現在の木曽郡に神坂・馬籠・山口地区 (近世 湯舟沢・馬籠・山口の各村) が含まれないのは、いわゆる「昭和の大合併」と「平成の大合併」で県をまたぐ合併があって、これらの地区が西筑摩郡 (木曽郡) どころか長野県からも離れたことによる。
まず昭和33年(1958)※1長野県 西筑摩郡 神坂村のうち、湯舟沢地区は岐阜県 中津川市に、残る馬籠地区 (詳細には峠・馬籠・荒町の 3地区) は同郡 山口村にそれぞれ編入された。それぞれ近世 湯舟沢村・馬籠村に相当する。

そして山口村も、およそ半世紀後の平成17年(2005)※2岐阜県 中津川市に編入された。つまりこれをもって近世 信濃国 筑摩郡 湯舟沢・馬籠・山口の各村に相当する部分が長野県を離れて岐阜県に含まれることになった。

当然、これらの時点で行政手続上も日常的にも「信濃国」や「美濃国」は使われていないが、近世 信濃国 筑摩郡 湯舟沢・馬籠・山口の各村はある意味 (領域的には) 本来の美濃国へ戻ったことになる。編入の背景としては、生活圏が中津川市と一体化しており、さまざまな理由で長野県である必然性がないといったことだった。
なお一般に、昭和の大合併の時期、各自治体の独立意識はかなり強く、またはっきりとした実力行使が行われる時代でもあった。合併方針に関係して賛成派・反対派の間で対立することが多く、これに県境の変更が絡むとなお拍車がかかった。神坂村のケースでも住民間の争いは激化し、長野・岐阜両県の対立も加わって事態は紛糾した。結局、当初は神坂村 (近世 湯舟沢村・馬籠村) 全体の編入が目指されたが、最終的には近世 湯舟沢村に相当する地区だけが岐阜県 中津川市に編入された。
▼(参考) 木曽街道 馬籠駅 峠ヨリ遠望之図 (大英博物館所蔵)

しかし残留した (させられた) 馬籠地区も中津川市と生活圏が一体であるということには変わりなく、「平成の大合併」を待って編入が実現した。このとき山口村全体が編入されたので、近世 山口村に相当する部分も岐阜県に移って、これが現在の長野・岐阜県境に反映されている。
| ^ ※1: | 昭和33年(1958) 10月15日付。 |
| ^ ※2: | 平成17年(2005) 2月13日付。 |