| ^ ※1: | 正保・元禄郷帳との対照を含む。 |
| ^ ※2: | 伊勢国の正保郷帳では「初神村」。 |
| ^ ※3: | [中世~織豊期] 延文5年~卓治3年(1360~1364): 「伊勢國」の「押淵御園」(『神鳳鈔』)、ほか。 |
| ^ ※4: | 天保郷帳では「古者 押渕村・ふく浦新田村 弐ケ村」(村名は併記) と付記され、国絵図には「押渕村之内」と付記された「福浦新田」が別にある。 |
| ^ ※5: | [中世~織豊期] 応仁3年(1469) 3月: 「佐伊田」(氏経神事記、大神宮叢書 第5 前篇,1938)、ほか。 |
| ^ ※6: | [中世~織豊期] 康永3年(1344): 「伊勢路」(法楽寺文書紛失記、南勢町誌,1985)。 |
| ^ ※7: | 天保郷帳では「古者 伊勢路村・くゝ𛃶道村・まめ𛄋ら村・五反垣内村・ふ𛁠谷村 五ケ村」(前3村・後2村で併記) と付記され、国絵図には「伊勢路村之内」と付記された「くゞ𛃶道」「まめ𛄋ら」「五反垣内」「𛂱た谷」がそれぞれ別にある。元禄郷帳には「伊勢路村枝郷」と付記された「伊勢路村枝郷 くゝり道村」「伊勢路村枝郷 まめ𛄌 ら村」「伊勢路村枝郷 五反垣内村」「伊勢路村枝郷 ふ𛁠谷村」がそれぞれ別にある。 |
| ^ ※8: | 天保郷帳では「内瀬・伊勢路・斎田」を冠称した「三ケ村請新田」、国絵図では「内瀬村・伊勢路村・斎田村 請新田」。どれも村名は併記される。 |
| ^ ※9: | 伊勢国の正保郷帳には含まれない。 |
| ^ ※10: | [中世~織豊期] 建久3年(1192): 「船越」「佐々良」「奈井瀬」「贄」(皇太神宮年中行事、松阪市史 第3巻 史料篇 史料篇 古代・中世,1980)、建長4年(1252): 「太神宮御領内瀬御園」(祭主大中臣隆世解案、日本塩業大系 史料編 古代・中世2,1977)、建長年間(1249~1256): 「志摩國奈井瀬村」(阿闍梨静真申状案、同)、ほか。 |
| ^ ※11: | 天保郷帳では「古者 内瀬村・向井村 弐ケ村」(村名は併記) と付記され、国絵図には「内瀬村之内」と付記された「向井」が別にある。元禄郷帳には「内瀬村枝郷」と付記された「向井村」が別にある。 |
| ^ ※12: | 天保郷帳では「古者 迫間村」と付記され、元禄郷帳では「迫間村」。 |
| ^ ※13: | 伊勢国の正保郷帳では「廻間浦」。 |
| ^ ※14: | [古代~織豊期] 承平年間(931~938): 志摩國 英虞郡 船越郷 (和名類聚抄)、延文5年~卓治3年(1360~1364): 「南舩越御厨」(『神鳳鈔』)、ほか。 |
| ^ ※15: | [中世~織豊期] 元亨3年(1323): 「志摩国切原御薗」(大蔵卿冬方下知状、南勢町誌,1985)、南北朝期: 延文5年~卓治3年(1360~1364): 「切原御園」(『神鳳鈔』)、ほか。 |
| ^ ※16: | [中世~織豊期] 天文23年(1554): 「ひやま」「山原」(下之郷村南氏所蔵文書、鳥羽誌,1911/1975)。 |
| ^ ※17: | 天保郷帳では「古者 山原村・夏草新田 弐ケ村」(村名は併記) と付記され、国絵図には「山原村之内」と付記された「夏草」が別にある。元禄郷帳には「山原村枝郷」と付記された「夏草新田」が別にある。 |
| ^ ※18: | [中世~織豊期] 延文5年~卓治3年(1360~1364): 「上津長御厨」(『神鳳鈔』)。 |
| ^ ※19: | 伊勢国の正保郷帳では単に「下津浦」。 |
| ^ ※20: | 天保郷帳では「古者 宿浦・竈 弐ケ村」(村名は併記) と付記され、国絵図には「宿浦之内」と付記された「竈」が別にある。元禄郷帳では「宿浦枝郷」と付記された「竈」が別にある。 |
| ^ ※21: | [中世~織豊期] 延文5年~卓治3年(1360~1364): 「中津浜御厨」(『神鳳鈔』)。 |
| ^ ※22: | 伊勢国の正保郷帳では単に「中津浜」。 |
| ^ ※23: | [中世~織豊期] 建久3年(1192): 「船越」「佐々良」「奈井瀬」「贄」皇太神宮年中行事、松阪市史 第3巻 史料篇 史料篇 古代・中世,1980)、延文5年~卓治3年(1360~1364): 「佐〻良御厨」(『神鳳鈔』)。 |
| ^ ※24: | [中世~織豊期] 延文5年~卓治3年(1360~1364): 「相可御厨」(『神鳳鈔』)、康永3年(1344): 「志摩国木本・相哥」(法眼良雅寄進状写、志摩国木本御厨関係史料 荘司家文書の紹介を中心に 下, 惠良, 史料 皇學館大學史料編纂所報 第131号,1994)。 |
| ^ ※25: | [新田・分村] 天保郷帳・国絵図とも「相賀村枝郷」と付記される。 |
| ^ ※26: | [中世~織豊期] 延文5年~卓治3年(1360~1364): 「大久田御厨」(『神鳳鈔』)、ほか。 |
| ^ ※27: | 天保郷帳・国絵図では地名は併記される。 |
| ^ ※28: | 天保郷帳では「大江村枝郷」と付記されるが、国絵図では付記されない。漏れと思われる。 |
| ^ ※29: | 天保郷帳では「古者 道行竈・大方竈 弐ケ村」(村名は併記) と付記され、元禄郷帳には「大方村枝郷」と付記された「大方竃」「道行竃」がそれぞれ別にある。 |
| ^ ※30: | 天保郷帳・国絵図とも「大江村枝郷」と付記される。 |
| ^ ※31: | [中世~織豊期] 治承5年(1181) 2月: 「阿曾御園」(皇太神宮神主牒案、和歌山県史 古代史料2,1989)、延文5年~卓治3年(1360~1364): 「阿曽御厨」(ただし『薗』の付記がある、『神鳳鈔』)、ほか。 |
| ^ ※32: | [中世~織豊期] 建久3年(1192): 「船越」「佐々良」「奈井瀬」「贄」(皇太神宮年中行事、松阪市史 第3巻 史料篇 史料篇 古代・中世,1980)、延文5年~卓治3年(1360~1364): 「贄嶋」(『神鳳鈔』)。 |
| ^ ※33: | [古代~織豊期] 承平年間(931~938): 志摩國 英虞郡 道浮郷 (道潟郷、和名類聚抄)、延文5年~卓治3年(1360~1364): 「志摩國」の「道方」(『神鳳鈔』)。 |
| ^ ※34: | [中世~織豊期] 建仁2年~承元4年(1202~1210): 「志摩國」の「慥柄神戶」(神宮雑例集、新編一宮市史 資料編 補遺2,1980)、延文5年~卓治3年(1360~1364): 「志摩國」の「慥柄」(『神鳳鈔』)、ほか。 |
| ^ ※35: | 天保郷帳では「古者 慥柄村」と付記され、元禄郷帳では「慥柄村」。 |
| ^ ※36: | 天保郷帳では「古者 東宮村・た𛂁せ村・小納戸新田 三ケ村」(村名は併記) と付記され、国絵図には「東宮村之内」と付記された「た𛂂せ」「小納戸新田」が別にある。元禄郷帳には「東宮村枝郷」と付記された「た𛂁せ村」「小納戸新田」がそれぞれ別にある。 |
| ^ ※37: | [新田・分村] 天保郷帳・国絵図では「東宮村枝郷」と付記される。 |
| ^ ※38: | 天保郷帳では「古者 奈屋村」と付記され、元禄郷帳では「東宮村枝郷」と付記された「奈屋村」。 |
| ^ ※39: | 正保郷帳では「東宮村・奈屋浦」(村名は併記)。 |
| ^ ※40: | 天保郷帳では「古者 村山村 伊勢路村 弐ケ村」(村名は併記) と付記され、国絵図には「村山村之内」と付記された「伊勢路」が別にある。元禄郷帳には「村山村枝郷」と付記された「伊勢路村」が別にある。 |
| ^ ※41: | 天保郷帳では「古者 神崎村」と付記され、元禄郷帳では「神前浦」(ただし『村』ではない)。 |
| ^ ※42: | 伊勢国の正保郷帳では「神前浦」。 |
| ^ ※43: | [古代] 承平年間(931~938): 志摩國 英虞郡 芳草郷 (和名類聚抄)。 |
| ^ ※44: | 天保郷帳では「古者 古和浦・なとじ・あろじ 三ケ村」(村名は併記) と付記され、国絵図には「古和浦之内」付記された「𛂁とし」「あろし」がほかにある。元禄郷帳には「古和浦枝郷」と付記された「𛂁とし新田」「𛀄𛄆し新田」がそれぞれほかにある。 |
| ^ ※45: | 天保郷帳・国絵図とも地名は併記される。 |
| ^ ※46: | 天保郷帳では「古和浦枝郷」と付記されるが、国絵図では付記されない。漏れと思われる。 |
| ^ ※47: | 天保郷帳では「古者 赤崎竈・栃木竈 弐ケ村」(村名は併記) と付記され、元禄郷帳には「古和浦枝郷」と付記された栃木竃と赤崎竃がそれぞれほかにある。 |
| ^ ※48: | [新田・分村] 天保郷帳・国絵図とも「古和浦枝郷」と付記される。 |
| ^ ※1: | 天保郷帳では「古者 盛松村・たのも村 弐ケ村」(村名は併記) と付記され、国絵図には「盛松浦新田」と付記された「頼母」が別にある。 |
| ^ ※2: | [中世~織豊期] 正中2年(1325): 「志磨國久木庄」(関東下知状、大日本古文書 家わけ 15 山内首藤家文書,1940)。 |
| ^ ※3: | 天保郷帳では「古者 九鬼浦」と付記される。明治22年~昭和29年の表記は「九木」(九鬼村 九木浦)、昭和29年以降の表記は「九鬼」(尾鷲市 九鬼町)。 |
| ^ ※4: | 天保郷帳・国絵図では「尾鷲」を冠称する。 |
| ^ ※5: | 天保郷帳では「古者 中井村・山田村 弐ケ村」(村名は併記) と付記され、国絵図には「中井浦之内」と付記された「山田」が別にある。 |
| ^ ※6: | 天保郷帳では「古者 堀村・北村 弐ケ村」(村名は併記) と付記される。 |
| ^ ※7: | 天保郷帳では「古者 南村・日尻野村 弐ケ村」(村名は併記) と付記され、国絵図には「南浦新田」と付記された「日尻野」が別にある。 |
| ^ ※8: | 天保国絵図では「水地浦」。 |
| ^ ※9: | [中世~織豊期] 延文5年~卓治3年(1360~1364): 「志摩國」の「須賀利御厨」(『神鳳鈔』)。 |
| ^ ※10: | 天保郷帳では「古者 島勝浦・中熊村 弐ケ村」(村名は併記) と付記され、国絵図には「島勝浦之内」と付記された「中熊」が別にある。 |
| ^ ※11: | [中世~織豊期] 延文5年~卓治3年(1360~1364): 「志摩國」の「伊熊御厨」(『神鳳鈔』)、元弘3年(1333): 「きいのくにいくまの荘」(小山文書、大日本史料 第6編之1,1901)、ほか。 |
| ^ ※12: | 天保国絵図では「矢口浦之内」と付記される。郷帳には含まれないが、矢口浦に「古者 矢口村・伊熊村 弐ケ村」(村名は併記) と付記される。 |
| ^ ※13: | [中世~織豊期] 正応6年(1293): 「引もと」「ひきもと」(はたのひさすみ置文、志摩国木本御厨関係史料 荘司家文書の紹介を中心に 下, 惠良, 史料 皇學館大學史料編纂所報 第131号,1994)。 |
| ^ ※14: | [中世~織豊期] 延文5年~卓治3年(1360~1364): 「志摩國」の「小山御薗」(『神鳳鈔』)。 |
| ^ ※15: | 天保郷帳では「古者 便ノ山村・木津村 弐ケ村」(村名は併記) と付記され、国絵図には「便ノ山之内」と付記された「木津」が別にある。 |
| ^ ※16: | [中世~織豊期] 寛治8年(1094): 「木本御厨」(大中臣某下文、志摩国木本御厨関係史料 荘司家文書の紹介を中心に 上, 惠良, 史料 皇學館大學史料編纂所報 第130号,1994)、寛喜3年(1231): 「志摩国木本御厨」(地頭源某下文、同)、弘安7年(1284): 「志摩領国永富名内」の「木本嶋」(領家二位家政所下文案、同下, 惠良, 同第131号,1994)、同: 「合賀木本御厨」「合賀木本両嶋」(亀山上皇院宣案、同)、弘安9年(1286): 「志摩国長嶋并合賀木本御厨」(二条鎌倉法印下文案、同)、延文5年~卓治3年(1360~1364): 「志摩國」の「木本御厨」(『神鳳鈔』)、ほか。なお、弘長2年(1262) 某袖判下文 (同) のみ「伊勢国木本御厨」とあるが、ほかの国名を含む文書ではすべて志摩国。 |
| ^ ※17: | 天保郷帳では「古者 粉本村・渡村 弐ケ村」(村名は併記) と付記され、国絵図には「古ノ本村之内」と付記された「渡」が別にある。 |
| ^ ※18: | 明治9年(1876) 相賀村に改称、したがって対応する近代の大字は「相賀」。 |
| ^ ※19: | 天保郷帳では「古者 船津村・新田村 弐ケ村」(村名は併記) と付記され、国絵図には「船津村之内」と付記された「阿薗新田」が別にある。 |
| ^ ※20: | 天保郷帳では「古者 上里村・鳥居崎村 弐ケ村」(村名は併記) と付記され、国絵図には「上里村之内」と付記された「鳥居崎」が別にある。 |
| ^ ※21: | 貞和4年(1348): 「みう羅」(木本近隣島々領主約定状案、志摩国木本御厨関係史料 荘司家文書の紹介を中心に 下, 惠良, 史料 皇學館大學史料編纂所報 第131号,1994)。 |
| ^ ※22: | [新田・分村] 紀州御検地帳に含まれない。 |
| ^ ※23: | 天保郷帳では「古者 海野浦・古里村 弐ケ村」(村名は併記) と付記され、国絵図には「海野浦之内」と付記された「古里」が別にある。 |
| ^ ※24: | 弘安9年(1286): 「志摩国長嶋并合賀木本御厨」(二条鎌倉法印下文案、志摩国木本御厨関係史料 荘司家文書の紹介を中心に 下, 惠良, 史料 皇學館大學史料編纂所報 第131号,1994)、延文5年~卓治3年(1360~1364): 「志摩國」の「中嶋御厨」(『神鳳鈔』)。 |
| ^ ※25: | 天保郷帳では「古者 長島浦・出垣内村・中島村 三ケ村」(村名は併記) と付記され、国絵図には「長島浦之内」と付記された「出垣内」「中島」が別にある。 |
| ^ ※26: | [古代~織豊期] 承平年間(931~938): 志摩国 英虞郡 二色郷 (和名類聚抄)、延文5年~卓治3年(1360~1364): 「志摩國」の「錦御厨」(『神鳳鈔』)。 |
| ^ ※27: | 天保郷帳では「古者 錦浦・河内村 弐ケ村」(村名は併記) と付記され、国絵図には「錦浦之内」と付記された「河内」が別にある。 |
| ^ ※28: | [中世~織豊期] 弘安2年(1279) 10月: 「丹嶋御厨」(兼仲卿記弘安六年冬巻裏文書、紀伊長島町史,1985)、徳治2年(1307) 2月18日: 「にのしま」「あかは」(附録所収庄司氏蔵文書、紀伊続風土記)、延文5年~卓治3年(1360~1364): 「志摩國」の「丹嶋御厨」(『神鳳鈔』)、ほか。 |
| ^ ※29: | 天保郷帳では「古者二江村」と付記される。 |
| ^ ※30: | 対応する近代の大字は「二郷」、昭和25年(1950)「東長島」に改称。 |
| ^ ※31: | 天保郷帳では「古者 前山村・樫木江村・志こ村 三ケ村」(村名は併記) と付記され、国絵図には「前山村之内」と付記された「樫木江」「志子」が別にある。 |
| ^ ※32: | 明治9年(1876) 前山村・中桐 2村で合併し島原村、したがって対応する近代の大字は「島原」。 |
| ^ ※33: | 天保郷帳では「古者 中桐村・志こ村 弐ケ村」(村名は併記) と付記され、国絵図には「中桐村之内」と付記された「志子」が別にある。 |
| ^ ※34: | 天保郷帳では「古者 大原村 三江村・下河内村・三ケ村」(村名は併記) と付記され、国絵図には「大原村之内」と付記された「三江」「下河内」が別にある。 |
| ^ ※35: | 天保郷帳では「古者 十須村・浅柄村 弐ケ村」(村名は併記) と付記され、国絵図には「十須村之内」と付記された「三江」「浅柄」が別にある。 |
| ^ ※36: | 天保郷帳では「古者 江龍村 中原村 弐ケ村」(村名は併記) と付記され、国絵図には「江龍村之内」と付記された「中原」が別にある。 |
| ^ ※37: | 明治7年(1874) 十須村に編入、したがって対応する近代の大字は存在しない。 |