南北朝期以来、北畠氏は伊勢・志摩を支配した。しかし天正3年(1575)、伊勢国に進出してきた織田信長によって、強制的に家督を信雄へ譲らされ、その後滅ぼされた。一方、南からは熊野新宮の堀内氏善が勢力を拡大したが、要衝である長島を奪って荷坂峠まで伸長したのは天正10年6月 本能寺の変後の混乱に乗じてである。その後、豊臣政権下の文禄3年(1594) と慶長6年(1601) の検地によってそれぞれ伊勢・紀伊の領域が明らかにされ、近世の国界は確定した。

詳細は『23. 志摩』を参照。
近世の志摩国は志摩半島の部分に限られ、その領域を大幅に狭めた。現在でも「志摩」とは近世の志摩国の範囲であり、本来は志摩だった伊勢には「南伊勢町」が存在し、志摩だった紀伊には「紀北町」が存在する。