天正年間、後北条氏 (小田原北条氏) の支配下に置かれた小山氏の本拠・祇園城は、豊臣秀吉の小田原城攻撃の過程で天正18年(1590) 結城晴朝によって攻略され、小山氏は滅亡した。これによって、小山氏の旧領は結城領に組み込まれ、下野・下総の 2国にまたがる領域が形成されることになる。しかし慶長5年(1600) 関ケ原の戦い後、論功行賞で加増・転封となって結城晴朝・秀康は越前国 北庄 (現在の福井) へ移ることになり、当地一帯には空白域が生じて下総・下野国界は曖昧化した。その後、高椅地域では寛永14年(1637) に検地が行われ、下野国として把握された。

詳細は『28.3.2. 高椅』を参照。