32.3. 天保郷帳・国絵図の村々
Fig.109: 丹後国➡丹波国: 明治35年(1902)
近世 丹後国 与謝郡
84.
あつ※1※2※3
85.
与佐村※4※5※6
86.
滝村※7※8
87.
金屋村※9
88.
後野うしろの
89.
※10
90.
加悦奥村※11
91.
さんじょ
92.
雲原村※12※13
近世 丹波国 天田郡
65.
瘤木こぶのき※14
66.
いち
67.
長尾村※15
68.
いつもり※16
69.
あま※17※18
70.
下野条しものうじょう※19
71.
上野条村※19※20
72.
喜多村※21※22
73.
おお
74.
日ノ尾村※23
74a.
一ノ宮村※24
74b.
常願寺村※24
74c.
新宮村※24
91.
上佐々木村※10
92.
中佐々木村※10※25
93.
下佐々木村※10※26
近世 但馬国 出石郡
25.
久畑市場村※27
26.
後村
29.
おおごう
30.
薬王寺村※28
31.
奥赤花村※29※30※31
31a.
口赤花村※32※33
32.
中赤花村※29※33
^ ※1: [中世~織豊期] 長禄年間(1457~1460): 「与佐郡」の「謁江郷」(注進丹後国諸庄園郷保惣田数帳目録、舞鶴市史 史料編,1973)。
^ ※2: 国絵図には「温江村之内」と付記された「谷垣」「虫元」がほかにある (郷帳には含まれない)。
^ ※3: 虫元の現在の表記は「虫本」。
^ ※4: [中世~織豊期] 元亨2年(1322): 「丹州余佐郷」(元亨釈書、新訂増補 国史大系 第31巻,1932)。
^ ※5: 国絵図には「与謝村之内」と付記された「鵜杉」「山河」がほかにある (郷帳には含まれない)。
^ ※6: 鵜杉の現在の表記は「」。
^ ※7: 国絵図には「滝村之内」と付記された「奥滝村」「岡田」「畑中」「平林」がほかにある (郷帳には含まれない)。
^ ※8: 加悦町誌(1974)によれば、畑中の現在の表記は「畑ケ中」(小字) または「畠中」(畠中神社)。
^ ※9: [中世~織豊期] 天文7~9年(1538~1540): 「与謝郡」の「かやのかなや村」(丹後国御檀家帳、金屋比丘尼城遺跡発掘調査報告書,1980)。
^ ※10: [中世~織豊期] 別項を参照。
^ ※11: 国絵図には「加悦奥村之内」と付記された「有熊」「鳥垣」がほかにある (郷帳には含まれない)。
^ ※12: [中世~織豊期] 本文参照。
^ ※13: 国絵図には「雲原村之内」と付記された「仏谷村」「西石」「山谷」「下村」がほかにある (郷帳には含まれない)。
^ ※14: [新田・分村] 郷帳・国絵図では「十二村枝郷」と付記される。
^ ※15: [中世~織豊期] 康安2年(1362): 「たんはのくにさゝきしもやまのほうちとうしきなかをむらの中いつもりさいけ」(『丹波国佐々木下山保地頭職・長尾村の中行積在家』、宗叶(大中臣宗泰)所領寄進状、福知山市史 史料編1,1978)、永正6年(1509): 「直尾村」(長~、沙弥宗堅田地幷牌前具寄進状、同) ほか。
^ ※16: [中世~織豊期] 康安2年(1362): 「たんはのくにさゝきしもやまのほうちとうしきなかをむらの中いつもりさいけ」(丹波国佐々木下山保地頭職・長尾村の中行積在家、福知山市史 史料編1,1978)。
^ ※17: [中世~織豊期] 文安4年(1447): 「あまさ」(臣唱寺寄進田畠注文、福知山市史 史料編1,1978)。直接的な国郡・広域地名の記載は見当たらない。
^ ※18: 国絵図には「天座村之内」と付記された「登り尾」がほかにある (郷帳には含まれない)。現在の表記は「登尾」。
^ ※19: [中世~織豊期] 嘉暦4年(1329): 「佐〻岐下山保野条村」(治部卿法印某寄進状、福知山市史 史料編 1,1978)、ほか。
^ ※20: 郷帳・国絵図では「下野条村枝郷」と付記される。
^ ※21: [中世~織豊期] 嘉暦4年(1329): 「佐〻岐下山保北村」(預所道戒寄進状、福知山市史 史料編 1,1978)、応安5年(1372): 「丹波国佐〻岐下山保北村」(妙香院門跡令旨・弾正忠久直奉書・法眼大和尚位某山林等寄進状、同)、明徳5年(1394): 「下山保内北村」(沙弥威光(大中臣実宗)文書渡状、同)、ほか。
^ ※22: 郷帳では「古者北村」と付記される。
^ ※23: 現在の表記は「日尾ひのお」。
^ ※24: 郷帳には含まれない。国絵図では「日ノ尾村之内」と付記される。
^ ※25: 国絵図では「上佐々木村枝郷」と付記される。郷帳では「上佐々木村之内」と付記されるが誤りと思われる。
^ ※26: 国絵図・郷帳では「上佐々木村枝郷」と付記される。
^ ※27: 対応する近代の大字は単に「ばた」。
^ ※28: [中世~織豊期] 弘安8年(1285): 「出石郡」の「聖護院御領 薬王寺」(但馬国太田文、兵庫県史 史料編 中世3 播磨佐用地区他,1988)、永享元年(1429): 「但馬国出石郡薬王寺社領」(山名常凞判物、出石町史 第3巻 資料編1,1987)。
^ ※29: [中世~織豊期] 観応3年(1352): 「但馬国太田庄内赤鼻村参分壱地頭軄」(今川頼貞地頭職寄進状、兵庫県史 史料編 中世7,1993)。
^ ※30: 郷帳では「古者 奥赤花村・口赤花村 弐ケ村」(村名は併記) と付記される。
^ ※31: 対応する近代の大字は「奥赤花」、大正6年(1917)「奥赤」へ改称。
^ ※32: 郷帳には含まれない。国絵図では「奥赤花村之内」と付記される。
^ ※33: 明治14年(1881) 中赤花・口赤花 2村で合併し赤花村、したがって対応する近代の大字は「あかばな」。