| ^ ※1: | 元禄郷帳・国絵図との対照を含む。 |
| ^ ※2: | 天保国絵図には、2村で合併して家和楽村になった、という旨の付箋が貼られている。 |
| ^ ※3: | 対応する近代の大字は「家和楽」。 |
| ^ ※4: | 天保国絵図には、盛金村に改称、という旨の付箋が貼られている。 |
| ^ ※5: | 対応する近代の大字は「盛金」。 |
| ^ ※6: | 天保郷帳では「古者 追原畠村」と付記され、元禄郷帳・国絵図では追原畑村。新編常陸国誌によれば天明6年(1786) の改称。 |
| ^ ※7: | 天保国絵図には、2村で合併して北富田村になった、という旨の付箋が貼られている。新編常陸国誌によれば天保13年(1842) の合併。 |
| ^ ※8: | 対応する近代の大字は「北富田」。 |
| ^ ※9: | 元禄郷帳では武生新田村 (国絵図では折り目にあるため不明だが、天保国絵図では武弓山とある近くの山が武生山)。 |
| ^ ※10: | 現在の表記は「武生」。 |
| ^ ※11: | 元禄郷帳・国絵図では「高倉村ノ内」、天保郷帳・国絵図では「高倉村枝郷」と付記される。 |
| ^ ※12: | 対応する近代の大字は存在しない。新編常陸国誌によれば天保13年(1842) 高倉村に編入。 |
| ^ ※13: | 元禄郷帳では「古ハ下高倉村」付記される。 |
| ^ ※14: | [中世~織豊期] 元弘3年(1333): 「高倉」(河会氏由緒書、大子町史 資料編 上巻 原始・古代・中世・近世,1984)、文和4年(1355): 「同国久慈東郡内高倉郷」(同国 = 常陸国、佐竹義篤譲状、いわき市史 第8巻 原始・古代・中世資料,1976)、ほか。 |
| ^ ※15: | 元禄郷帳では「古ハ上高倉村」付記される。 |
| ^ ※16: | 天保国絵図には、上下高倉村に分村、という旨の付箋が貼られている。 |
| ^ ※17: | 対応する近代の大字は上高倉・下高倉。 |
| ^ ※18: | [中世~織豊期] 応永32年(1425): 「奥州依上保比富士村」(結城氏朝(カ)証状、大子町史 資料編 上巻 原始・古代・中世・近世,1984)、永正8年(1511): 「ころふし」(依上保目録、同)。 |
| ^ ※19: | 天保郷帳では「古者 塩沢村」と付記され、元禄郷帳・国絵図では塩沢村。 |
| ^ ※20: | 対応する近代の大字は存在しない。新編常陸国誌によれば天保13年(1842) 大沢村に編入。 |
| ^ ※21: | [中世~織豊期] 永正8年(1511): 「たけ」(依上保目録、大子町史 資料編 上巻 原始・古代・中世・近世,1984)、天文5年(1536):「竹」佐竹義篤知行充行状写、同)。 |
| ^ ※22: | [中世~織豊期] 天文5年(1536): 「依上之内久野瀬」(佐竹義篤知行充行状、大子町史 資料編 上巻 原始・古代・中世・近世,1984)。 |
| ^ ※23: | [中世~織豊期] 元弘3年(1333): 「袋田」(河会氏由緒書、大子町史 資料編 上巻 原始・古代・中世・近世,1984)、永正8年(1511): 「袋田」(依上保目録、同)、ほか。 |
| ^ ※24: | [中世~織豊期] 永享8年(1436): 「なませ」(女とう知行充行状、大子町史 資料編 上巻 原始・古代・中世・近世,1984)、永正8年(1511): 「なませ」依上保目録、同)、ほか。 |
| ^ ※25: | [中世~織豊期] 永正8年(1511): 「たか四は」(依上保目録、大子町史 資料編 上巻 原始・古代・中世・近世,1984)。 |
| ^ ※26: | [中世~織豊期] 元弘3年(1333): 「大野」(河会氏由緒書、大子町史 資料編 上巻 原始・古代・中世・近世,1984)、永正8年(1511): 「おふの」(依上保目録、同)。 |
| ^ ※27: | 天保国絵図では、内外大野村に分村、という旨の付箋が貼られている。 |
| ^ ※28: | 現在の大字は内大野・大大野。新編常陸によれば天保13年(1842) の分村。 |
| ^ ※29: | [中世~織豊期] 永正8年(1511): 「いけた」(依上保目録、大子町史 資料編 上巻 原始・古代・中世・近世,1984)、文禄5年(1596): 「いけ田」(佐竹義宣知行充行状、茨城県史料 中世編5,1994)、ほか。 |
| ^ ※30: | [中世~織豊期] 年不詳 (戦国期~織豊期): 「たいこ」(某知行充行状写、茨城県史料 中世編2,1974)。 |
| ^ ※31: | 対応する近代の大字は存在しない。新編常陸国誌によれば天保13年(1842) 大子村に編入。 |
| ^ ※32: | 対応する近代の大字は「上岡」。新編常陸国誌によれば天保13年(1842) に合併。 |
| ^ ※33: | [中世~織豊期] 永享2年(1430): 「依上保内山田村」(結城(白川)氏朝寄進状、大子町史 資料編 上巻 原始・古代・中世・近世,1984)、永正8年(1511): 「やま田」(依上保目録、同)、ほか。 |
| ^ ※34: | 元禄郷帳・国絵図では杤原村。 |
| ^ ※35: | [新田・分村] 元禄郷帳・国絵図・天保郷帳には含まれない。国絵図では、大沢村・栃原村・開田村・下小川村より分村された久隆村、という旨の付箋が相当する位置にある。 |
| ^ ※36: | [中世~織豊期] 永和3年(1377): 「より上の内、あゆ河の郷内上 (上あゆ河、中あゆ河)」「山井内とつかの村」(結城朝治譲状、大子町史 資料編 上巻 原始・古代・中世・近世,1984)、応永6年(1399): 「同国依上保内鮎河上中両郷」(同=陸奥国、足利満貞預ケ状写、同)、永正8年(1511): 「あゆかは」(依上保目録、同)、文禄4年(1595): 「愛川」(佐竹義宣知行充行状、同)、ほか。 |
| ^ ※37: | 天保郷帳では「古者 相川新田」と付記され、元禄郷帳・国絵図では「相川新田村」。 |
| ^ ※38: | 対応する近代の大字は存在しない。新編常陸国誌によれば天保13年(1842) 相川村に編入。 |
| ^ ※39: | [新田・分村] 元禄郷帳・国絵図・天保郷帳には含まれない。天保国絵図には、開田村 (下金沢村)・上金沢村から分村された田野沢村、という旨の付箋が相当する位置にある。 |
| ^ ※40: | [中世~織豊期] 永正8年(1511): 「せき田」(依上保目録、大子町史 資料編 上巻 原始・古代・中世・近世,1984)、永禄6年(1563): 「關田村金澤」(関田村十二天鰐口銘、水府志料)、元亀4年(1573): 「開田恵福寺」(同寺鐘銘写、常陸国郡郷考)、文禄4年(1595): 「金澤村」(佐竹義宣知行充行状写、茨城県史料 中世編2,1974)、ほか。 |
| ^ ※41: | 天保郷帳では「古者 下金沢村」と付記され、元禄郷帳・国絵図では下金沢村。ただし天保国絵図では、下金沢村に改称された、という旨の付箋が貼られている。新編常陸国誌によれば享保6年(1721) 開田村に改称、天保13年(1842) に金沢村に改称。 |
| ^ ※42: | [中世~織豊期] 永正8年(1511): 「はなハ」(依上保目録、大子町史 資料編 上巻 原始・古代・中世・近世,1984)。 |
| ^ ※43: | [中世~織豊期] 永正8年(1511) 8月3日: 「くわから」(依上保目録、大子町史 資料編 上巻 原始・古代・中世・近世,1984)、天文5年(1536): 「依上鍬柄」(佐竹義篤知行充行状写、同)、文禄4年(1595): 「くわから」(佐竹義宣知行充行状写、同)。 |
| ^ ※44: | [中世~織豊期] 永正8年(1511): 「はつハら」(依上保目録、大子町史 資料編 上巻 原始・古代・中世・近世,1984)。 |
| ^ ※45: | [中世~織豊期] 永享8年(1436): 「大日本國奧州寄神保內芦野倉村」(慶福寺阿弥陀堂棟木銘写、水府志料)、永正8年(1511): 「あしの蔵」(依上保目録、大子町史 資料編 上巻 原始・古代・中世・近世,1984)、ほか。 |
| ^ ※46: | [中世~織豊期] 永正8年(1511): 「たかをか」(依上保目録、大子町史 資料編 上巻 原始・古代・中世・近世,1984)、文禄4年(1595): 「高岡」(佐竹義宣知行充行状、同)。 |
| ^ ※47: | [中世~織豊期] 永正8年(1511): 「いやたの」(依上保目録、大子町史 資料編 上巻 原始・古代・中世・近世,1984)、ほか。 |
| ^ ※48: | 国絵図では、2村で合併して矢田村となった、という旨の付箋が貼られている。新編常陸によれば天保13年(1842) 合併。 |
| ^ ※49: | 対応する近代の大字は「矢田」。 |
| ^ ※50: | [中世~織豊期] 永正8年(1511): 「あさ川」(依上保目録、大子町史 資料編 上巻 原始・古代・中世・近世,1984)。 |
| ^ ※51: | 天保郷帳では「冥賀村」。 |
| ^ ※52: | 現在の表記は「冥賀」。 |
| ^ ※53: | [中世~織豊期] 永享10年(1438): 「近津大明神之御領」の「皮山」(結城(白川)氏朝書下、大子町史 資料編 上巻 原始・古代・中世・近世,1984)、ほか。 |
| ^ ※54: | 対応する近代の大字は存在しない。新編常陸国誌によれば天保年間(1830~1844) 川山村に編入。 |
| ^ ※55: | [新田・分村] 萬万治2年(1659) 下野宮村から分村 (新編常陸国誌)。 |
| ^ ※56: | 対応する近代の大字は「高田」。新編常陸国誌によれば天保10年(1839) の改称。 |
| ^ ※57: | 国絵図では、「北吉沢村」に改称された、という旨の付箋が貼られている。新編常陸国誌によれば天保13年(1842) の改称。 |
| ^ ※58: | 対応する近代の大字は「北吉沢」。 |
| ^ ※59: | [中世~織豊期] 永正8年(1511): 「くろさハ」(依上保目録、大子町史 資料編 上巻 原始・古代・中世・近世,1984)、ほか。 |
| ^ ※60: | 天保郷帳では「古者 黒沢上郷村」「古者 黒沢中郷村」「古者 黒沢町附村」と注記され、元禄郷帳・国絵図では黒沢上郷村・黒沢中郷村・黒沢町付村。新編常陸国誌によれば万治元年(1658) の改称。 |
| ^ ※61: | [中世~織豊期] 永正8年(1511): 「まきのち」(依上保目録、大子町史 資料編 上巻 原始・古代・中世・近世,1984)。 |
| ^ ※62: | [新田・分村] 寛文5年(1665) 上郷村から分村 (新編常陸国誌)。 |
| ^ ※63: | [古代~織豊期] 永和3年(1377): 「より上の内、あゆ河の郷内上 (上あゆ河、中あゆ河)」「山井内とつかの村」(結城朝治譲状、大子町史 資料編 上巻 原始・古代・中世・近世,1984)。 |
| ^ ※64: | 天保郷帳では「古者 戸塚村・池内村 弐ケ村」(村名は併記) と付記される。 |
| ^ ※65: | 天保国絵図には「戸塚村之内」と付記された池内村がほかにある。 |
| ^ ※66: | [古代~織豊期] 天正元年(1573)年前後: 「東舘」(小野崎義政(?)書状、塙町史 第2巻 資料編1 考古・古代・中世・近世,1980)、天正13年(1585): 「東舘」(戸部氏覚書、同)、ほか。直接的な国郡・広域地名の記載は見当たらない。 |
| ^ ※67: | 天保郷帳では「古者 東舘村・山野井村・矢沢村 三ケ村」(村名は併記) と付記される。 |
| ^ ※68: | 天保国絵図には「東舘村之内」と付記された山野井村・矢沢村がほかにある。 |
| ^ ※69: | [古代~織豊期] 天文4年(1535): 「をた川」(和知直頼添状、矢祭町史 第2巻 史料編1,1985)、年不詳: 「南郷之内小田川」(白河義親(不説斎)書状、同)。 |
| ^ ※70: | 天保郷帳では「古者 下関河内村・鴇巣・村・面木村・追分村・追ケ草村 五ケ村」(村名は3村・2村の 2段で併記) と付記される。 |
| ^ ※71: | 天保国絵図には「下関河内村之内」と付記された鴇巣村・面木村・追分村がほかにある。 |
| ^ ※72: | [古代~織豊期] 天文4年(1535): 「おつ気のくさ」(白河結城義綱寄進状、矢祭町史 第2巻 史料編1,1985)、天文4年(1535): 「をた川」「おつ気の草」(和知直頼添状、同)。 |
| ^ ※73: | 天保郷帳には含まれない。国絵図では「下関河内村之内」と付記される。 |
| ^ ※74: | [中世~織豊期] 年不詳 (天正年間はじめか): 「ほう坂」「手本」(某知行目録、矢祭町史 第2巻 史料編1,1985)。直接的な国郡・広域地名の記載は見当たらない。 |
| ^ ※75: | 天保郷帳では「古者 宝坂村・清水内村・押立村・手元村・高野谷地村 五ケ村」(村名は3村・2村の 2段で併記) と付記される。 |
| ^ ※76: | 天保国絵図には「宝坂村之内」と付記された清水内村・押立村・手元村・高野谷地村がほかにある。 |
| ^ ※77: | [新田・分村] 天保郷帳・国絵図では「上関河内村枝郷」と付記される。 |
| ^ ※78: | 現在の表記は「大垬」。 |
| ^ ※79: | [古代~織豊期] 承平年間(931~938): 陸奥国 白河郡 高野郷 (和名類聚抄)、寛正4年(1463): 「高野郷」(斑目直政寄進状、棚倉町史 第2巻,1978)、ほか。 |
| ^ ※80: | 天保郷帳では「古者 山下村・荻村・栗生村 三ケ村」(村名は併記) と付記される。 |
| ^ ※81: | 天保国絵図には「山下村之内」と付記された荻村・栗生村がほかにある。 |
| ^ ※82: | 天保郷帳では「古者 関岡村・芝村・小坂村・江戸塚村・天神沢村・飯野村 六ケ村」(村名は 3村ずつ 2段で併記) と付記される。 |
| ^ ※83: | 天保国絵図には「関岡村之内」と付記された芝村・小坂村・江戸塚村・天神沢村・飯野村がほかにある。 |
| ^ ※84: | 天保郷帳では「古者 内川村・平畑村・高地原村・真木野村・斜村 五ケ村」(村名は 3村・2段の 2段で併記) と付記される。 |
| ^ ※85: | 天保国絵図には「内川村之内」と付記された平畑村・高地原村・真木野村・斜村がほかにある。 |
| ^ ※86: | 天保郷帳では「古者 名下村・志田平村 弐ケ村」(村名は 3村ずつ 2段で併記) と付記される。 |
| ^ ※87: | 天保国絵図には「茗荷村之内」と付記された志田平村がほかにある。 |