17.3. 近代

薩隅日の国界は、近代に入ってさらに変動することになった。

Fig.164 薩隅日 (薩摩 ・ 大隅 ・ 日向国界): 明治5年(1872) 前後および明治29年(1896)
Fig.164 薩隅日 (薩摩・大隅・日向国界): 明治5年(1872) 前後および明治29年(1896)

17.3.1. 財部・深河・救仁: 明治初期および明治29年(1896)

近世 郷と国郡が一致しなかった近世 日向ひゅうがもろかた郡の下財部しもたからべ村・南之郷村は明治初期、どちらもおおすみ郡に移された。近世 日向国 諸県郡 下財部村は財部郷を構成し、郷およびほかの南俣・北俣の 2村 (上財部) は大隅国 囎唹郡だった。南之郷村も同様で、末吉とほかの各村 (岩崎・深川・二之方・諏訪方・五拾町・中之内の 6村) はやはり大隅国 囎唹郡だった。

このうち南之郷村の時期は不明だが、下財部村は明治5年(1872) 4月※1で、明治初期に規模の小さい村の合併が進められるきっかけとなった太政官布告第119号が同じ明治5年(1872) 4月10日の発布なので、同時期と考えられる。

Fig.167 財部 ・ 深河 (日向 ・ 大隅国界): 明治5年(1872) 前後および明治29年(1896)
Fig.167 財部・深河 (日向・大隅国界): 明治5年(1872) 前後および明治29年(1896)

さらに日向国 南諸県郡は鹿児島県における『郡制』の施行に先立って、明治29年(1896)、大隅国 東囎唹郡と統合されて新たに大隅国 囎唹郡となった。南諸県郡は近世 諸県郡のうち鹿児島県の管轄となった部分であり、明治29年(1896) の時点で大崎村・野方村・東志布志村・西志布志村・月野村・松山村が含まれた。大崎村・野方村が近世 大崎郷、東志布志村・西志布志村・月野村が志布志郷、松山村が松山郷にあたる。

Fig.166 救仁 (日向 ・ 大隅国界): 明治5年(1872) 前後および明治29年(1896)
Fig.166 救仁 (日向・大隅国界): 明治5年(1872) 前後および明治29年(1896)

これは明治29年(1896) 3月29日付の法律第55号 (官報 3月30日) による。

法律第55号 (明治29年(1896) 3月29日付)

鹿児島県 (管轄下の) 日向国 南諸県郡、および同県 (管轄下の) 大隅国 東囎唹郡を廃し、その区域をもって囎唹郡を置き、大隅国に属するものとする

原文※2: 鹿兒島縣日向國南諸縣郡及同縣大隅國東囎唹郡ヲ廢シ其ノ區域ヲ以テ囎唹郡ヲ置キ大隅國ニ屬ス

注釈

17.3.2. 吉田郷: 明治初期

同様に郷と村の国郡が一致しなかった近世 薩摩国 鹿児島郡 触田村も、 明治初期に大隅国 姶良郡に移され、平松村の一部になった。

Fig.179 吉田郷 (大隅 ・ 薩摩国界): 明治初期
Fig.179 吉田郷 (大隅・薩摩国界): 明治初期

触田村は近世 大隅国 姶良郡 重富郷を構成し、触田村を除く平松・船津・春花の 3村は郷と同じ大隅国 姶良郡だった。『御分国之巻』※1には「薩州吉田郷内東佐多浦名ゟ別立」とあり、『薩隅日地理纂考』には重富郷について「旧名脇元ト云ヘリ。元文二年二十二代・島津継豊ノ時、帖佐郷内三村、及鹿児島郡吉田郷佐多浦村ノ内ヲ割テ、脇元ニ併セテ一郷トシ、其弟周防忠紀ニ与ヘ食邑トナサシム」(句読点・中黒は筆者が補う) とあって、元文年間(1736~1741) に重富郷が設置されたときに東佐多浦の一部が分村・成立した。

一方、地理院地図によれば現在の平松に小字として触田上・触田下があるので、平松村に編入されたことはわかるが、その経緯・経過はわからない。明治12年(1879) 年調査のきゅうだかきゅうりょうとり調しらべちょうや同年 7月の『鹿児島県治一覧概表』の姶羅郡 重富郷に触田村はないことから、下財部村・南之郷村と同様、明治初期の編入と推定される。

なおこれに限らずこの時期の町村の変遷はわからないことが多いらしく、『鹿児島県市町村変遷史』(1967) も『薩隅日地理纂考』と『鹿児島県治一覧概表』を比較して考察するのに留めている。

旧高旧領取調帳の薩摩国・大隅国

きゅうだかきゅうりょうとり調しらべちょうの薩摩国・大隅国の石高は「明治十二年取調旧高」とあり、ほかの情報も明治12年(1879) 調査と考えられる。前述のように触田村は含まれず、また下財部村・南之郷村は大隅国 囎唹郡に記載されている。本稿で扱ったこのほかの郷と国郡が一致しない各村については、薩摩国 伊佐郡 大口郷の市山村・花北村はそのまま大隅国 菱刈郡、大隅国 菱刈郡 曽木郷の永野村もそのまま薩摩国 伊佐郡に記載されている。しかし近世 薩摩国 鹿児島郡 近在に含まれる姶良郡 小山田村・比志島村は、鹿児島郡に記載されている。また、薩藩政要録で近世 薩摩国 谿山郡 谷山郷に含まれる宿すき村は、『旧高旧領取調帳』では鹿児島郡に記載されている。明治4年(1871) 7月5日 知政所達書※2によれば同日付の変更であり、一部は田上村に編入されたが、田上村はもともと近在に含まれるので近世の宇宿村の全体が近在に移ったということには変わらない。近在のうち下田・花棚・皆房・花野・草牟田・原良の 6村は『旧高旧領取調帳』の鹿児島郡に記載がなく、明治4年5月22日 知政所達書によれば、同日付でそれぞれ坂元・川上・比志島・岡之原・下伊敷・永吉の各村に編入された。

薩隅日地理纂考

『薩隅日地理纂考』は明治初期の地誌。序文には「明治四年正月十五日」とあるが、完成は明治7~8年(1874~1875) ごろとみられている。同名の復刻版が昭和46年(1971) に刊行され、抜粋だが活字を改めたものが「薩隅日地理纂考抄」として「鹿児島県史料集 24 国・郡・郷・村・浦・町附 下巻」(1984) に所収。

注釈

17.3.3. 菱刈: 明治29年(1896)

大隅国 ひしかり郡は明治29年(1896)、薩摩国 きた郡と統合されて新たに薩摩国 伊佐郡となった。これも明治29年(1896) 3月29日付の法律第55号 (官報 3月30日) による。『郡制』の施行に先立つ郡の統廃合ではあるが、古代の大隅国 菱刈郡の大部分は最終的に薩摩国に属するようになった。

法律第55号 (明治29年(1896) 3月29日付)

鹿児島県 (管轄下の) 大隅国 菱刈郡、および同県 (管轄下の) 薩摩国 北伊佐郡を廃し、その区域をもって伊佐郡を置き、薩摩国に属するものとする

原文※1: 鹿兒島縣大隅國菱刈郡及同縣薩摩國北伊佐郡ヲ廢シ其ノ區域ヲ以テ伊佐郡ヲ置キ薩摩國ニ屬ス

Fig.165 菱刈 (大隅 ・ 薩摩国界): 明治29年(1896)
Fig.165 菱刈 (大隅・薩摩国界): 明治29年(1896)
注釈

17.3.4. 桜島

(1) 経緯

同様に大隅国 北大隅郡は薩摩国 鹿児島郡・谿山郡と統合され※1、桜島 (東桜島村・西桜島村) は薩摩国に属するようになった。

法律第55号 (明治29年(1896) 3月29日付)

鹿児島県 (管轄下の) 薩摩国 鹿児島郡および谿山郡、ならびに同県 (管轄下の) 大隅国北大隅郡を廃し、その区域もって鹿児郡を置き、薩摩国に属するものとする

原文※1: 鹿兒島縣薩摩國鹿兒島郡及谿山郡竝同縣大隅國北大隅郡ヲ廢シ其ノ區域ヲ以テ鹿兒島郡ヲ置キ薩摩國に屬ス

Fig.168 桜島 (大隅 ・ 薩摩国界): 明治29年(1896)
Fig.168 桜島 (大隅・薩摩国界): 明治29年(1896)
注釈

(2) 薩藩政要録の村々

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Fig.168 桜島 (大隅 ・ 薩摩国界): 明治29年(1896)
Fig.168 桜島 (大隅・薩摩国界): 明治29年(1896)
大隅国 大隅郡 桜島郷※1
1.
武村※2※3
2.
古里村
3.
湯村※4
4.
西道村※5※2
5.
松浦村※2※6
6.
二俣村※6※3
7.
白浜村
8.
脇村※7
9.
高免村
10.
瀬戸村※7
11.
黒神村
12.
有村※8※9
13.
野尻村※5
14.
赤水村※5※2※7
15.
横山村※10※7
16.
小池村
17.
赤生原あこうばる※11
18.
藤野村※12
19.
沖之島
大隅国 大隅郡 牛根郷※13※14
20.
麓村
大隅国 大隅郡 垂水郷※15※16
25.
海潟村
注釈