| ^ ※1: | 例外的に天保郷帳では「下庄村之内」と付記される (枝郷相当)。国絵図では「下庄」を冠称する。 |
| ^ ※2: | 現在の地名は「東中山」。 |
| ^ ※3: | 『15.1.1. 変動の要因』を参照。 |
| ^ ※4: | 例外的に天保郷帳では「今岡村之内」と付記される (枝郷相当)。国絵図では「今岡」を冠称する。 |
| ^ ※5: | 現在の地名は「中町」。 |
| ^ ※6: | 例外的に天保郷帳では「辻堂村之内」と付記される (枝郷相当)。国絵図では「辻堂」を冠称する。 |
| ^ ※7: | 現在の地名は「若州」。 |
| ^ ※8: | [中世~織豊期] 建長2年(1250) 11月: 「播磨国豊福庄」・「播磨国佐用庄内」の「豊福村」(『九条道家初度惣処分状』、『兵庫県史 史料編 中世8』(1994) 所収、九条家文書#3・cc.320-325)、明応9年(1500)以前: 「大将軍等持院殿尊氏、貞和五年、以播州佐用豊福之村、賜赤松右衛門敦範」(『赤松則治寿像賛』、『龍野市史 第4巻』(1984) 所収、#588・c.222)。 |
| ^ ※9: | 明治8年(1875) 豊福村に編入、したがって対応する近代の大字は存在しない。 |
| ^ ※10: | 郷帳・国絵図では「豊福」を冠称する。 |
| ^ ※11: | 明治8年(1875) 植木谷村と合併し大木谷村、したがって対応する近代の大字は「大木谷村」。 |
| ^ ※12: | 明治9年(1875) 平福村に編入されたが、明治14年(1880) 正吉村・友延村に相当する部分が分離されて延吉村となった。したがって対応する近代の大字は「延吉」。 |