21.2.2. 美濃一国郷牒と「長島郡」

美濃一国郷牒』には「長島郡」が含まれる。つまり『美濃一国郷牒』においては美濃国に長島郡が存在する。

Fig.128 長島郡

「長島郡」の村々の分布を見ると、近世初期の長島 (伊勢長島) と「市江島」の景観※1をたくみに再現している。

長島・市江島は「河内」と呼ばれる木曽川の河口デルタに存在する三角州で、当地を本拠地とする長島一向一揆は、元亀元年(1570) 尾張国 (小木江) 城を攻撃して織田のぶおき (信長の弟) を自害に追い込んだ。これに対して織田信長は元亀2年(1571)・天正元年(1573)・天正2年(1574) の三度に渡って攻撃し、一度目に騙し討ちされたためか、三度目の攻撃は熾烈で、信長は水軍を率いて海上を封鎖、さらに籠城後に降服・退去する人々を攻撃して城を焼き払い、徹底的に滅ぼした※2

地形の成因から容易に想像されるように当地の開発は遅く、律令制に基づく国郡の範囲外に存在する。近世の各村は長島が伊勢国 桑名郡、市江島が尾張国 海西郡に含まれるが、前述のように美濃一国郷牒』では「長島郡」として美濃国に含められ、一方でその各村は慶長6年(1601)『徳川家康奉行人連署知行宛行状』※3※4※5ではすべて「尾州海西郡」に含められている。『美濃一国郷牒』の各村は菅沼左近 (さだよし) の所領であり、『宛行状』はその父親の菅沼新八郎 (さだより) 宛である。定仍は慶長9年(1604) に死去しているので『美濃一国郷牒』はその前後以降の状況を示していることになる。

#宛行状 (尾州海西郡)美濃一国郷牒』 (美濃国 長島郡)天保郷帳備考
石高石高#国郡
1西外面村「七百七拾六石 四斗九升」西外西「七百七拾六石 四斗九升壱合」83伊勢国 桑名郡西にし外面ども村名『美濃一国郷牒』の誤読。
2東条村300.416東条村300.4164尾張国 海西郡ひがしじょう
3うくいら474.400うく474.40027うぐいうら
4又木村120.624又木村120.62495伊勢国 桑名郡又木村
5587.870587.8702尾張国 海西郡村名『美濃一国郷牒』の誤読。
6西1228.547西1228.5471西
7二ノ※6「百六拾壱石 四斗三升」二ノ「百六拾壱石 四斗三升壱合29荷之上村村名『美濃一国郷牒』の誤記。
8松の木村178.310松之木村178.31072伊勢国 桑名郡松之木村
9殿名村1764.544取吉1764.54497殿名とのめ村名『美濃一国郷牒』の誤読。
10下さかて973.267下さかて村973.26780下坂手村
11千蔵村644.873千蔵村644.87381千倉村
12嶋崎村「七拾弐石」島崎村「七石弐斗」不明天保郷帳 86. 間々村か (位置関係)。石高は単純な誤読・誤写ではなく、相違の原因は不明。
13ぬたのわき15.870ぬ脇村15.87081伊勢国 桑名郡千倉村「千倉・泥脇の二部落があったが総称して千倉村といった」※7
14五明村39.840五明村39.84091五明ごみょう
15上さかて「千拾弐石 九斗八升上さかて村「千拾弐石 九斗七升九合79上坂手村
16松か嶋村61.868松か島村61.86898松ケ島村
17大嶋村90.137大しま村90.13799大島村
18五ノ三村99.200五の三村99.20028尾張国 海西郡五之三村
19中村331.600中村331.600不明天保郷帳 77. 中川村か (村名)。
20高山村137.600高山村137.600不明天保郷帳 87. 高座村か (村名)。
21西川村691.826西川村691.82678伊勢国 桑名郡西川村
22西条村573.500西条村573.5003尾張国 海西郡西にしじょう

『信長記』の天正2年(1574) 7月13日※8記事には「尾州河内長嶋」※9とあるほか、いくつかの家譜に「尾州長嶋之城」※10・「尾州長嶋合戰」※11・「尾州長嶋一向宗蜂起」※12といった記述が散見される。

Fig.736 信長記 第7巻 太田牛一自筆本 (部分・岡山大学図書館所蔵・小文献ギャラリー公開)

『天文御日記』の天文20年(1551) 5月29日記事※13では中川村を「伊勢国中川」とし、また『多聞院日記』の天正12年(1584) の記事には「勢州長嶋」とある。

Fig.737 多聞院日記略 第21巻 江戸末期頃 写本(部分・東京大学史料編纂所所蔵)

美濃国に「長島郡」が存在したことはなく、荘園の異称としての「長島郡」も史料上、確認できないが、家譜・旧記 (由緒書)・棟札には「尾州長島郡 (尾州長嶋郡)」※14※15という表現が使用されている例は存在する。

(1) 天保郷帳・国絵図の村々
近世 尾張国 海西郡※16
1.
西保村※17
2.
東保村
3.
西にしじょう
4.
ひがしじょう
27.
うぐいうら
28.
五之三村
29.
荷之上村
近世 伊勢国 桑名郡※18※19
72.
松之木村
73.
杉江村
74.
新所村
77.
中川村※20※21
78.
西川村※22
79.
上坂手村
80.
下坂手村
81.
千倉村
83.
西にし外面ども
85.
平方村
86.
間々村
87.
高座村
88.
出口村
89.
押付村
90.
小島村※23
91.
五明ごみょう
95.
又木村
97.
殿名とのめ
98.
松ケ島村
99.
大島村
^ ※1: 『長島町誌 上巻』(1974)『佐屋町史 通史編』(1996)
^ ※2: 以上『三重県史 通史編 近世1』(2017) による。
^ ※3: 慶長6年(1601) 5月24日付、『三重県史 資料編 近世1』所収、pp.484-485。「菅沼文書 東京大学史料編纂所写真帖」とある。
^ ※4: ほかに『彦坂元正・大久保長安・加藤正次連署知行目録』、『岐阜県史 史料編 古代・中世4』(1973)所収、cc.506-507。「新城市宮の前菅沼新八郎氏所蔵」とある。
^ ※5: ほかに『史料〈市江-1〉』、慶長6年(1601) 5月24日付、『佐屋町史 史料編4』(1988) 所収、cc.215-216。「新城市宗堅寺蔵」とあり、所在地から『岐阜県史』と同一史料と思われる。
^ ※6: 『岐阜県史』は「二ノ郷」と翻刻している (どちらとも読める)。地形的には「江」が正しい。
^ ※7: 『長島町誌 上巻』(1974)
^ ※8: 『信長公記 巻上』(1881) (c.47) では 6月13日 (『六月十三日』)。直前は 6月21日 (『六月廿一日』) なので再録した『改定 史籍集覧 第19冊』(1921) (c.109) では 6月23日 (『六月廿三日』) に校訂されている。「六月十三日」が原本 (町田久成所蔵) に由来するのか、1881年刊の誤りかは不明。
^ ※9: 『信長公記 巻上』では「尾張国河内長島 (尾張國河内長島)」、文頭「河内御成敗」も異なり「河内長島為御成敗 (河內長島爲御成敗)」。
^ ※10: 『滝川一益事書 (紀氏滝川系図)』、『群馬県史 資料編7 中世3 編年史料2』(1986) 所収、#3167・cc.437-440。
^ ※11: 『寛永諸家系図伝』、『大日本史料 第10編之6』(1938) 所収、c.146。4243709#6
^ ※12: 『金森家譜』、『大野市史 第6巻 史料総括編』(1985) 所収。
^ ※13: 『天文御日記』、『真宗史料集成 第3巻』(1979) 所収、cc.31-317。
^ ※14: 『新編岡崎市史 12 民俗』(1988)
^ ※15: 慶長13年(1608) (安政5年(1858) 写)『御堂建立に関する旧記』・寛文7年(1667)『宝積院棟札 (寛文棟札)』、聖籠村誌(1967) 所収。
^ ※16: 寛文郷帳との対照を含む。
^ ※17: 「西方村」(定仍知行目録・美濃一国郷牒)。
^ ※18: 正保・元禄郷帳との対照を含む。
^ ※19: 新田のうち、集落をともなわないもの (94. 篠橋新田・131. けんにゅう子新田・133. 小和泉南堤外新田・134. 小林島新田・143. 築留新田・167. 加路戸堤外新田・169. 川中彦作新田)、持添新田・流作場相当のもの (75. 前山外面・76. 藤九郎外面・82. 遠浅附新田・132. 豊田子新田・159. 富田新田)、実態をともなわないもの・不明なもの (151. 北野森崎新田・152. 善太山新田・153. 善太山堤外新田) は省略した。
^ ※20: [中世~織豊期] 天文11年(1542) 11月9日: 「中川」・天文20年(1551) 5月29日: 「伊勢国中川」(『天文御日記』、『真宗史料集成 第3巻』(1979) 所収、cc.31-317)。
^ ※21: 「中村」(定仍知行目録・美濃一国郷牒)か。
^ ※22: [中世~織豊期] 天文22年(1553) 2月21日: 「西河」(『天文御日記』、『真宗史料集成 第3巻』(1979) 所収、cc.31-317)。
^ ※23: [中世~織豊期] 天正12年(1584): 「勢州長嶋ノ口 (ヨリ二里、五刁ノ方ノ小嶋カ子カヲト云平城也ト) ニアル城」(多聞院日記、多聞院日記 第3巻,1967)。