に相対して着色が逆転している箇所がある。裏書の裁許状にも直接的な言及はないが、「田畑并小田原領林」と表現されているうちの「小田原領林」が伊豆国内にある無彩色の部分、これと交換で伊豆山権現に差し出されたのが相模国内にある彩色部分ではないかと推定される。

なおこの争論と関係しない稲村はこの裁許絵図には含められていない。

次に相模国 足柄下郡の『元禄改定図』を『正保改定図』に並べて示せば以下のとおり。

Fig.507 新編相模国風土記稿 第22巻: 足柄下郡 正保・元禄改定図 (部分・国立公文書館所蔵)

『正保改定図』では山陵で表現されていた国界が川筋に変更され、東へ移動した。

天保の相模国絵図も川筋が国界として描かれ『元禄改定図』の表現が反映されている。

Fig.629 天保相模国絵図 (部分・国立公文書館所蔵)

『天保伊豆国絵図』にも裁許絵図が反映された。同国内には「相模国」と肩書され「宮上村之内」と付記された塩坪・寺坂・和泉の 3集落と稲村が存在する。

Fig.509 天保伊豆国絵図 (部分・国立公文書館所蔵)

なお、常陸国内にも下総国の飛地があったが、これは天保の下総国絵図に描かれ「飛地」と明記されている (『28.5. 長崎村ほか(5)』を参照)。

29.5. 元禄国絵図・郷帳との関係

元禄国絵図・郷帳では隣国相互の確認が義務づけられ、国界を巡る未決着の争論は許容されなかった (『8. 元禄国絵図』を参照)。時期が重なることから、本件もこれにともなって争論にまで発展したものと考えられる。おそらく日常的な小競り合いはあっても妥協的に解決されてきたものが、境界を明確化するとなれば伊豆山権現も黙認できず、土肥 (小田原藩) の住民も先鋭的な行動に出たのだろう。