室町期から戦国期にかけて、浄土真宗 (真宗) 本願寺派の門徒は組織を形成して武力蜂起した (一向一揆)。しかし天正年間(1573~1592) に入ると、織田信長の猛攻によって各地の一揆は壊滅し、加賀国の一揆も天正8年(1580) までに制圧されることになる。この過程で天正7年(1579) 7月、佐久間盛政・柴田勝政 は、手取川最上流域へ越前から谷峠を越えて侵入し、白山麓 18か村のうち東谷・西谷の 16村は征服され、越前・柴田勝家の所領に組み込まれた。これが賤ケ岳の戦い後、天正12年(1584) 丹羽長秀によって豊臣政権下の検地 (太閤検地) が実施され、加賀・越前の近世の国界は確定した。

詳細は『19. 白山麓十八か村の東谷・西谷』を参照。