| ^ ※1: | [中世~織豊期] 元亀2年(1571): 「飯沼・山本・毛賀・南山・今田・南原・市田・牛牧・吉田・河野・田村・林・小河・阿嶋・冨田・虎岩・伊久間・松尾・下條・知久衆・今田衆」「以右鄕中之人足、大嶋之普請可相勉」(中黒は筆者が補う、武田信玄朱印状、信濃史料 第13巻(1959)。 |
| ^ ※2: | 天正6年(1578): 「大宮之一御柱」「山出之人足」「蔦木・原両郷」・「前宮一御柱 伊賀良庄」「山本郷」「中閞郷」(上諏訪造宮帳、新編信濃史料叢書 第2巻(1972)。 |
| ^ ※3: | 天正7年(1579): 「前宮一之御柱」「下伊那伊賀良庄」「山本之郷」「中閞之郷」「早田之郷」(上諏訪造宮帳、新編信濃史料叢書 第2巻(1972)。 |
| ^ ※4: | 明治8年(1875) 昼神・駒場・大野分・上中関・中関・小野川の 6村で合併し阿知村、明治14年(1881) 智里村 (昼神・大野分・小野川、および駒場の飛地中野)・駒場村 (駒場)・春日村 (上中関・中堰) に分離。 |
| ^ ※5: | 対応する近代の大字は「智里」。ただし昭和31年(1956) までは智里村として単独の自治体。 |
| ^ ※6: | [中世~織豊期] 天正10年(推定,1582): 「人足以下在陣可爲氣遣候條、下條ニテモ、駒場ニテモ、大島ニテモ、二三箇所相拵」(織田信長書状案、信濃史料 第15巻,1960)。 |
| ^ ※7: | 駒場村は天保郷帳で「古者 駒場村・大野 弐ケ村」(村名は併記) と付記され、元禄郷帳・国絵図には駒場村とは別に「駒場村枝郷」と付記された「大野」がある。天保国絵図で大野分は「駒場村之内」と付記され、郷帳には含まれない。 |
| ^ ※8: | 対応する近代の大字は「春日」。 |
| ^ ※9: | 明治8年(1875) 合併し伍和村、したがって対応する近代の大字は「伍和」。 |
| ^ ※10: | 元禄・天保国絵図にはそれぞれ「親田村ノ内」「親田村之内」と付記された「新田村」が別にある (郷帳には含まれない)。 |
| ^ ※11: | 明治8年(1875) 合併し睦沢村、したがって対応する近代の大字は「睦沢」。 |
| ^ ※12: | 元禄・天保国絵図にはそれぞれ「山田河内村ノ内」「山田河内村之内」と付記された「新田村」が別にある (郷帳には含まれない)。 |
| ^ ※13: | 明治8年(1875) 合併し陽皐村、したがって対応する近代の大字は「陽皐」。 |
| ^ ※14: | 元禄・天保国絵図にはそれぞれ「入野村ノ内」「入野村之内」と付記された「上野原村」が別にある (郷帳には含まれない)。 |
| ^ ※15: | 明治8年(1875) 合併し富草村、したがって対応する近代の大字は「富草」。 |
| ^ ※16: | [中世~織豊期] 天正13年(1585): 「信州伊那郡關鄕義岡觀音堂大前□□」(吉岡観音堂所蔵銅製鰐口銘、信濃史料 第11巻,1958)。 |
| ^ ※17: | [中世~織豊期] 天正18年(推定,1590): 「下条領以阿知原百十三石五斗」(毛利秀頼黒印状、信濃史料 第17巻,1961)、文禄2年(1593): 「下条領あち𛂞ら」(京極高知宛行状、同)。 |
| ^ ※18: | [中世~織豊期] 天正6年(1578): 「宮大工精進免之造宮銭次第」「大窪郷」(上諏訪大宮同前宮造宮帳、新編信濃史料叢書 第2巻,1972)。 |
| ^ ※19: | 明治8年(1875) 合併し (旧)大下条村。 |
| ^ ※20: | 明治14年(1881) 分村し北条村、したがって対応する近代の大字は「北条」。 |
| ^ ※21: | 元禄・天保国絵図にはそれぞれ「深見村ノ内」「深見村之内と付記された「蕨平村」が別にある (郷帳には含まれない)。 |
| ^ ※22: | 明治14年(1881) 分村し東条村、したがって対応する近代の大字は「東条」。 |
| ^ ※23: | 天保郷帳では「古者 鴨目村・鳥原村 弐ケ村」(村名は併記) と付記され、元禄郷帳・国絵図には「鳥原村」が別にある。 |
| ^ ※24: | 明治14年(1881) 分村し南条村、したがって対応する近代の大字は「南条」。 |
| ^ ※25: | 元禄・天保国絵図にはそれぞれ「小野村ノ内」「小野村之内」と付記された「見難村」が別にある (郷帳には含まれない)。 |
| ^ ※26: | 明治14年(1881) 分村し西条村、したがって対応する近代の大字は「西条」。 |
| ^ ※27: | 元禄郷帳・国絵図ではそれぞれ「古ハ早稲田古市場村」「古ハ早田古市場村」と付記される。 |
| ^ ※28: | 明治8年(1875) 帯川・日吉・和合・売木・新野の 5村で合併し旦開村、明治14年(1881) 和合村 (帯川・日吉・和合)・売木村 (売木)・旦開村 (新野) に分離。 |
| ^ ※29: | 対応する近現代の大字は「和合」だが、昭和23~32年(1948~1957) は単独の自治体。 |
| ^ ※30: | [中世~織豊期] 天文2年(1533) 5月19日: 「ツマゴニ一宿也」「妻子ハ木曽一家也云々、則木曽路之内也」・5月20日: 「妻子ヲ立テ、道二里広瀬迄妻子ヨリ」など・10月4日: 「自下条タウケ迄路五十町」「自下条路三里、波逢一宿」・10月5日: 「立波逢、路三里、比良屋仁昼休、比良屋地頭自治部所送有之」 (天文二年信州下向記、新編信濃史料叢書 第10巻,1974)。 |
| ^ ※31: | [中世~織豊期] 元亀3年(推定,1572): 「下条者、波合口・新野口以下貴賤上下共、人数悉召連警固、自身者山本在陣之事」(武田家朱印状、本川根町史 資料編1 古代中世,1998)。 |
| ^ ※32: | 対応する近代の大字は「波合」、ただし昭和9年(1934)~平成18年(2006) は浪合村として単独の自治体、現在の表記は「浪合」。 |
| ^ ※33: | [中世~織豊期] 文禄2年(推定,1593): 「如前〻平屋ニ候て」(京極高知黒印状、信濃史料 第18巻,1962)、同: 「如前〻平屋ニ立帰」(今村秀次等副状、同)。 |
| ^ ※34: | 対応する近代の大字は「平谷」、ただし昭和9年(1934) 以降は単独の自治体。 |
| ^ ※35: | 現在まで単独の自治体として存続している。 |
| ^ ※36: | 明治8年(1875) 根羽村に編入、したがって対応する近代の大字は存在しない。 |
| ^ ※37: | 対応する近代の大字は「売木」、ただし昭和23年(1948) 以降は単独の自治体。 |
| ^ ※38: | 元禄・天保国絵図には「新野村ノ内」「新野村之内」と付記された「矢野村」がほかにある (郷帳には含まれない)。 |
| ^ ※39: | 対応する近代の大字は「新野」、ただし昭和32年(1957) までは旦開村として単独の自治体。 |
| ^ ※40: | 明治8年(1875) 4村で合併し神原村。 |
| ^ ※41: | 対応する近代の大字は「神原」、ただし昭和31年(1956) までは神原村として単独の自治体。 |
| ^ ※42: | 明治16年(1883) 長島村としてに分離、したがって対応する近代の大字は「長島」。 |