27.6. (参考) 県境の変遷

27.6.1. 菱: 昭和34年(1959)

昭和34年(1959)※1栃木県 あしかが郡 菱村は群馬県 桐生きりゅう市に編入された。結果的に、菱地区 (近世 下野しもつけ国 足利郡 かみびし村・しもびし村・とも村) は上野こうずけ国へ戻ったことになる。もちろん、この時点で「上野国」も「下野国」も地域区分として用いられておらず、変動があったのは県境だけである。

Fig.135 (参考) 桐生川 (上野 ・ 下野国界): 昭和34年(1959)
Fig.135 (参考) 桐生川 (上野・下野国界): 昭和34年(1959)

江戸期を通じて、菱地区は明らかに桐生の経済圏にあり、それは近代に入っても変わらなかった。南部はそれが顕著であり、北部も地形的に栃木県であるのは無理があったといえる。ただしほかの府県と同じように栃木県は反対し、最終的には矢場川村の編入を条件に同意した。

注釈

27.6.2. 矢場川: 昭和35年(1960)

昭和35年(1960)※1群馬県 山田郡 矢場川村のうち、荒金・大町と、矢場の過半 (里矢場・藤本・あら宿じゅく) は栃木県 足利市に編入され、植木野、および矢場の残部 (本矢場) は太田市へ編入された※2。荒金・大町・植木野は近世 上野国 山田郡の荒金村・大町村・植木野村にあたり、里矢場・藤本・新宿・本矢場はまとめて矢場村として把握されていた。

Fig.101 (参考) 矢場川 (群馬 ・ 栃木県境): 昭和35年(1960)
Fig.101 (参考) 矢場川 (群馬・栃木県境): 昭和35年(1960)

渡良瀬川の旧流路のうち、寛文8年(1668) に変更されなかった上流側は矢場川の流路および上野こうずけ下野しもつけの国界として継続し、近代の栃木・群馬県境にも引き継がれた。しかし群馬県 山田郡 矢場川村のうち、荒金・大町と矢場の里矢場・藤本・新宿は、栃木県 足利市の市街地に接して一体化しつつあった。一方で植木野と矢場の本矢場は相対的にその影響は小さく、また農業用水の管理に支障が生じる懸念があったことから編入に反対した。

昭和29年(1954) の調査では、荒金・大町・里矢場・藤本・新宿のそれぞれ 94%・81%・90%・88%・88%の住民が足利市への編入に賛成し、本矢場は調査への参加自体を拒否した。昭和32年(1557) の調査では、同 98%・91%・95%・90%・91% 賛成、本矢場は 79% 反対 (21% 賛成) という状況だった※3。住民間の対立から荒金・大町・里矢場・藤本・新宿の態度が硬化している様子が見受けられる。植木野は 57%から 52%へ変化し、どちらかといえば賛成の立場から地理的な遠近・水利の関係で本矢場に引き込まれたようだ。

なお矢場川の上流側で隣接する旧・村 市場地区 (近世 上野国 山田郡 市場村にあたる) では、矢場川村の事例を受けて足利市への分村・編入を求める運動が起こった。しかし矢場川村とは異なって一部地区であったためか、昭和38年(1963) 旧・毛里田村は太田市へ編入されるなど優位な立場にはなれず、運動組織も昭和41年(1967) に解散した。その後もっとも足利市に近い高瀬地区 (高瀬集落) だけは単独での運動を継続したが、それもさまざまな事情のなかで沈静化した※4

注釈

(1) 矢場川: 天保郷帳・国絵図の村々

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近世 上野国 山田郡※1
1.
荒金村
2.
沖之郷※2※3
4.
りゅうまい※4※5
5.
下小林村※6
6.
茂木もてぎ※7
7.
石原村※8
8a.
本矢場村※9※10
8b.
里矢場村※9※10
8c.
藤本村※9※10
8d.
新宿村※9※10
9.
台之郷※11
10.
東長岡村
11.
安良岡村※12
12.
上小林村
13.
大町村※13
14.
植木野村
15.
富田村※14
18.
若林村※14
19.
三堀村※15
20.
市場村
22.
ただかり
注釈

27.6.3. 入飛駒: 昭和43年(1968)

昭和43年(1968)※1栃木県 安蘇郡 田沼町のうち、飛駒の一部 (入飛駒地区) は群馬県 桐生市に編入された。飛駒は近世 下野国 安蘇郡の上彦間村、入飛駒地区は近世 下野国 安蘇郡の入彦間村にあたり※2、その包含関係も同様である (天保国絵図で入彦間村は『上彦間村之内』と付記され、郷帳には含まれない)。

Fig.136 (参考) 桐生川 (栃木 ・ 群馬県境): 昭和43年(1968)
Fig.136 (参考) 桐生川 (栃木・群馬県境): 昭和43年(1968)
入飛駒地区の集落は、菱地区 (菱村) と同じように桐生川沿いにあって、この意味では地理的に群馬県 桐生市と連続している。一方で主要部があった盆地状の地形 (現在は桐生川ダム湖・梅田湖) は桐生川が曲流する狭隘な谷で尽きるため、何ともいえないところがある。飛駒のほかの部分へは老越路おいのこうじ峠を越える必要があるが、この峠を通じて下野側からの進出のほうが早かったようだ。少なくとも史料にあらわれた時点で入飛駒地区 (入彦間村) は下野国 安蘇郡として把握されており、古くは上野国の一部だったことを示唆するような伝承の類も見当たらない。

なお、入飛駒地区の群馬県 桐生市への編入は、群馬県 太田市 高瀬地区の栃木県 足利市への編入が交換条件になっていた。しかし、その高瀬地区の運動が沈静化へ向かうなか、栃木県の姿勢も軟化し、編入は実現した※3

注釈

27.6.4. 前小屋・二ツ小屋: 平成22年(2010)

平成22年(2010)※1群馬県 太田市のうち前小屋・二ツ小屋のそれぞれ一部 (利根川以南) は埼玉県 深谷市に編入され、埼玉県 深谷市のうち高島の一部 (利根川以北) は群馬県 太田市に編入された。前小屋・二ツ小屋は近世 上野国 新田郡の前小屋村・二ツ小屋村、高島は武蔵国 榛沢郡の高島村のそれぞれ一部にあたる。

Fig.140 (参考) 利根川 (埼玉 ・ 群馬県境): 平成22年(2010)
Fig.140 (参考) 利根川 (埼玉・群馬県境): 平成22年(2010)

すでに二ツ小屋の児童・生徒は深谷市の小・中学校に通学できる処置がされていた※2。引き続き両県とも県境の変更に肯定的であるとは思えないが、平成22年(2010) の出来事であり、平和的に協議・行政手続きが行われたようだ。とはいえ、住民の請願から実現までは 3年半以上を要した。

なお迅速測図原図から判断する限り、旧国界に基づく県境を、集落をともなって越えたといえるのは近世 前小屋村に限られ、二ツ小屋村・高島村については基本的に対岸の草苅場 (秣場・茅場など) だったと考えられる部分である。平成22年(2010) 時点の編入部分でも高島には集落は存在せず※2、前小屋も同様であって※3、両者ともほとんどが利根川の河川敷である。基本的には前小屋にあわせて行った整理だが、高島は交換条件だったかもしれない。

注釈