ここでは前項までに触れた国絵図について、小豆島がどのように描かれているのか見ていこう。
『慶長備前国絵図』は、徳川政権 (江戸幕府) の指示による一連の慶長国絵図との関係はわかっていないが、現存する最古の備前国絵図である。この『慶長備前国絵図』には小豆島・直島は含まれず、国界の変動がすでに反映されている。

慶長小豆島絵図では、渡航による距離の表示として「備前岡山渡海上八里」・「備前うしまと渡海上四里」(うしまと = 牛窓)・「播磨国宝津渡海上拾里」・「淡路国三□渡海上拾三里」(□ = 原) のように各地名に備前・播磨・淡路の国名が記載されているが、「讃岐国八嶋渡海上四里」「讃岐国引田渡海上七里」のように、本来必要のない讃岐についても国名が記載されている。
『日本六十余州国々切絵図』のうち備前国絵図に小豆島・直島は存在しない。
一方讃岐国絵図に小豆島・直島は描かれ、やはり国界の変動がすでに反映されている。

前項に示したとおり、国界の変動はすでに反映され、小豆島は讃岐国として把握されているはずだが、『正保小豆島絵図』では本来必要のない讃岐国の地名についても国名が付記されている。

江戸後期の『天保讃岐国絵図』・『天保讃岐国郷帳』では、小豆島・直島は讃岐国として明確に把握されている。しかしどの郡にも含まれず、郡と同じ位置づけで「小豆島」「直島」があって、その中に各村が含まれている。
