33. 陸奥・出羽両国の分置と北海道の建置

明治元年(1868) 12月7日付で、陸奥国はいわいわしろりくぜんりくちゅう陸奥むつの 5国、出羽国はぜんの 2国に分置された。

明治元年(1868) 12月7日付 布告※1

奥羽両国は *中略* 陸奥国を磐城・岩代・陸前・陸中・陸奥と 5国に、出羽国を羽前・羽後と 2国に分国仰せ付けられそうろう条、此の旨、相心得あいこころうべく事

原文※1: 奧羽兩國ハ *中略* 陸奧國ヲ磐城岩代陸前陸中陸奧ト五國ニ出羽國ヲ羽前羽後ト二國ニ分國被 仰付候條此旨可相心得事

また明治2年(1869) 8月15日付で、いわゆる「」が北海道と改められ、あわせていしかりぶりしまきた釧路くしろ後志しりべししましおかちだかむろの 11国が置かれた。

明治元年(1868) 12月7日付 布告※1

蝦夷地、自今北海道と称し、11箇国に分割、国名・郡名等、別紙の通り仰せ出でられそうろう

原文※2: 蝦夷地自今北海道ト被稱十一ケ國ニ分割國名郡名等別紙之通被 仰出候事

Fig.208: 国界はいつ変わったのか: 戦乱と国界

当然ながらこれらはすべて近代初期の地域区分に過ぎず、これまでの 68国のような律令制における意味はまったくない。

その後、明治2年(1869) 12月8日付で、伊達郡 (現在の福島県 伊達市・桑折こおり町・国見町の全域と、川俣町の中北部※3・福島市の一部) は磐城国から岩代国に、刈田郡 (現在の宮城県 白石市・蔵王町・しちヶ宿かしゅく町)・郡 (同 かく市・丸森町) は岩代国から磐城国へそれぞれ移され、近代の磐城・岩代両国の領域が確定した。

Fig.184: 明治末期の68国
明治2年(1869) 12月8日付 布告

先般奥羽国両国のうち分国仰せ出でられそうろうところの度更ニ割地図面の通、御改正にあいなりそうろう間、の旨、相達そうろう

原文※4: 先般奧羽兩國之內分國被 仰出候處此度更ニ割地圖面之通御改正ニ相成候間此旨相達候事

また明治14年(1881) 7月8日付で、網尻あばしり郡 (現在のほろ町・べつ町) は釧路国から北見国 網走あばしり郡へ、明治18年(1885) 1月6日付で、色丹しこたん郡は根室国から千島国へ移され、近代の北海道11国の領域が確定した。

布告第37号 (明治14年(1881) 7月8日付)

「開拓使管下 渡島・釧路両国のうち、左 (次) の通、合郡・名称変更そうろう条、の旨、布吿そうろう事」*中略*「釧路國 網尻郡」「右 (前) 北見国ヘ編入、網走郡に合わせ網走郡と称す」

原文※5: 「開拓使管下渡島釧路兩國ノ內左ノ通合郡名稱變更候條此旨布吿候事」*中略*「釧路國 網尻郡」「右北見國ヘ編入網走郡ニ合セ網走郡ト稱ス」

布告第1号 (明治18年(1885) 1月6日付)

根室県下 根室国 花咲郡のうちシコタン島、自今千島国ヘ編入、色丹しこたん郡と称す

原文※6: 根室縣下根室國花咲郡ノ內「シコタン」島自今千島國ヘ編入色丹シコタン郡ト稱ス

^ ※1: 『法令全書 慶応3年』(1887)、cc.240-243。
^ ※2: 『法令全書 明治2年』(1912)、cc.186-187。
^ ※3: 現在の川俣町は全域が伊達郡に含まれるが、これは町村合併の結果であって、近世および近代の山木屋村に相当する部分は安達郡。
^ ※4: 『法令全書 明治2年』(1912)、cc.287-288。本文に続く目録に国郡再編の具体的な目録があり、刈田・伊具 2郡は磐城国、伊達郡は岩代国に含められている。
^ ※5: 『法令全書 明治14年』(1912)、c.38。
^ ※6: 『法令全書 明治18年 上巻』(1885)、c.135。