15.3. (参考) 県境の変動: 昭和38年(1963)
(1) 経緯
昭和38年(1963)※1岡山県 和気郡 日生町のうち福浦地区 (大字福浦) の過半は兵庫県 赤穂市に編入された※2。大字福浦の過半とは近世 備前国 和気郡 福浦村・福浦新田に相当する部分であり、兵庫県に残ったのは寺山新田に相当する部分である。変更前の岡山・兵庫県境はかつての備前・播磨国界である。

いわゆる「昭和の大合併」における県境をまたいだ分離・合併 (編入) であり、ここでも住民間に激しい対立が生じ、岡山・兵庫両県も巻き込んで事態は紛糾した。問題が複雑化した大きな要因は、海面を利用する権利が絡んだことにある※4。しかし、福浦地区を含む福河村 (近世 福浦村・福浦新田・寺山新田・寒河村・中日生村) と旧・日生町が昭和30(1955) に合併した際、福浦地区の将来の分離可能性を認める付帯事項が協定書から無断で削除されていたことも問題を急激に悪化させた※3。
福浦地区は三方を山に囲まれ、東西どちらからも孤立した地形にあったが、都市化の進行にともなって赤穂市との結びつきが強まったようで、これに大阪の吸引力も影響した。
なお現在、当地には赤穂線の「備前福河駅」が存在する。ほかと重複・類似する場合、駅名は旧国名で区別されることが多く、備前福河駅も両端で接続する山陽本線に福川駅があったためと思われ、そこがかつて岡山県だったという記憶をささやかに留めている。ただしこのとき国界も変更されたいう事実は存在しないので、理屈の上では現在も当地は (おそらく) 備前国である。
注釈
(2) 天保郷帳・国絵図の村々
(3) 兵庫北関入舩納帳と中世の福浦
福浦地区は南北朝期以降、播磨国を根拠とする赤松氏の支配下にあったとされ※2、また住民は播磨国の船に乗って兵庫まで船荷を運んでいた。ということは、福浦地区もまた佐用町の石井地区・東中山と同様にかつては播磨国であった可能性はないのだろうか。赤松氏の支配については直接的な史料が存在しないが、海運については『兵庫北関入舩納帳』があるので検討してみよう。
『兵庫北関入舩納帳』は、文安2年(1445) 正月から同3(1446) 年正月にかけて兵庫北関で記録された関税の徴収簿であり、船籍地・積荷・船頭・業者などの情報が載っている※1。この中かから「福浦」の地名を抽出すると以下のようになる。福浦の港は風待ち・潮待ちに適している。松の伐採・売却のほか大豆の栽培もあったので※2、海産物のほかにそうした特産物を運んで利益を得ていたのだろう。
| 月日 | 船頭 | 船籍地 | 品目 | 業者 | |
|---|---|---|---|---|---|
| 地名 | 名前 | ||||
| 1月8日 | 福ら | 五郎太郎 | 室 | 大豆 | 豊後屋 |
| 8月25日 | フクラ (ノ) | 千代松 | 室 | 小イハシ | 豊後屋 |
| 9月12日 | ふくら | 五郎三郎 | 室 | 小イハシ | 豊後屋 |
| 11月16日 | 福浦 | 長松 | 室 | 小イハシ | 豊後屋 |
| 9月22日 | ふくら | 左衛門四郎 | 室 | 小イハシ | 豊後屋 |
| 10月3日 | ふくら | 衛門五郎 | 室 | マツ | 豊後屋 |
| 11月11日 | ふくら | 兵衛太郎 | 室 | ナマコ | 豊後屋 |
| 11月18日 | ふくら | 五郎三郎 | 室 | 小イハシ | 豊後屋 |
| 11月26日 | ふくら | 左衛門次郎 | 室 | 小イハシ | 豊後屋 |
しかしここに国郡の記載はなく、決定的な判断材料にできないのは残念である。
なお船籍地の「室」は近世 播磨国 揖西郡 室津 (現在の兵庫県 たつの市 御津町室津) である。付近には淡路国 津名郡 室津浦・室津村 (現在の兵庫県 淡路市 室津) と同国 三原郡 福良浦 (同県 南あわじ市 福良甲・同乙・同丙) も存在する。しかし室津浦・室津村は接尾辞を略した場合「室津」であって「室」とは呼べず、納帳には「淡路斗」という単位を使用する「室津」がほかに存在することから、「室」は播磨の室津 (『津』が接尾辞なので『室』と呼べる) であり、したがって「ふくら」も至近にある備前の福浦ということになる。