27.6.2. 天保郷帳・国絵図の村々
Fig.191 山中領 (上野・武蔵国界): 寛文上野国郷帳・国絵図
近世 上野国 甘楽郡※1
111.
柏木村
111a.
おおより※2※3※4
111b.
中島※2※4
112.
生利しょうり
112a.
じま※3※5
112b.
※6※5
113.
万場村
114.
しおざわ
115.
くろ
116.
あいばら
117.
ふな※7※8
117a.
上舟子※9※10
117b.
さわらもり※10※11
117c.
白石※9※10
117d.
たかしお※9※10
117e.
矢羽沢※6※10
118.
魚尾よのお※12※9
118a.
上小越※6※13
118b.
しもごえ※6※13※14
118c.
桜井※6※13
118d.
伝田郷※6※13
119.
神原かがはら※9※15
119a.
さんかわ※6※16
119b.
明家みょうけ※6※16
119c.
瀬林せばやし※6※16
119d.
もの※6※16
120.
ばら※17※9
120a.
持倉※18※19
120b.
ようくら※20※19
120c.
橋倉※21※19
120d.
山室※9※19
120e.
121.
づく※23
121a.
そうきり※6※24
122.
勝山村※9
122a.
123.
おと※27
124.
乙父おっち※28
124a.
※29※30
124b.
かきだいら※31※30
124c.
とお西にし※9※29
124d.
住居附すもうずく※6※29
124e.
乙父沢※6※29
124f.
中村※6※29
124e.
田平※6※29
124f.
檜平※6※29
124h.
より※6※29
125.
楢原村※32※33
125a.
浜平※9※34
125b.
白井※9※34
125c.
125d.
神行※6※34
125e.
黒川※6※34
125f.
塩野沢※6※34※36
125g.
須郷※6※34
125h.
楢沢※6※34
125i.
堂所※6※34
125j.
中越※6※34
126.
麻生あそう※2※3※37
127.
もり※38※37
128.
小平村※37
128a.
※39※40※41
128b.
坂井※9※40
128c.
古田ふった※9※40※42
129.
青梨子村※37※43※44
129a.
高谷木※37※45※46
130.
新羽村※37
130a.
八幡※37※47
130b.
野栗※37※47
131.
ぐりさわ※37※48
131a.
奥名郷※49
132.
かわ※37
132a.
門川※37※50
近世 武蔵国 秩父郡※51
50.
上吉田村※52
50a.
小川※53
50b.
女形※53
68.
中津川村
69.
河原沢村
70.
三山村※54
_78・79. 長久保※55
78.
日尾村
79.
藤倉村
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泉龍寺大般若経奥書

上野村 泉龍寺に現存する写経奥書、『群馬県史 資料編6 中世2 編年史料1』(1984) 所収。第23巻に「願主西上州甘樂之郡山中之內遠西村之住輩」などとあるのは天和2年(1682) 8月の後筆。

^ ※1: 『27.1.3. 寛文上野国絵図・郷帳』との対照を含む。
^ ※2: 元亀2年(1571): 「山中之內」「あそふ村」「をより」「なか嶋」(北条氏邦印判状、新編埼玉県史 資料編6 中世2 古文書2,1980)。
^ ※3: 天正17年(1589): 「阿相之內、飯嶋之內、大より窪地、合而三ケ所」(北条家充行状写、群馬県史 資料編7 中世3 編年史料2,1986)。
^ ※4: 天保国絵図では「柏木村之内」と付記される (天保郷帳には含まれない)。
^ ※5: 天保国絵図では「生利村之内」と付記される (天保郷帳には含まれない)。
^ ※6: [新田・分村] 寛文郷帳には含まれない。
^ ※7: 寛文郷帳では「下舟子村」。
^ ※8: 現在の表記は「船子」。
^ ※9: 寛文郷帳では「~村」。
^ ※10: 天保国絵図では「舟子村之内」と付記される (天保郷帳には含まれない)。
^ ※11: 寛文郷帳では「榒森村」。
^ ※12: [中世~織豊期] 文明15年(1483): 「魚尾」(中山神社鰐口銘、群馬県史 資料編8 中世4 金石文,1988)。
^ ※13: 天保国絵図では「魚尾村之内」と付記される (天保郷帳には含まれない)。
^ ※14: 万場町誌(1994) では「しもごえ」と読んでいる箇所がある。
^ ※15: 現在の表記は「神ケ原」。
^ ※16: 天保国絵図では「神原村之内」と付記される (天保郷帳には含まれない)。
^ ※17: [中世~織豊期] 永禄7年(1564): 「其上本庄・久〻□迄放火」「今日平原迄帰陣候」(武田信玄書状写、群馬県史 資料編7 中世3 編年史料2,1986)。
^ ※18: 寛文郷帳では「持蔵村」。
^ ※19: 天保国絵図では「平原村之内」と付記される (天保郷帳には含まれない)。
^ ※20: 寛文郷帳では「八蔵村」。
^ ※21: 寛文郷帳では「橋蔵村」。
^ ※22: 神流川の流域にはなく、分水嶺より北側にある。現在は下仁田町 平原。
^ ※23: 寛文郷帳では「尾付村」。
^ ※24: 天保国絵図では「尾附村之内」と付記される (天保郷帳には含まれない)。
^ ※25: 永徳元年(1381): 「こうや」・永徳2年(1382): 「上州上山庄之內紺屋住」・「於上州上山莊之內、紺屋在所」(泉龍寺大般若経奥書)。
^ ※26: 天保国絵図では「勝山村之内」と付記される (天保郷帳には含まれない)。
^ ※27: 年月日不詳: 「小友」・永徳2年(1382): 「黑田鄕 小共村」(泉龍寺大般若経奥書)。
^ ※28: 永徳2年(1382): 「旦那 四郎五郎 越智」(泉龍寺大般若経奥書)。
^ ※29: 永徳元年(1381): 「おはる」(泉龍寺大般若経奥書)。
^ ※30: 天保国絵図では「乙父村之内」と付記される (天保郷帳には含まれない)。
^ ※31: 永徳2年(1382): 「かき平」(泉龍寺大般若経奥書)。
^ ※32: [中世~織豊期] 永徳2年(1382): 「越智」(泉龍寺大般若経奥書、群馬県史 資料編6 中世2 編年史料1,1984)。
^ ※33: [中世~織豊期] 寛文郷帳では「奈良原村」。
^ ※34: 天保国絵図では「楢原村之内」と付記される (天保郷帳には含まれない)。
^ ※35: 現在の表記は「中之沢」。
^ ※36: 現在の表記は「塩之沢」(河川は『塩ノ沢』)。
^ ※37: 寛文郷帳には含まれない。
^ ※38: 南北朝期: 永徳元年(1381): 「甘樂郡森戶檀所」など (泉龍寺大般若経奥書、群馬県史 資料編6 中世2 編年史料1,1984)。
^ ※39: 寛文郷帳では「尾井土村」。
^ ※40: 天保国絵図では「小平村之内」と付記される (天保郷帳には含まれない)。
^ ※41: 現在の表記は「大井戸」
^ ※42: 天保国絵図では折り目にあって判読できない。
^ ※43: [中世~織豊期 天正12年(1584): 「天正十二年之棟札ニ、大日本国上野髪流川之郡青梨子郷与御座候写差上ケ申候」(元禄13年(1700) 2月「山中領村々上州・武州国境画定につき願状」内、群馬県史 資料編9 近世1 西毛地域1,1977)。
^ ※44: 対応する近代の大字は「青梨」。
^ ※45: 天保国絵図では「青梨子村之内」と付記される (天保郷帳には含まれない)。
^ ※46: 現在の表記は「高八木」。
^ ※47: 天保国絵図では「新羽村之内」と付記される (天保郷帳には含まれない)。
^ ※48: [中世~織豊期] 永正2年(1505): 「上野州上山庄奈良村」(中略) 「小旦那野栗澤之道覺 同道金入道」(野栗沢神社棟札銘、群馬県史 資料編8 中世4 金石文,1988)。
^ ※49: 天保国絵図では「野栗沢村之内」と付記される (天保郷帳には含まれない)。
^ ※50: 天保国絵図では「川和村之内」と付記される (天保郷帳には含まれない)。
^ ※51: 『武蔵田園簿』『正保年中改定図』・『元禄武蔵国郷帳』・『元禄年中改定図』との対照を含む。
^ ※52: [中世~織豊期]: 天正2年(推定, 1574): 「上吉田 代官 百姓中」(北条氏邦(カ)印判状写、新編埼玉県史 資料編6 中世2 古文書2,1980)、ほか。
^ ※53: 元禄年中改定図では「上吉田村ノ内」、天保国絵図では「上吉田村之内」と付記される (元禄・天保郷帳には含まれない)。
^ ※54: [中世~織豊期]: 至徳2年(1385): 「至徳二年乙丑十月晦日於武州路秩父郡三山郷岩殿山之麓姫宮松本平」(塩船観音寺大般若経奥書、秩父武甲山総合調査報告書 下巻,1987)、ほか
^ ※55: 元禄年中改定図では「日尾・藤倉村ノ内 長久保」、天保国絵図では「日尾村・藤倉村之内」と付記される (元禄・天保郷帳には含まれない)。