14.4. 木曽谷・木曽谷・木曽郡

ひとことに「木曽」といってもその範囲は文脈によって異なることがある。ここでは境界の変遷という本稿のテーマに関係して「木曽谷」「木曽路」「近世の木曽」と、関連して「木曽郡」の範囲を観察してみる。「木曽谷」「木曽路」「近世の木曽」の3つを図に示せば以下のとおりである。

Fig.186 木曽 (美濃 ・ 信濃国界): 古代~中世
Fig.186 木曽 (美濃・信濃国界): 古代~中世

(1) 木曽谷

「木曽谷」とは、木曽川上流の渓谷とこれを含む地域をいう。木曽谷は国界が変動した範囲に等しく、本来は「鳥居峠」を含む分水嶺までの木曽谷全体が美濃国だった。

▼(参考) 木曽街道 藪原 鳥居峠硯清水 (大英博物館所蔵)

Fig.649 (参考) 木曽街道 藪原 鳥居峠硯清水 (大英博物館所蔵)
Fig.649 (参考) 木曽街道 藪原 鳥居峠硯清水 (大英博物館所蔵)

「木曽谷」には現在 (いわゆる『平成の大合併』以降) の市町村では長野県 木曽郡 町・大桑村・あげまつ町・王滝村・木曽町・木祖村と、岐阜県 中津川市の一部が含まれる。鉄道の駅でいえばだち・南木曽・十二じゅうにかね (以上、南木曽町)・野尻・大桑・須原 (同、大桑村)・倉本・上松 (同、上松町)・木曽福島・原野・宮ノ越 (同、木曽町)・藪原 (木祖村) の各駅を含む区間に相当する (王滝村は通らないため駅も存在しない)。

(2) 木曽路

「木曽路」とは中山道 (中仙道) のうち木曽を通る区間のことであり、その区間を含む周辺を含めて漠然と呼ぶこともある。その場合の「木曽路」は「木曽谷」に塩尻市の一部、平成の大合併で同市に編入されるまで存在したならかわ村を加えた地域にあたり、鉄道の駅では奈良井・木曽平沢・にえかわ (旧・楢川村、現・塩尻市の一部) の各駅が加わる。街道としては鳥居峠の前後に存在する谷を含めるということだろう。鳥居峠以北 (奈良井川の谷) の区間が短いのは谷の入口 (出口) の標高差による。中央高地の一部をなす松本平 (松本盆地) のほうが当然標高は高い。

▼(参考) 岐阻街道 奈良井宿 名産店之図 (大英博物館所蔵)

Fig.650 (参考) 岐阻街道 奈良井宿 名産店之図 (大英博物館所蔵)
Fig.650 (参考) 岐阻街道 奈良井宿 名産店之図 (大英博物館所蔵)

木曽路の宿場は、ごめつま・野尻・須原・あげまつ・福島・宮腰 (宮越)・薮原・奈良井・にえかわの 11宿で、中山道六十九次としては贄川から数えて 33番目から43番目までとなる。

(3) 近世の木曽

国絵図について木曽とされる一体を「近世の木曽」と呼ぶことにすれば、その範囲には「木曽路」にさらに松本市の一部、平成の大合併で同市に編入されるまで存在した奈川村を加えた地域にあたる。正保国絵図では郡と同格だが接尾辞のない「木曽」に含まれる範囲であり、元禄・天保国絵図では「木曽」を冠称する各村が含まれる範囲である。旧・奈川村は千曲川 (信濃川) 水系梓川の上流域であって木曽川水系ではないので木曽谷ではなく、木曽路とは無関係で本来は地域的な関係性も存在しない。

旧・奈川村の範囲まで近世の木曽に含められた理由としては、野麦峠を経由して木曽とを結ぶ通路上にあって木曽路に接続していることや、木曽谷と同様に森林資源に恵まれていたことなどが考えられるが厳密な経緯はわかっていない。木曽が信濃国として把握された段階で、単にその範囲に含まれていただけかもしれない。

明治12年(1879) 『 市制・町村制と府県制・郡制』の長野県における施行にともなって筑摩郡は東西に分割され、近世の木曽は西筑摩郡となった。その後、昭和23年(1958) 奈川村は南安曇あずみ郡へ移って西筑摩郡から離れた。地理的・日常的に結びつきのない行政単位に含められたことから相当の不便があったようで、奈川村自身からの請願によるものだった。

(4) 木曽郡

正保国絵図に存在した「木曽」が元禄国絵図で消えて以来、正式な行政単位としての「木曽」は存在しなかったが、昭和43年(1968) 西筑摩郡は「木曽郡」へ改称され、ここで復活することになった。木曽郡の範囲は基本的に地域単位としての「木曽路」に相当するが、この時点で長野県から岐阜県に移っていた神坂地区 (近世 湯舟沢村にあたる) は含まず、さらに現在は馬籠・山口地区 (同、馬籠村・山口村) も含まれない。