12. 争論と国界
江戸期には境界をめぐる争いが係争 (争論) に発展し、結果として伊豆山権現 (現在の伊豆山神社) 付近と神流川の中洲・肥土村東西で国界は変動した。

境界が問題となる争いは古くから存在したが、江戸期に入ると、人口の増大とともにそれまで中間的な位置に置かれていた山野にまで開発がおよぶようになった。また従来からの共有地でもその利用範囲や取り分が問題となって、各地で争論が多発することになった。なかにはその境界が国界と重なったケースもあり、江戸の評定所にまで持ち込まれ、かつ実際に国界が変更されることになったのがこの 2つの地域である。
時期に着目すれば、どちらも変動を見たのは元禄国絵図が作成された時期に当たる。元禄国絵図では、境界をめぐって争いがある場合、未解決のままに放置したり、あるいは曖昧な表現で済ますようなことは許容されなかった。ある意味、無理に決めようとしなければ、少なくともこの時点でそこまで対立しなかっただろうと想像できるケースでもある。
12.1. 神流川 (渡良瀬川・利根川): 上野・武蔵国界
元禄15年(1702) 上野国 緑野郡 肥土村と武蔵国 賀美郡 元安保村の間で起こった争論 (境論) をきっかけに、前者は武蔵国へ移され、上野・武蔵の国界は西へ移動した。

詳細は『27.5. 神流川』を参照。
12.2. 伊豆山権現領:相模・伊豆国界
元禄15年(1702) 伊豆山権現 (現在の伊豆山神社) と小田原藩の対立をきっかけに相模・伊豆国界は東へ移動した。

詳細は『29. 伊豆山権現領』を参照。