上田市立博物館ではしょうほう信濃国絵図』およびげんろく信濃国絵図』の写本が現存し、オンライン公開されている。どちらも後年の写しでは省略されやすい自然の描写などがそのままで、国立公文書館所蔵・公開のてんぽう信濃国絵図』とあわせて正保・元禄・天保の 3代を系統的に比較できる点で非常に貴重な史料となっている。

Fig.648 信濃国絵図

木曽に着目すると、この地域がはじめ特殊な扱いをされ、それが段階を経て解消されていく過程がわかって興味深い。まず正保国絵図では木曽は筑摩郡の一部ではなく、郡界を示す墨線で「筑摩郡」と明確に分けられている。

Fig.510 正保信濃国絵図 (uct-07shouho『紙本墨書着色 正保の信濃国絵図』・上田市立博物館所蔵)

ただし「木曽郡」ではなく「木曽」であって、扱いは特殊である。次の元禄国絵図では木曽は筑摩群に含まれている。

Fig.512 元禄信濃国絵図 (uct-03genroku『紙本墨書着色 元禄の信濃国絵図』・上田市立博物館所蔵)

郡界を示す墨線は木曽とほかの筑摩郡との間には引かれておらず、「木曽」の表記もない。しかし橙線によって筑摩郡のほかの部分とは分けられ、また各村は「木曽」を冠称し、扱いは特殊なままである。天保国絵図ではこの橙線がなくなって筑摩郡のほかの部分と一体化した。

Fig.513 天保信濃国絵図 (国立公文書館所蔵)

しかし各村の「木曽」冠称はそのままである。冠称それ自体はほかの地域でも中世の地域単位が解体されたとみられる場所でみられるので、木曽に限ったものではないが、見方を変えれば木曽という地域単位はその古い記憶を残したまま近代を迎えることになった。

なお正保国絵図に対応する正保4年(1647)『信濃国郷村帳』は『長野県史 近世史料編 第9巻 全県』(1984) 所収され (正保4年(1647) 3月11日付・#1・cc.12-53)、元禄郷帳は国立公文書館で所蔵・公開されている。木曽については慶長18年(1613) 木曽村々なり郷帳もあって『長野県史 近世史料編 第6巻 中信地方』(1979) に所収されている (慶長18年(1613) 5月23日付、#8・cc.14-15)。