22.3. 天保郷帳・国絵図の村々
Fig.106 根羽村 (三河・信濃国界): 天正19年(1591)
近世 信濃国 伊那郡 (下条領)
92.
山本村※1※2※3
93.
昼神村※4※5
94.
駒場村※6※7※4
94a.
大野分※7※4※5
95.
上中関村※4※8
96.
97.
向関村※9
98.
小野川村※4※5
99.
備中原村※9
100.
大鹿倉村※9
101.
河内村※9
102.
栗矢村※9
103.
親田村※10※11
104.
山田河内村※12※13
105.
入野村※14※13
106.
鎮西野村※13
107.
新井村※13
108.
仁王関村※13
109.
鷲巣村※15
110.
門原村※15
111.
雲雀沢村※15
112.
古城村※15
113.
浅野村※15
114.
粟野村※15
115.
大平村※15
116.
梅田村※15
117.
北又村※13
118.
菅野村※13
119.
吉岡村※16※13
120.
ごうはら※13
121.
粒良脇村※11
122.
小松原村※11
123.
阿知原村※17※11
124.
新木田村※15
125.
大島村※15
126.
大久保村※18
127.
恩沢村※15
128.
大平大那木村※19※20
129.
深見村※21※19※22
130.
大森平石村※19※20
131.
鴨目村※23※15
132.
神子野谷村※19※20
133.
川田村※19※20
134.
中谷御供村※19※20
135.
平久大窪村※19※24
136.
和知野村※19※24
137.
千木村※19※22
138.
小野村※25※19※26
139.
早稲田村※3※27※19※26
140.
小中尾村※19※26
141.
田上吉田村※19※26
142.
井戸村※19※26
143.
帯川村※28※29
144.
日吉村※28※29
145.
和合村※28※29
146.
なみあい※30※31※32
147.
ひら※30※33※34
148.
根羽村※35
149.
月瀬村※36
150.
うる※28※37
151.
にい※38※28※39
152.
向方むかがた※40※41
153.
坂部村※40※41
154.
福島村※40※41
155.
長沼松島村※40※42
^ ※1: [中世~織豊期] 元亀2年(1571): 「飯沼・山本・毛賀・南山・今田・南原・市田・牛牧・吉田・河野・田村・林・小河・阿嶋・冨田・虎岩・伊久間・松尾・下條・知久衆・今田衆」「以右鄕中之人足、大嶋之普請可相勉」(中黒は筆者が補う、武田信玄朱印状、信濃史料 第13巻(1959)。
^ ※2: 天正6年(1578): 「大宮之一御柱」「山出之人足」「蔦木・原両郷」・「前宮一御柱 伊賀良庄」「山本郷」「中閞郷」(上諏訪造宮帳、新編信濃史料叢書 第2巻(1972)。
^ ※3: 天正7年(1579): 「前宮一之御柱」「下伊那伊賀良庄」「山本之郷」「中閞之郷」「早田之郷」(上諏訪造宮帳、新編信濃史料叢書 第2巻(1972)。
^ ※4: 明治8年(1875) 昼神・駒場・大野分・上中関・中関・小野川の 6村で合併し阿知村、明治14年(1881) 智里村 (昼神・大野分・小野川、および駒場の飛地中野)・駒場村 (駒場)・春日村 (上中関・中堰) に分離。
^ ※5: 対応する近代の大字は「智里」。ただし昭和31年(1956) までは智里村として単独の自治体。
^ ※6: [中世~織豊期] 天正10年(推定,1582): 「人足以下在陣可爲氣遣候條、下條ニテモ、駒場ニテモ、大島ニテモ、二三箇所相拵」(織田信長書状案、信濃史料 第15巻,1960)。
^ ※7: 駒場村は天保郷帳で「古者 駒場村・大野 弐ケ村」(村名は併記) と付記され、元禄郷帳・国絵図には駒場村とは別に「駒場村枝郷」と付記された「大野」がある。天保国絵図で大野分は「駒場村之内」と付記され、郷帳には含まれない。
^ ※8: 対応する近代の大字は「春日」。
^ ※9: 明治8年(1875) 合併し伍和村、したがって対応する近代の大字は「」。
^ ※10: 元禄・天保国絵図にはそれぞれ「親田村ノ内」「親田村之内」と付記された「新田村」が別にある (郷帳には含まれない)。
^ ※11: 明治8年(1875) 合併し睦沢村、したがって対応する近代の大字は「むつざわ」。
^ ※12: 元禄・天保国絵図にはそれぞれ「山田河内村ノ内」「山田河内村之内」と付記された「新田村」が別にある (郷帳には含まれない)。
^ ※13: 明治8年(1875) 合併し陽皐村、したがって対応する近代の大字は「陽皐ひさわ」。
^ ※14: 元禄・天保国絵図にはそれぞれ「入野村ノ内」「入野村之内」と付記された「上野原村」が別にある (郷帳には含まれない)。
^ ※15: 明治8年(1875) 合併し富草村、したがって対応する近代の大字は「富草」。
^ ※16: [中世~織豊期] 天正13年(1585): 「信州伊那郡關鄕義岡觀音堂大前□□」(吉岡観音堂所蔵銅製鰐口銘、信濃史料 第11巻,1958)。
^ ※17: [中世~織豊期] 天正18年(推定,1590): 「下条領以阿知原百十三石五斗」(毛利秀頼黒印状、信濃史料 第17巻,1961)、文禄2年(1593): 「下条領あち𛂞ら」(京極高知宛行状、同)。
^ ※18: [中世~織豊期] 天正6年(1578): 「宮大工精進免之造宮銭次第」「大窪郷」(上諏訪大宮同前宮造宮帳、新編信濃史料叢書 第2巻,1972)。
^ ※19: 明治8年(1875) 合併し (旧)大下条村。
^ ※20: 明治14年(1881) 分村し北条村、したがって対応する近代の大字は「きたじょう」。
^ ※21: 元禄・天保国絵図にはそれぞれ「深見村ノ内」「深見村之内と付記された「蕨平村」が別にある (郷帳には含まれない)。
^ ※22: 明治14年(1881) 分村し東条村、したがって対応する近代の大字は「ひがしじょう」。
^ ※23: 天保郷帳では「古者 鴨目村・鳥原村 弐ケ村」(村名は併記) と付記され、元禄郷帳・国絵図には「鳥原村」が別にある。
^ ※24: 明治14年(1881) 分村し南条村、したがって対応する近代の大字は「みなみじょう」。
^ ※25: 元禄・天保国絵図にはそれぞれ「小野村ノ内」「小野村之内」と付記された「見難村」が別にある (郷帳には含まれない)。
^ ※26: 明治14年(1881) 分村し西条村、したがって対応する近代の大字は「西にしじょう」。
^ ※27: 元禄郷帳・国絵図ではそれぞれ「古ハ早稲田古市場村」「古ハ早田古市場村」と付記される。
^ ※28: 明治8年(1875) 帯川・日吉・和合・売木・新野の 5村で合併し旦開あさげ村、明治14年(1881) 和合村 (帯川・日吉・和合)・売木村 (売木)・旦開村 (新野) に分離。
^ ※29: 対応する近現代の大字は「和合」だが、昭和23~32年(1948~1957) は単独の自治体。
^ ※30: [中世~織豊期] 天文2年(1533) 5月19日: 「ツマゴニ一宿也」「妻子ハ木曽一家也云々、則木曽路之内也」・5月20日: 「妻子ヲ立テ、道二里広瀬迄妻子ヨリ」など・10月4日: 「自下条タウケ迄路五十町」「自下条路三里、波逢一宿」・10月5日: 「立波逢、路三里、比良屋仁昼休、比良屋地頭自治部所送有之」 (天文二年信州下向記、新編信濃史料叢書 第10巻,1974)。
^ ※31: [中世~織豊期] 元亀3年(推定,1572): 「下条者、波合口・新野口以下貴賤上下共、人数悉召連警固、自身者山本在陣之事」(武田家朱印状、本川根町史 資料編1 古代中世,1998)。
^ ※32: 対応する近代の大字は「波合」、ただし昭和9年(1934)~平成18年(2006) は浪合村として単独の自治体、現在の表記は「浪合」。
^ ※33: [中世~織豊期] 文禄2年(推定,1593): 「如前〻平屋ニ候て」(京極高知黒印状、信濃史料 第18巻,1962)、同: 「如前〻平屋ニ立帰」(今村秀次等副状、同)。
^ ※34: 対応する近代の大字は「平谷」、ただし昭和9年(1934) 以降は単独の自治体。
^ ※35: 現在まで単独の自治体として存続している。
^ ※36: 明治8年(1875) 根羽村に編入、したがって対応する近代の大字は存在しない。
^ ※37: 対応する近代の大字は「売木」、ただし昭和23年(1948) 以降は単独の自治体。
^ ※38: 元禄・天保国絵図には「新野村ノ内」「新野村之内」と付記された「矢野村」がほかにある (郷帳には含まれない)。
^ ※39: 対応する近代の大字は「新野」、ただし昭和32年(1957) までは旦開村として単独の自治体。
^ ※40: 明治8年(1875) 4村で合併し神原村。
^ ※41: 対応する近代の大字は「神原」、ただし昭和31年(1956) までは神原村として単独の自治体。
^ ※42: 明治16年(1883) 長島村としてに分離、したがって対応する近代の大字は「長島」。