『吾妻鏡』は鎌倉幕府の歴史書。治承4年(1180) から文永3年(1266) まで、将軍ごとに編年体でまとめられている。最終的には 13世紀末から14世紀はじめの成立とされるが、前半はより早い成立とされる場合もある。どちらにせよ正式な巻数や完成したかどうかはわかっていない。意図的とみられる事実誤認や、当初からか後代によるものか不明の欠落もあることから扱いには注意が必要だが、鎌倉幕府前半期の通史や武家社会・政治を研究する上で重要な史料である。
いくつかの系統があるが、『北条本』と呼ばれる後北条氏 (小田原北条氏) に由来する写本、またはこれを中核とする一群が早くから普及した※1。

上は北条本は国立公文書館所蔵の『北条本』(#4503889)の第43巻 (#2589870) で、建長5年(1253) 8月30日 (実際には 29日) の記事に下総国 下河辺庄の堤防築造について言及がある。
出版の時期も古く、慶長10年(1605) に「古活字本」が刊行されたのち、寛永3年(1626) これに訓点・読み仮名を施したものが刊行され、さらに寛文8年(1668) それを読み下したものが刊行された (『28.3.2. 高椅(6)』も参照)。慶長10年(1605) 刊行本は国立公文書館所蔵 (#3146450) のほか、慶應義塾図書館所蔵 / 慶應義塾大学メディアセンター デジタルコレクション公開 (#179-74-52-1)・九州大学附属図書館所蔵 / 九大コレクション 貴重資料デジタルアーカイブ公開 (#1001444012)・京都大学附属図書館所蔵 / 貴重資料デジタルアーカイブ公開 (#RB00011170) などがある。


なお、上にも示したように京都大学附属図書館所蔵のものは、8月15日の記事中、鶴岡八幡宮の祭事 (放生会) へ向かう行列の末尾 (南部次郎実光・武石四郎胤氏) 以降、9月16日までの記事を含む袋綴じ17枚目 (c.1512の左、および c.1513の右) が存在せず、代わりに 21枚目 (第43巻の最後、c.1516の左側、および c.1517の右側) と同じものが入っている。したがって本史料では袋綴じ17枚目の裏 (c.1512の右) でいったん第43巻は終わるが、袋綴じ18枚目の表 (c.1513の左) から第43巻の残りが続いている。
北条本のほかには差分が『東鑑脱漏』として刊行された『島津本』や、近代に入ってからその存在が知られることになった『吉川本』が主なものとしてある。
| ^ ※1: | 『全訳吾妻鏡 第1巻』(1976) の解題、および『寛永版影印 振り仮名つき吾妻鏡 附東鏡脱漏』(1976) の解題。 |