11.7. 志摩: 志摩・伊勢・紀伊国界

南北朝期以来、北畠氏はを支配した。しかしてんしょう3年(1575)、伊勢国に進出してきた織田信長によって、強制的に家督をのぶかつへ譲らされ、その後滅ぼされた。一方、南からは熊野新宮の堀内ほりのうちうじよしが勢力を拡大したが、要衝である長島を奪って荷坂峠まで伸長したのは天正10年6月 本能寺の変後の混乱に乗じてである。その後、豊臣政権下のぶんろく3年(1594) とけいちょう6年(1601) の検地によってそれぞれ伊勢・紀伊の領域が明らかにされ、近世の国界は確定した。

Fig.199 志摩 (伊勢・紀伊・志摩国界): 文禄3年(1594)・慶長6年(1601)

詳細は『23. 志摩』を参照。

近世の志摩国は志摩半島の部分に限られ、その領域を大幅に狭めた。現在でも「志摩」とは近世の志摩国の範囲であり、本来は志摩だった伊勢には「南伊勢町」が存在し、志摩だった紀伊には「紀北町」が存在する。