(2) 天保郷帳・国絵図の村々
Fig.150: 江戸川東西飛地の解消: 明治18年(1885)・明治28年(1895) および江戸川以西 (中葛飾郡) の武蔵国編入: 明治29年(1896)
近世 武蔵国 葛飾郡※1
124.
下彦川戸村※2
125.
彦倉村※3
126.
彦野村
127.
上彦川戸村※2
128.
上彦名村※4※5
129.
彦成村※6
130.
彦音村※7
131.
彦糸村
132.
采女新田※11
133.
笹塚村※11※8
134.
駒形村※9※8
135.
蓮沼村※11※10
136.
仁蔵村※11
141.
丹後村※11
142.
大広戸村※12
143.
半田村※13※14※15
144.
どうにわ
145.
中曽根村
146.
たかひさ
147.
高富村
148.
富新田※11※16
149.
二ツ沼村※11
150.
後谷うしろや※11
151.
ぜん
152.
ぼり※11
153.
三輪野郷村※17※18
154.
土場どじょう※11
155.
飯島村※11
156.
中島村
157.
木売新田※11
158.
うり※19
160.
中野村※11※20※21
163.
さらぬま※11
164.
加藤村
165.
はんわり
166.
吉屋村※11※22
167.
鹿ししづか※11
168.
中井村※11
169.
会野谷村
170.
関新田※11
171.
鍋小路村※11
172.
関村
176.
かわふじ※23
178.
上笹塚村※24
179.
はち※11※25
180.
下内川村※26
181.
上内川村※26
182.
広島村※27※28
271.
田中新田※11
278.
小松川村※11※29
近世 下総国 葛飾郡※30
140.
さん※31
147.
山﨑村※32
148.
亀山新田※33
149.
いまがみ
155.
東深井村
156.
西深井村
157.
中曽根下谷新田※34※35
158.
深井新田※33
162.
初石新田※33
169.
平方村
170.
平方新田※33
171.
平方原新田※33
172.
なか※36
173.
上新宿村※37※38
178.
桐ケ谷北村※39
179.
北村・小屋村 新田※33※40※41
180.
桐ケ谷南村※42
181.
桐ケ谷村※43
182.
桐ケ谷新田※33※44
183.
谷津・貝塚新田※33※45※46
184.
おおぐろ※47
185.
下花輪村※48
186.
三輪山村※49
187.
市野谷村
197.
中村
198.
後平井村
199.
前平井村
200.
加村※50
201.
流山村※51
202.
西平井村
203.
思井村
^ ※1: 『武蔵田園簿』『正保年中改定図』・元禄郷帳・元禄年中改定図との対照を含む。
^ ※2: 『武蔵田園簿』『正保年中改定図』』では「彦川戸村」。延宝検地を期に上下に分村 (『新編武蔵国風土記稿』)。
^ ※3: [中世~織豊期] 明応8年(1499): 「彦倉」(『本土寺過去帳』)、室町期~戦国期: 「河邊彥金村」(同)、ほか。
^ ※4: [中世~織豊期] 延文6年(康安元年,1361): 「下総州下河辺庄彦名市祭成之」(市場之祭文写、春日部市史 第2巻 古代・中世史料編,1989)、至徳4年(1387): 「かさはやのしやうのうち、とかさきならひニ大さかへ、しもかわへのうちひこなのせき・つるかそねのせき・きやうとへのせき、合五ケせきの事」(大中臣長房譲状、同、応永26年(1419): 「鶴岡八幡宮領下総国下河辺庄彦名」(足利持氏御判御教書、同)、ほか。
^ ※5: 「下彦名村」は存在しない。
^ ※6: [中世~織豊期] 明応元年(1492): 「ヒコナリ」(『本土寺過去帳』)、ほか。直接的な国郡・広域地名の記載は見当たらない。
^ ※7: 古くは彦糸村から「彦乙」として分村、正保年間(1644~1648) までに「彦音」(『新編武蔵国風土記稿』)。
^ ※8: 天保郷帳では「古者 下笹塚・駒形 村」と付記され、元禄郷帳・改定図では「下笹塚・駒形村」。地名はどれも併記される (ただし元禄改定図では小判形の外に『下笹塚』)。
^ ※9: 『武蔵田園簿』では「駒方村」、『正保年中改定図』』では「駒形村」。
^ ※10: 明治12年(1879) 南蓮沼村に改称、したがって対応する近代の大字は「南蓮沼」。
^ ※11: [新田・分村] 『武蔵田園簿』『正保年中改定図』』には含まれない。
^ ※12: [新田・分村] 寛永元年(1624) 前後の開発または成立 (『新編武蔵国風土記稿』)。
^ ※13: [新田・分村] 『武蔵田園簿』 では「半左新田」、『正保年中改定図』』では「半右衛門新田」。
^ ※14: 元禄郷帳・元禄年中改定図では「半田村」で、それぞれ「古者半左衛門新田」「古ハ半左エ門新田」と付記される。
^ ※15: 天保国絵図では「半左衛門新田」。
^ ※16: [新田・分村] 元禄郷帳・改定図・天保郷帳・国絵図では「高富村枝郷」と付記される。
^ ※17: [新田・分村] 『武蔵田園簿』『正保年中改定図』』では「宮野井新田」。
^ ※18: 元禄郷帳・元禄年中改定図では「三輪野江村」、現在の表記は「」。
^ ※19: 『武蔵田園簿』『正保年中改定図』では「木売川戸村」、元禄年中改定図では「古ハ木売川村」と付記される (『戸』は脱字)。
^ ※20: [新田・分村] 天保郷帳では「古者中野新田」と付記され、元禄郷帳・改定図では「中野新田」。元禄郷帳・改定図・天保郷帳・国絵図では「保村枝郷」と付記される。
^ ※21: 江戸期末までに再び保村の一部として把握されるようになったらしく、対応する近代の大字は「保村中野分」。書類上は明治6年(1873) の改称。
^ ※22: [新田・分村] 古くは「右馬之助新田」、延宝2年(1674)「吉屋新田」に、さらに元禄11年(1698)「吉屋村」に改称 (武蔵国郡村誌)。
^ ※23: 『武蔵田園簿』『正保年中改定図』では「河藤村」。
^ ※24: 『武蔵田園簿』『正保年中改定図』では「篠塚村」、元禄郷帳・国絵図では「上笹塚村」「下笹塚・駒形 村」(地名は併記)、天保郷帳・国絵図では「上笹塚村」「笹塚村」。したがって「下笹塚村」は存在しない。
^ ※25: 対応する近代の大字は「八子新田」。
^ ※26: 『武蔵田園簿』では「内河村」、『正保年中改定図』では「内川村」。
^ ※27: [新田・分村] 『武蔵田園簿』『正保年中改定図』では「~新田」。
^ ※28: 明治12年(1879) 南広島村に改称、したがって対応する近代の大字は「南広島」。
^ ※29: 元禄年中改定図では「中井村ノ内」と付記される (郷帳には含まれない)。
^ ※30: 元禄郷帳・国絵図との対照を含む。
^ ※31: [中世~織豊期] 天正2年(1574): 「庄內河邊」の「三ケ尾」(『御料所方認書』)。
^ ※32: 天保国絵図には「山﨑村之内」と付記された「二ツ塚村」がほかにある (郷帳には含まれない)。
^ ※33: [新田・分村] 元禄郷帳・国絵図には含まれない。
^ ※34: 天保郷帳・国絵図では「西深井村之内」と付記されるが「西深井村枝郷」の誤りと思われる。
^ ※35: 明治2年(1869) 西深井村・深井新田に編入され (旧高旧領取調帳抜粋、流山市史 近世資料編1,1987)、その一部になった。
^ ※36: 元禄郷帳・国絵図では「中之久木村」。
^ ※37: 天保国絵図には「上新宿村之内」と付記された「上新宿新田」がほかにある (郷帳には含まれない)。
^ ※38: 元禄郷帳・国絵図では「古者新宿村」と付記される。
^ ※39: 元禄・天保国絵図では「北村」。
^ ※40: 村名は併記される。
^ ※41: 明治初期に北村・小谷村に編入され、その一部になったものと思われる。
^ ※42: 元禄・天保国絵図では「南村」。
^ ※43: [中世~織豊期] 応仁2年(1468): 「キリカヤ」(『本土寺過去帳』)、天正19年(1591): 「下総国葛飾郡桐谷村」(岡部氏朱印状、流山市史 近世資料編1,1987)、ほか。
^ ※44: 明治初期に北・小屋・南・桐ケ谷・上貝塚・下花輪の各村に編入され (旧高旧領取調帳)、その一部となった。なお天保郷帳では、北村・小屋村は桐ケ谷北村に、桐ケ谷村・上貝塚村は「谷津村」とともに桐ケ谷村にそれぞれ含まれる (流山市史 近世資料編1,1987)
^ ※45: 村名は併記される。
^ ※46: 明治初期に谷津村・上貝塚村に編入され、その一部になったものと思われる。なお天保郷帳では、谷津村・上貝塚村とも桐ケ谷村に含まれる (流山市史 近世資料編1,1987)。
^ ※47: [中世~織豊期] 大永4年(1524): 「大黒」(『本土寺過去帳』)。直接的な国郡・広域地名の記載は見当たらない。
^ ※48: 天保郷帳では「古者花輪村」と付記され、元禄郷帳・国絵図では「花輪村」。
^ ※49: 一般的に、また現在の表記も「やま」。
^ ※50: [中世~織豊期] 永享9年(1437): 「加村」「カムラ」(『本土寺過去帳』)。
^ ※51: [新田・分村] 慶長年間(1596~1615)~元和年間(1615~1624) の成立 (流山市史 通史編1, 2001)。