(4) 江戸初期の国絵図における下総・武蔵

江戸初期の国絵図にはすべて新方地域は含まれず、国界の変動は反映されている。

(a) 船橋市西図書館所蔵 下総之国図

『下総之国図』は、以下に示すように新方地域を含んでいない。

Fig.656: 船橋市西図書館所蔵 下総之国図 (船橋市デジタルミュージアム公開)
(b) 寛永下総国絵図・日本六十余州国々切絵図

『日本六十余州国々切絵図』の下総国絵図 (#15706)、および武蔵国絵図 (#15705) は以下のとおりであり、武蔵国絵図に新方地域が含まれ、下総国絵図には含まれない。

Fig.521: 日本六十余州国々切絵図 下総国 (秋田県公文書館所蔵)Fig.523: 日本六十余州国々切絵図 武蔵国 (秋田県公文書館所蔵)

下総国絵図では日光街道に相当する道筋に北から「古河」「中田」「クリハシ」(栗橋)「サツテ」(幸手)「杦戸」(杉戸) があり、さらに南下したころで川を渡って「同𛀘𛁏𛀘べㇸ出」(同かすかべへ出、同 = 武州) とある。つまり描かれているのは古利根川 (中世の利根川) までであって、粕壁を含む新方地域は下総国の外にある。一方、武蔵国絵図では「同杦戸出」(同杉戸出、同 = 下総) とあるところから日光街道がはじまり、川を越えたすぐに「𛀚𛁏𛀚べ」(かすかべ、粕壁) がある。またさらに南下すると川を渡って「こし𛀚※」(こしかや、越谷) があるので、この 2本目の川は元荒川 (古代の利根川、ただし古隅田川以南) であって、粕壁を含む新方地域が武蔵国に含まれている。

これは『寛永下総国絵図』も同じで新方地域を含まない。

ところで『余州図』は内容を簡略化した略図 (縮図) であることから、そもそも情報量は少ない傾向にある。しかし関八州と西海道 (現在の関東・九州) は特にこの傾向が強く、さらに下総国のものはその中でも際立っている。北半分 (上半分) を見ると、「下総国」とある利根川・小貝川 (鬼怒川旧流路)・鬼怒川新流路 (短絡部) で囲まれた部分や、「関宿」のある庄内古川・利根川に挟まれた部分に村がまったく描かれず、「山川」と「古城」(山川城) は空白のなかに漠然と置かれている。

新方地域の検討からは少し外れるが、あとで必要になるのでこの部分に注目すると、同じ秋田県公文書館デジタルアーカイブ公開の国絵図でも『下総国11郡絵図』(#120500)では白線で国界が表現されている。岡山大学 絵図公開データベースシステムで公開の『〔下総国絵図〕』(#T1-75)も同様である。 (京都大学貴重資料デジタルアーカイブ公開の『下総国[東海道図]』は秋田県公文書館の #15706と変わらない)。

Fig.719 日本六十余州国々切絵図 下総国 (『下総国11郡絵図』・秋田県公文書館所蔵)

一方、船橋市デジタルミュージアム公開の『下総一国之図』では空白部分に村々が記載されている。

Fig.720 日本六十余州国々切絵図 下総国 (『下総一国之図』・船橋市西図書館所蔵)

差異の詳細は以下の表のとおりである。

秋田岡山京都船橋備考※1
#15706#120500
下総國※2 (枠内)下總國※2 (枠内)下総國※2 (枠内)下総國※3 (枠内)将門屋敷 (文字列)利根川・小貝川 (鬼怒川旧流路)・鬼怒川新流路で囲まれた部分にある記載
古河古河城
関宿関宿城
佐倉佐倉城
古城山川城 (綾戸城)
古城小金城
古城本佐倉城
古城神崎城(群)
古城大崎城 (矢作城)
古城本佐倉城
御殿船橋御殿
御殿古城御茶屋御殿※4
御殿千葉御殿※5
秋田岡山京都船橋備考
#15706#120500
中田中田中田(文字無)※6中田葛飾郡 中田町
クリハシくり橋栗橋葛飾郡 元栗橋村
小𛀚𛂔小金葛飾郡 小金町
松戸葛飾郡 松戸町
市川葛飾郡 市川村
キヤウトクきやう徳き※う徳 (きやう徳)きやう徳行徳葛飾郡 本行徳村
八幡葛飾郡 八幡村
舟橋葛飾郡 船橋村
(欠)中里葛飾郡 中里村
(欠)ツケヒツ松伏領 築比地村 (つきひじ / ついひじ) か? ただし対岸
サツテさつてサツテ幸手領 幸手宿
杦戸幸手領 杉戸宿
(欠)内川松伏領 上内川村 ・ 下内川村
ヨシ川よし川吉川二郷半領 吉川村
秋田岡山京都船橋備考
#15706#120500
(文字無)※6※ふき (ゆふき)ゆふき※ふき (ゆふき)結城結城郡 結城本郷、オブジェクトはほかと形式が異なる。
小判形・平行3色※7※8小判形・変則3色※7※9真円・白色
放射状凡例※10一般的な凡例※11n/a
山川結城郡 上山川村
(欠)諸川猿島郡 諸川村
(欠)仁連猿島郡 仁連村
(欠)久貝猿島郡 がい
(欠)堀村不明 (猿島郡 境町の原形となる地名か)
(欠)宕下岡田郡 向石下村
秋田岡山京都船橋備考
#15706#120500
𛃖𛁥𛃖𛁥𛃖𛁥𛃖𛁥𛃖𛀘(馬加)千葉郡 馬加村
ケコ川けこ川けこ川けこ川ケミ川千葉郡 がわ
サン川さん川さん川さん川サン川千葉郡 寒川村
ソカノそ𛀚のそ𛀚のそ𛀚のソカノ千葉郡 曽我野村
カナヤ𛀚𛂂や(不明)※12か𛂂やカナヤ千葉郡 かねおや
大𛄌𛁠大𛄌𛁠大𛄌𛁠大𛄌𛁠大和田千葉郡 大和田村
秋田岡山京都船橋備考
#15706#120500
𛂘ト𛂗と𛂘ト相馬郡 根戸村
トハリと𛂦りトハリ相馬郡 戸張村
アヒコあひこアヒコ相馬郡 阿孫子村
ヲ〃イ or ヲクイおヽい or おくい大井相馬郡 大井村
一ふ一分一府相馬郡 いち
あ𛃰きアラキ相馬郡 新木村
ふさ府佐相馬郡
ふ川府川相馬郡 かわ
フセふせ□施 (布施)※13相馬郡 布施村
(欠)坂飛相馬郡 板戸井村か?
(欠)大木相馬郡 大木村
(欠)守屋相馬郡 守谷町
(欠)アツナカ相馬郡 大鹿村か?
(欠)トリテ相馬郡 取手村
(欠)山王相馬郡 山王村
カワラシロか𛄌𛃰𛁈ろ𛀚𛄌𛃰𛁈ろカハラシロ相馬郡 河原代村
長おき長おき長をき長※き (長おき)長ヲキ相馬郡 長沖村
𛂂𛀚おき新田𛂁𛀚おき新田𛂂𛀚をき新田長※き新田 (長おき新田)新田相馬郡 長沖新田村
モンマ𛃙んま𛃚んま𛃙んまモンマ文間 (広域地名)
秋田岡山京都船橋備考
#15706#120500
イサコいさこイサコ印旛郡 いさご
ウスイうすいうすいう※い (う𛁏い)ウスイ印旛郡 臼井村
シヤスイ𛁈𛃞すい𛁈𛃞すい𛁈𛃞𛁏いシヤスイ印旛郡 酒々井村
木おろし木おろし木※ろし (木おろし)木ヲロシ木下 (広域地名)
秋田岡山京都船橋備考
#15706#120500
カン取かん取カントリ香取郡 香取村
ツノ宮𛁪の宮つの宮𛁭の宮津ノ宮村香取郡 津野宮村
ハタマキ𛂦𛁠まき𛂦𛁠まき𛂦※※き (𛂦𛁠𛃄き)ハタマキ香取郡 片巻村
カナイヅ𛀚𛂁い𛁪゙𛀚𛂂いづか𛂁いつカナイヅ香取郡 金江津村
※14書付ふ見※﨑 (大﨑)香取郡 本矢作村・大崎村
タカノ大ワタた𛀚の大𛄋𛁠た𛀚の大𛄌𛁠大ワタ香取郡 大和田村
サワラさ𛄌𛃰サワラ香取郡 佐原村
ヲミ川𛀕𛃉川オミ川香取郡 小見川村
ヲミ𛀕𛃉𛀔𛃋 (於美)香取郡 小見村
大寺大寺※15香取郡 大寺村
ケンタけんた※んた (けんた)ゲンダ源太河岸
秋田岡山京都船橋備考
#15706#120500
ナリ田成田埴生郡 成田村
寺タイ寺たい寺代埴生郡 寺台村
八日市場八日市匝瑳郡 八日市場村
ツハキ𛁪𛂦きつ𛂦き𛁭𛂦きツハキ匝瑳郡 椿村
ウナ上う𛂁上う𛂂上う𛂂上※16ウナ上海上 (広域地名)
秋田岡山京都船橋備考
#15706#120500
(なし)水野日向守居城付箋(結城)
(なし)拾万石 ⊏⊐大炊※17 (土井大炊)拾万石 土井大炊拾万石 𡈽井大炊本多中啓大輔居城付箋(古河)
(なし)四万石 久世大和守久世出雲守居城付箋(関宿)
(なし)六万石 松平和泉守堀田相模守居城付箋(佐倉)
同𛄌どへ出同𛄌とへ出ル武州ワトヘ出国境記載 (和戸方面)
同𛀘𛁏𛀘べㇸ出同𛀚す𛀚べㇸ出ル同かすかべㇸ出ル武州カスカヘヘ出国境記載 (粕壁方面)
(欠)杦戸ヨリカスカヘ江一リ半
同𛂞てうㇸ出同八てうㇸ出ル武州八テウヘ出 国境記載 (八条方面)
(欠)小金ヨリ八テウマテ二リ半
同𛀘𛂂町ㇸ出同𛀚𛂁町ㇸ出ル同𛀚𛂂町ㇸ出ル同𛀘𛂁町ㇸ出ル武州金町ヘ出国境記載 (金町方面)
(欠)杦戸ヨリ金町ヘ一リ
武州葛西ㇸ出ル武州𛀚さいㇸ出ル武州かさいㇸ出ル武州葛西ヘ出国境記載 (金町方面)
(欠)杦戸ヨリ金町ヘ一リ
常州あかさきㇸ出常州あ𛀚さ𛀧ㇸ出ル常刕あ𛀚さ𛀧江出ル常州赤柴へ出国境記載 (若柴方面)
同𛃶う𛀚崎ㇸ出同𛃶う𛀚崎ㇸ出ル同𛃶う𛀚崎江出ル常州リウカ﨑ヘ出国境記載 (龍ケ崎方面)
(欠)フカハヨリリウカ﨑ヘ二リ
同所ㇸいつ𛃽同所ㇸ出ル常州リウカ﨑ヘ出国境記載 (龍ケ崎方面)
(欠)※サキヨリリウカサキヘ四リ半 (~大~)
(欠)上総横シハヘ出国境記載 (横芝方面)
(欠)八日市ヨリ横シハヘ二リ
(欠)上総本金ヘ出国境記載 (本金方面)、本金は不明、東金の誤りか関係する地名か
(欠)カナヤヨリ本金ヘ四リ
(欠)上総八幡ヘ出国境記載 (八幡方面)
(欠)ソカノヨリ八幡ヘ一リ
(欠)下野乃木ヘ出国境記載 (野木方面)
(欠)下野モロキヘ出国境記載 (モロキ方面)、モロキは不明
川半分武州ノ内※18川半分武州之内※18川半分武州ノ内※18川半分武州之内※18川半分武州ノ内※19国境記載 (栗橋・中田付近)
東川国サカイ(欠)国境記載 (栗山川付近)
(欠)南西北西郡一覧 (位置)
(欠)下総国十一郡 下総國拾一郡 下総一国之図 大管十二郡郡一覧 (表題)
(欠)カトシカ 印幡インハ 匝瑳サフサ ウラカミ 香取カトリ 埴生ハマフ 相馬サウマ 猨島サシマ 結城 トヨカトシカ イン 匝瑳サフサ ウラカミ 香取カトリ 埴生ハマフ 相馬サウマ 猨島サシマ 結城 トヨカトシカ イン 匝瑳サフサ ウナカミ 香取カトリ ハマ 相馬サウマ 猨島サシマ 結城 トヨカトシカ 千葉郡 イン ハニ シマ トヨ サウ ユフ サフ カントリ ウナカミ サフ ヲカ郡一覧 (内容)
(欠)畗貳十五万百四十石余高貳十五万百四十石余高弐拾五万百四拾石余三十九万三千石郡一覧 (石高)
(欠)三ケ城 古河 佐倉 世喜宿城一覧
(欠)「アヒコヨリ小金マテ二リ」など道中距離情報
「池」「池」「潮入」(朱記)水域記載
(欠)武蔵地 常陸地 上總地 下野地隣国朱記
(欠)存在存在(欠)(欠)武蔵・常陸・下野国界白線
自然描写の樹木

文字はしっかりとした楷書体でほかにあるような曖昧さはなく、上の表からもわかるようにほかで誤っている部分はすべて正しい (郡名読みや千葉郡 馬加村の『𛃖𛁥』(誤)・『「𛃖𛀘」』(正) など)。書体や丁寧さは写本作成者にもよるかもしれないが、全体としても「完成されたもの」という印象が強い。一方で一里塚はないものの街道に沿って距離情報があって、また国境記載の情報量と形式は、後述の寛永国絵図本体と推定される下総国絵図よりも充実している。したがって本図が余州図であることは疑いないものの、ほかとまったく同一の工程で完成されたものかはどうかは判断が難しい。

なお本図では水戸街道が「アヒコ」(近世 阿孫子村、現在の表記は『我孫子』) と「一府」(同 いち村) の間で 2方向に分かれ、その後合流している。このうち東側の「府佐」(同 村) と「府川」(同 かわ村) の間で利根川を渡るほうが本道で、「トリデ」(同 取手村、取手宿) を通るのがこれを補完する脇道である。後者が水戸街道に指定されるのは天和2年(1682) 以降だが、寛永6年(1629) にはすでに渡船場から続く街並みが形成されていた※20。したがって特に矛盾はなく、むしろ簡略化の傾向の強い余州図にもあらわれるほど、すでにこの脇道が本道に準ずるような存在だったことがわかる。また本図では岡田郡を含む 12郡構成となっているが、その成立 (豊田郡を鬼怒川東西で分割) は貞享3年(1686) とされる。しかしこれは『下総国旧事考』によるもので、単に「岡田郡ヲ建タルハ貞享三年ナリト云」とあるだけで根拠は示されていない。それより前の『寛文朱印留』にも「下総国岡田郡」は含まれ、松平乗命旧蔵の正保国絵図と推定されている下総国絵図にも岡田郡は存在し、後述の寛永国絵図本体と推定される下総国絵図でも変わらない。

^ ※1: 村名は天保郷帳・国絵図による。
^ ※2: 西が上。
^ ※3: 東が上。
^ ※4: 千葉市 若葉区 御殿町、市指定史跡「千葉御茶屋御殿跡」。
^ ※5: 千葉市 中央区 中央、千葉地裁付近 (『社寺よりみた千葉の歴史』(1984)『新風土記・房総史蹟紀行』(1981))。
^ ※6: オブジェクト (小判形) はあるが文字は記入されていない。
^ ※7: 下総・下野・常陸の 3色で塗り分けられている。
^ ※8: 3色は平行に塗り分けられている。
^ ※9: 3色は国界に沿って塗り分けられている。
^ ※10: 「赤ハ下野」「黒ハ常陸」「白ハ下総」の凡例が結城を中心とする放射状に記載されている。
^ ※11: 「赤キハ下野」「黒キハ常陸」「白キハ下総」の凡例が一般的な形式で右側に記載されている。
^ ※12: 佐倉の付箋で隠されて読み取れない。
^ ※13: 古城・御殿と同じ方形。
^ ※14: なんらかの記号。
^ ※15: 形状はほかと同じ小判形だが鴇羽色。
^ ※16: 『山』を『上』に訂正している。
^ ※17: 一部 (撮影の都合上) 折りたたまれ判読できない。
^ ※18: 中世の利根川 (古利根川) に沿って北が上。
^ ※19: 思川に沿って南が上。
^ ※20: 『取手市史 通史編2』(1992)