小豆しょうど島しまは本来、備前国びぜんのくにに属していたが、南北・室町期以降、讃岐さぬき国守護・管領細川氏の勢力下に置かれ、その領国の一部に組み込まれた。もっとも瀬戸内海では淡路島に次ぐ大きさを持つ小豆島は、備前か讃岐かというより、小豆島という独立した地域を構成するようになって国界は曖昧化した。この状況は江戸期に入っても変わらず、幕府は当初から讃岐国として把握していたとみられるものの、在地の認識とは元禄年間(1688~1704) を過ぎてようやく一致した。
詳細は『26. 小豆島』を参照。