利根川に烏川・広瀬川が合流する付近では、寛かん永えい年間(1624~1644) 上野こうずけ・武蔵むさしの国界が北へ移動した。葛西がそうだったように関東の領域認識は、後北条氏の滅亡・徳川家康の入国以来、江戸初期は渾沌としている。当地ではこれに河川の乱流も加わって混乱していたものが寛永年間(1624~1644) に見直されたとみられる。
詳細は『27.2. 烏川』を参照。