すでに信州 伊那谷を制圧していた武田信玄 (晴信) は、元亀2年(1571) 三河国へ侵入し、家康に服属していた足助鈴木氏の松山城 (足助城) を攻め落とした。周辺の諸城も次々に落城・開城して信玄の支配域は三河にまで拡大した。さらに元亀3年(1572) には遠江国に侵入、三方原の戦いで家康・信長の連合軍を大敗させ、元亀4年(1573) 三河の野田城 (徳川方・菅沼定盈) を攻め落とした。しかしその帰路で信玄は病死する。家督を継いだ勝頼は家康・信長に対抗したものの、天正3年(1575) 長篠の戦いで大敗し、天正10年(1582) までに武田氏は滅びた。
武田氏滅亡後、本能寺の変とその後の混乱を経て伊那谷は家康の支配下となり、天正18年(1590) 豊臣政権下で家康が関東に転封されると毛利秀頼の支配となった。このとき検地が行われ、天正19年(1591) の検地帳 (『青表紙御検地帳』)※1に根羽村 (近世 根羽・月瀬 2村) は「信州伊奈郡」の「下条領」に含まれ、信濃国して把握された。
この「下条領」は下条氏の旧領に相当する。下条氏は武田氏の伊那侵攻以来その家臣だったが、天正10年(1582) 織田信長の侵攻が伊那谷に及んだとき、下条氏長が当主の兄・信氏を追放して寝返った。氏長は信長に旧領を安堵されたものの、この経緯から家臣の不信を買って本能寺の変後の混乱のなか、今度は信氏の次男で家康に通じた下条頼安に殺害された。さらにその頼安も天正12年(1584) の年始、敵対する小笠原氏 (松尾小笠原氏) の計略にかかって殺害され、統制を失った下条氏は天正15年(1587) までに没落した※2。
『下条記』には、天文13年(1544) 敵対する関氏を滅ぼしてその旧領を組み入れた時点と考えられる下条領について言及があって、根羽・月瀬はその西限として記載されている。またこれは当初の下条領ではなく西へ拡大した部分と読み取れる。したがって近代の根羽村 (近世 根羽・月瀬 2村) にあたる地域は、下条氏が勢力を拡大するなかでその所領に組み込まれ、それが天正19年(1591) の検地で反映され、信濃国 伊奈 (伊那) 郡として把握されることになった。
『下条記』は下条氏の代々についてさかのぼって調査・編纂した記録であり、著者は佐々木喜庵、宝永年間(1704~1711) の成立と考えられている。その冒頭、および『新編伊那史料叢書 第4巻』(1975) 所収の『下条記』(1949) の解説 (市村咸人) によれば、青年時代の明暦元年(1655) に思い立って祖先からの伝承・覚書・証文・寺社の位牌・棟札などから正しいと考えられるものを収集したが、その後は多忙となり、隠居した晩年にそれら史料をあらためて整理・追加調査の上、編纂したという。『新編伊那史料叢書 第4巻』(1975) 所収の『下条記』(1949) は佐々木家に保存されていた自筆本、およびその自筆本に付箋・細字で指示されていた訂正が反映された写本を校訂したものであり、これが原本ということになる。ただし表紙に記載された書名は後筆であり、著者が意図した本来の書名は不明である。
一方『下条由来記』は『信濃史料叢書 下巻』(1969) 所収で、『下条記』の写本の一つとされる。市村によれば、原本と比較して文章の追加・削除・改変・順序の変更が多いといい、実際に意味が通らなくなった部分や事実と異なる部分が見受けられる。しかし基本的には原本ではわかりづらいところや不完全な記述を補おうとした結果と考えられ、それ以上の恣意は感じられない (粗雑であることは否定しない)。下条領の一覧も、原本では関氏旧領以外で明示されているのは境界付近の村々に限られるが、下条由来記では詳細化され、根羽・月瀬については具体的に「三州にて伐取分」となっている。何に拠るものかは不明。
郷土史家・関盛胤の『伊那温知集』『伊那神社仏閣記』では、それぞれ根羽村・惣源寺 (宗源寺) について以下のように書かれている※3。
| 記述 | 史料 |
|---|---|
| 「古來は三河國の分也、信玄安助合戰に伐取、信濃國へ入る」 | 『伊那温知集』 |
| 「按するに、古代は三州加茂之內に而候。天正年中、武田信玄信州御手に入、又三州之安助迄攻取此節、信州之內へ入候也」 | 『伊那神社仏閣記』 |
つまり関盛胤は国界変動の要因を、元亀2年(1571) 信玄が足助 (安助) を含む一帯を攻略し、三河へその支配域を拡大したことに求めている。しかし信玄の国郡認識は史料からはわからない。その行動からいえるのは、三河への伸長の過程で下条氏を支配下におき、その所領 (下条領) を安堵した、ということまでである。また領域認識という点では、それを変えたのは下条氏であって信玄ではなく、また時期も天文13年(1544) までさかのぼる。
『伊那温知集』は関盛胤が元文5年(1740) までに編纂・完成させた地誌で、『伊那神社仏閣記』はその一部とされる。どちらも『新編伊那史料叢書 第2巻』(1975) 所収。
| ^ ※1: | 『長野県史 近世史料編 第4巻2 南信地方』(1982) 所収、#1167、cc.88-92。 |
| ^ ※2: | 『下条村誌 上巻』(1977)・『阿智村誌 上巻』(1984)・『根羽村誌 上巻(1993)』。 |
| ^ ※3: | 中黒を含む句読点は筆者が適宜追加・調整。(あれば) 括弧内は割注。 |