27.1.2. 天保郷帳・国絵図の村々
Fig.159 桐生川 (上野・下野国界): 江戸初期
近世 下野国 足利郡※1
1.
かみびし※2※3※4※5
2.
しもびし※2※3※4※5※6
3.
とも※7※8
15.
粟ノ谷村※9※10※11
16.
また※12
29.
板倉村
30.
松田村
45.
鹿じか※13
近世 下野国 安蘇郡※1
15.
上彦間村※14※15
15a.
入彦間村※16※17
16.
下彦間村※14
近世 上野国 山田郡※18
28.
29.
中広沢村※19※20※4※22
30.
下広沢村※19※20※4※22
31.
境野村※23※4
32.
しん宿しゅく
33.
34.
桐生新町※28※29
35.
36.
もと宿じゅく※31※25※27
37.
村松村※31※25※27
38.
上久方村※32※3※33
39.
高沢村※31※34
40.
浅部村※31※33
41.
下久方村※32※3
42.
如来堂村
45.
西にしぐら
46.
東小倉村
53.
※35
54.
60.
小平おだいら※37
61.
ふたわたり※3
62.
やま※3
^ ※1: 正保郷帳 (東野地誌)・中川忠英旧蔵 下野国絵図との対照を含む。
^ ※2: [中世~織豊期] 文明4年(1472) 12月23日: 「上野國那智之師識」(『~職』)「ひし・きりう両里」(旦那売券、『熊野那智大社文書 第4巻』(1976) 所収、潮崎稜威主文耆#71・pp.183-184)、弘治4年(1558): 「上菱之內、星野垣外壹貫六百之所」(桐生祐綱書状、山田郡誌,1939/1973)。
^ ※3: [中世~織豊期] 天正元年(推定,1573): 「久方・二渡・上比志・山地可致皆納之由」(由良成繁書状、群馬県史 資料編7 中世3 編年史料2,1986)。
^ ※4: [中世~織豊期] 天正2年(推定,1574): 「上比志邊にて」「廣澤山之制札貳、境野之制札一差越候」(由良成繁書状、群馬県史 資料編7 中世3 編年史料2,1986)。
^ ※5: 下野国 正保郷帳 (東野地誌)・中川忠英旧蔵 下野国絵図に含まれる。
^ ※6: 明治9年(1876) 下菱村・小友村で合併し黒川村、したがって対応する近代の大字は「黒川」。
^ ※7: [新田・分村] 下野国 正保郷帳 (東野地誌)、上野国 寛文郷帳、およびそれぞれに対応する中川忠英旧蔵 下野国絵図・上野国絵図のどれにも含まれない。
^ ※8: [新田・分村] 元禄郷帳・天保郷帳・国絵図では「下菱村枝郷」と付記される。
^ ※9: [中世~織豊期] 宝治3年(1249): 「足利粟谷郷」(正義(足利義氏)置文案、栃木県史 史料編 中世2,1975)、観応3年(1352): 「下野國足利庄粟谷鄕」(将軍足利尊氏御判御教書、栃木県史 史料編 中世2,1975)、ほか。
^ ※10: 中川忠英旧蔵 下野国絵図では「栗野谷村」(正保郷帳 (東野地誌) では『粟野谷村』)。
^ ※11: 現在の表記は「粟谷あわのや」。
^ ※12: [中世~織豊期] 永享元年(1429): 「下野州足利庄小俣」(鶏足寺世代血脈、新田町誌 第2巻上 資料編 上 原始・古代 中世,1987)、ほか。
^ ※13: [古代~織豊期] 大宝3年(推定,703): 「下毛野国足利郡波自可里」(藤原宮木簡、奈良国立文化財研究所史料 第12冊 別冊 藤原宮木簡1 解説,1978)、承平年間(931~938): 下野国 足利郡 土師郷 (和名類聚抄)、ほか。
^ ※14: [中世~織豊期] 天正13年(推定,1585) 3月27日: 「下彦馬」(長尾顕長充行状、栃木県史 史料編 中世4,1979)、同年 7月7日: 「上彦間」「彦間」(長尾顕長書状、群馬県史 資料編7 中世3 編年史料2,1986)。
^ ※15: 明治22年(1889) 飛駒村に改称、したがって対応する近代の大字は「飛駒」。
^ ※16: [新田・分村] 下野国 正保郷帳 (東野地誌)・中川忠英旧蔵 下野国絵図には含まれない。
^ ※17: 天保国絵図では「上彦間村之内」と付記される (郷帳には含まれない)。
^ ※18: 寛文郷帳・中川忠英旧蔵 上野国絵図との対照を含む。
^ ※19: [中世~織豊期] 弘安元年(1278): 「上野國園田御厨內廣澤鄕」(六波羅下知状、群馬県史 資料編6 中世2 編年史料1,1984)、延文5年(1360) 以後: 「上野国」の「広沢御厨」(神鳳抄)、ほか。
^ ※20: [中世~織豊期] 天文23年(1554) 以前: 「下仁田山之鄕・廣澤鄕、爲御料所罷預」(足利晴氏預状写、群馬県史 資料編7 中世3 編年史料2,1986; 桐生史苑 38,1999)。
^ ※21: [中世~織豊期] 天正13年(1585): 「桐生之惣年行事職之事」「幷ニ廣澤・仁田山之儀」(極楽院鎮良判物写、群馬県史 資料編7 中世3 編年史料2,1986)。
^ ※22: 明治9年(1876) 合併し広沢村、したがって対応する近代の大字は「広沢」。
^ ※23: [中世~織豊期] 永禄5年(1562): 「於上州境野宿」(古河公方足利義氏充行状写、群馬県史 資料編7 中世3 編年史料2,1986)。
^ ※24: 天保郷帳では「古者荒戸村」と付記され、上野国 寛文郷帳では「荒戸村」。
^ ※25: 江戸初期は荒戸村、のち今泉・本宿・村松・堤の各村に分村 (桐生市史 上巻,1958)。
^ ※26: 中川忠英旧蔵 上野国絵図には含まれない。上野国 寛文郷帳に含まれることや石高から考えれば写本での欠落と思われるが、詳細は不明。
^ ※27: [新田・分村] [明治6年(1873) 合併し安楽土村、したがって近代の大字は「」。
^ ※28: [新田・分村] 江戸期はじめの成立 (諸説あり)。
^ ※29: 寛文郷帳・中川忠英旧蔵 上野国絵図では「新町村」。
^ ※30: [中世~織豊期] 貞和5年(1349): 「上野國桐生鄕堤村內」(将軍足利尊氏袖判下文写、群馬県史 資料編6 中世2 編年史料1,1984)、ほか。
^ ※31: [新田・分村] 寛文郷帳・中川忠英旧蔵の上野国絵図には含まれない。
^ ※32: [中世~織豊期] 元亀3年(推定,1572): 「久方」(由良成繁判物、山田郡誌,1939/1973・群馬県古城塁址の研究 補遺篇 上巻,1979)、天正元年(1573): 「久方」(由良成繁書状、群馬県史 資料編7 中世3 編年史料2,1986)。
^ ※33: 寛文郷帳・中川忠英旧蔵 上野国絵図では「久方村」。
^ ※34: 天保郷帳では「上久方村枝郷」と付記される。
^ ※35: 明治9年(1876) 上仁田山村・中仁田山村・下仁田山村・須永村で合併し山田村、したがって対応する近代の大字は「山田」。
^ ※36: [中世~織豊期] 永正9年(1512): 「大日本上野刕山田郡 須永鄕 下仁田山窟住」(観音寺石灯籠銘、群馬県史蹟名勝天然紀念物調査報告書 第4輯,1937)、ほか。
^ ※37: [中世~織豊期] 天正12年(1584): 「仁田山之内」「しほ原・あな原・小平・しほ澤・たかつと」(中黒は筆者が補う、北条家朱印状、群馬県史 資料編7 中世3 編年史料2,1986)。