江戸後期の白山麓十八か村は、越前国のほかの幕府直轄地などとともに本保陣屋 (代官所、のち郡代の出張所) の支配下にあった。その支配地を母体として明治3年(1870) 12月に「本保県」が成立し、白山麓十八か村もこれに引き継がれたが、廃藩置県とその後の府県再編の過程で明治4年(1871) 11月 「本保県」は「福井県」に統合され、さらに同年 12月20日 「福井県」は「足羽県」に改称された。
この過程で混乱があったようで、たとえば、明治3年(1870) 12月付『本県創置ノ公布』(公文録 本保県之部 庚午12月~辛未7月, 明治3年#130; #2355036) (c.1) にともなう『福井藩御預所可受取御達』(同; #2355191) (c.1) の『別紙仮高帳』(同, cc.2-8) には「越前国大野郡」とは別に「越前国白山麓」が存在し、尾添村・荒谷村も含む白山麓十八か村が記載されている。


一方で、明治4年(1871) 12月3日付『本保県白山麓地所引渡ノ儀ニ付伺』 (公文録 諸県之部 辛未12月, 明治4年#169; #2350874 (cc.1-2)で旧・本保県は金沢県 (現・石川県の前身のひとつ) と話し合い、白山麓十八か村を両県で分割することですでに合意していることを説明している。

本保県白山麓地所引渡ノ儀ニ付伺① 白山麓十八ケ村の加賀・越前分割について大蔵省へ上申したことについては、前々より当県大参事の熊谷直光が金沢県へ足を運び、同県の内田大参事 (と議論し) ともども異論はない次第なので |
原文※1: 白山麓十八ケ村加越分割ノ儀大蔵省へ上申致シ候儀ハ、兼テ当県大参事熊谷直光金沢県ニ到り、同県内田大参事ニ通同シ無異議次第ニ付 |
「旧・本保県」と表現したようにこの時点で組織としての本保県はすでに存在しない。この『伺』は、それにもかかわらず白山麓十八か村の扱いが決まっていなかったので決定を催促するものだった。なお旧・本保県は下記のような認識も示していた。
本保県白山麓地所引渡ノ儀ニ付伺② 越前・加賀白山麓十八ケ村については、これまで国郡の呼称なく、またどの国郡にも所属してこなかった |
原文※1: 越前加賀白山麓十八ケ村ノ儀ハ、是迄国郡ノ称呼アルニアラス、又何レノ国郡ニ附属スルニモ無之 |
しかしその後も状況は変わらなかったようだ。旧・本保県は明治5年(1872) 3月付の書状で、戸籍調査やその他取り締まり事項については旧・本保県から布達する旨を足羽県に連絡し、その中で「ついに新たに設置された何県の統轄となるのか御達はなかった」といっている※2。なおこの書状で、旧・本保県は白山麓十八か村を「郡名の呼称がない閑地」としつつ「昔はその多くは大野郡所属の村々」としている※3。
一方、牛首村の山岸十郎右衛門 (有力者) はこの動きを察知し、同じ明治5年(1872) 3月付で足羽県へ、白山麓十八か村を分割しないように陳情する書状※3を送った。そしてこれを受けた足羽県は、同年 4月3日付で大蔵省に決定を催促する『白山麓十八ケ村ノ儀ニ付伺』(公文録 大蔵省之部 壬申11月, 明治5年#20; #3048716) (cc.13-14)を送り、これには「十八ケ村を分割すると難渋すると思われる」との意見が添えられた。

白山麓十八ケ村ノ儀ニ付伺① 今般各村総代より、従来どおり一郷の村々のままとし、一村たりとも分割しないよう切々に申し立てがありました。先日、旧・本保県へも掛け合ったところ、別紙のとおりの回答を送ってきました。十八ケ村を分割すると難渋すると思われます。かつさしあって民心が向かう方向に関係しますから、そういったこともご照察の上、石川県へなりまた当県へなり (どちらでもいいのでともかく) 管轄について至急ご指示ありますよう |
原文※1: 今般各村総代ヲ以、従前の儘一郷村々ニ被据置、一村タリ共分割相成不申様、切々申立有之候。過日元本保県へモ及掛合候処、別紙ノ通答書申越候。十八ケ村分割相成候テハ難渋ノ趣有之。且目今民心ノ方向ニ関係候間、夫是御照察ノ上、石川県ヘナリ又当県ヘナリ管轄ノ儀、至急御指揮有之度 |
これを受けて、明治5年(1872) 5月2日付で大蔵省は石川 (同年 3月に金沢県から改称) ・足羽両県に対して共同の実地調査を指示し、両県はこれを行って意見書を提出した。この意見書では足羽県のものが優先され、同年 11月10日付で大蔵省は石川県管轄の加賀国とする決定を行って太政官 (正院) へ上申、そのまま受理された。

上は『石川足羽ノ両県下白山麓村落ノ儀ニ付伺』 (公文録 大蔵省之部 壬申11月, 明治5年#20; #3048716) の主文にあたる部分で (cc.1-2)、①の石川県の報告書が別紙の 1番目 (cc.3-7, 11)、足羽県の報告書が別紙の 2番目 (cc.8-9, 12) として添付されている。③はすでに引用した『白山麓十八ケ村ノ儀ニ付伺』で、3番目 (cc.13-14) に添付されている。
| ^ ※1: | 中黒を含む句読点は筆者が適宜追加・調整。(あれば) 括弧内は割注。 |
| ^ ※2: | 『石川県史 第4編』(1931)・『白山所属争議解説』所収。原文「遂に新置何縣統轄之御達は無之侯」。 |
| ^ ※3: | 原文「郡名の稱呼なき一閑地」および「古昔多くは大野郡所屬之村々」。 |