オンラインで参照できる加賀国絵図 (加賀国の国絵図) のリストと詳細情報を提供しているページです。
↓一覧へ移動加賀国 (加州) は北陸道に属する国である。国立公文書館所蔵の『天保加賀国絵図』は紅葉山文庫旧蔵・勘定所旧蔵の両方が現存し、紅葉山文庫旧蔵 (#764221) がオンライン公開されている。

『日本六十余州国々切絵図 (余州図)』は、秋田県公文書館に 68国のすべてが現存し、秋田県公文書館デジタルアーカイブで公開されている。『日本六十余州国々切絵図』の通称も同館のものによる。『余州図』についての一般論は『6. 寛永国絵図・日本六十余州国々切絵図』を参照。
秋田県公文書館デジタルアーカイブでは『日本六十余州国々切絵図 加賀国』が公開され、東西 68cm × 南北 104cm、ほかに『加賀国[北陸道図]』 が京都大学貴重資料デジタルアーカイブで公開され、大きさは東西 77cm × 南北 104cm、『〔加賀国絵図〕』(T1-56) が岡山大学 絵図公開データベースシステム で公開され、東西 78.9cm × 南北 109.7cm である。
また加賀・能登・越中 3国については石川県立図書館にも現存し、加賀国については『寛永十年北陸道七箇国之内』としてSHOSHO で公開され、サイズは東西 81cm × 113cm である。
国立公文書館所蔵、中川忠英旧蔵の国絵図群 (通称『日本分国図』) には越中国のものが含まれ (#714352 #714353)、#714353がオンライン公開されている。

本図の余白部分 (畾紙) には目録があり、国郡高は以下のとおりである。
| 郡 | 本図 | 寛文印知※1 | 備考 | |||
|---|---|---|---|---|---|---|
| 河北郡※2 | 75,070.210石 | ※3 | 75,070.200石 | ※4 | おそらく寛文印知では升以下が脱落している | |
| n/a | ||||||
| 石川郡 | 166,945.980石 | ※5 | 166,945.980石 | ※6 | 一致する。 | |
| n/a | ||||||
| 能美郡 | 115,244.56石 | ※7 | 110,908.690石 | ※8 | -33.73石の差分がある。 | |
| 4,302.140石 | ※9 | |||||
| 江沼郡 | 65,697.860石 | ※10 | n/a | +33.73石の差分がある。 | ||
| 65,731.590石 | ※11 | |||||
| 総計 (国高) | 422,958.610石 | ※12 | 422,958.600石 | ※13 | 河北郡 (加賀郡) を補正すれば一致する。 | |
本図の様式は正保国絵図のものであり、また中川忠英旧蔵に含まれる正保国絵図と同様である。また上にまとめたように本図の国高はいわゆる寛文印知に整合することから『正保加賀国絵図』といえる。なお本図では村高は省略されている。
河北郡 (加賀郡) については、おそらく寛文印知では升以下が脱落しているのではないかと思われる。能美・江沼 2郡は双方で数値が異なっているが、能美郡は本図に対して寛文印知が -33.73石、江沼郡は +33.73石であって相殺される。正保3年(1646) 『正保三年二上ル下帳』※14によれば、『正保加賀国郷帳』における江沼郡は 65,697.860石※15なので本図の郡高は正しい。万治3年(1660) 大聖寺藩は、越中国内の各村を加賀藩の能美郡各村と交換することで、所領の分散を解消した。この前後で何らかの再編・調整があって、それが寛文印知に反映されたのだろう。
| ^ ※1: | 寛文4年(1664) 4月5日付『前田綱紀宛領知判物・目録』(上段、加賀藩)、および同『前田利明宛領知朱印状・目録』(下段、大聖寺藩)、『寛文朱印留 上』(1980) 所収、c.25および c.74。 |
| ^ ※2: | 『前田綱紀宛領知判物・目録』では「加賀郡」。 |
| ^ ※3: | 「七万五千七拾石貳計一舛」。 |
| ^ ※4: | 『高七万五千七拾石弐斗』。 |
| ^ ※5: | 「拾六万六千九百四十五石九計八舛」。 |
| ^ ※6: | 『高拾六万六千九百四拾五石九斗八升』。 |
| ^ ※7: | 「拾一万五千二百四十四石五計六舛」。 |
| ^ ※8: | 「高拾壱万九百八石六斗九升」。 |
| ^ ※9: | 「高四千三百弐石壱斗四升」。 |
| ^ ※10: | 「六万五千六百九十七石八計六舛」。 |
| ^ ※11: | 「高六万五千七百三拾壱石五斗九升」。 |
| ^ ※12: | 「髙都合四拾貳萬貳千九百五拾八石六計壹升」。 |
| ^ ※13: | 本稿における計算値。 |
| ^ ※14: | 正保3年(1646) 8月吉日付、『加賀市史料 1 郷村村高関係』(1981) 所収、cc.12-31。本文書は大聖寺藩分の郷帳で江沼郡は全村含まれる。 |
| ^ ※15: | 「高〆六万五千六百九拾七石八斗六升」。 |
石川県立図書館には『正保加賀国絵図』が『加賀国四郡絵図』として現存し、SHOSHO で公開されている。

本図の大きさは東西 320cm × 南北 496cm※1で、余白部分 (畾紙) に記載された国郡高は中川忠英旧蔵に一致し、様式・内容とも同様である。村高・支配関係 (いろは記号)・国境記載とも過不足ないように見え、背景の自然描写も緻密である。ただ全体的に水損による汚れ・退色が目立ち、村をあらわすオブジェクトも着色がはがれて村名が判読できなくなっている箇所があり、惜しまれる。
『石川県立図書館報 No.316』によれば本図は下図とされる。しかし朱点・朱書きは、下絵図における修正指示というより校合の痕跡のように感じる。『元禄加賀国絵図』を作成するに当たって写されたものと考えるのはどうだろうか。
ほかの正保国絵図にもいえることだが、本図の形状は不正確で「下ぶくれ」している。また南東部の白山付近は本来突出すべき地形が圧縮され、丸められている。
画像データとしては全体で 61,070 × 38,626の高解像度かつ圧縮率をおさえた高品質で、筆致に至るまで確認できる。環境に依存する可能性はあるものの、ビューアのレスポンスが遅い印象があるのが残念なところで、改善が期待される。
| ^ ※1: | 数値が東西・南北のどちらかは本稿で判断した。 |
石川県立図書館には『元禄加賀国絵図』が『加賀国高都合并郡色分目録』として現存し、SHOSHO で公開されている。

本図は大きさは東西 365cm × 南北 500cmで、余白部分 (畾紙) に存在する目録の奥書には元禄15年(1702) の日付 (『元禄十五壬午年四月』) と松平加賀守の名前が記載されている。『石川県立図書館報 No.316』によれば、やはり下図という。保存状態は『加賀国四郡絵図』(『正保加賀国絵図』) と同じく良好な状態にはないが、精巧であるのは『正保加賀国絵図』と同様で、下絵図 (下図) であれば清書する直前のものだろう。
本図は『正保加賀国絵図』と比べると不正確だった部分が見直され、全体の形状も『天保国加賀絵図』に近づいている。
画像データとしては全体で 61,238 × 44,689の高解像度かつ圧縮率をおさえた高品質で、筆致に至るまで確認できる。ビューアのレスポンスが遅い印象があるのが残念なところで、改善が期待される。
冒頭で言及のとおり、『天保加賀国絵図』は国立公文書館に紅葉山文庫旧蔵・勘定所旧蔵の両方が現存し、紅葉山文庫旧蔵 (#764221) がオンライン公開されている。
紅葉山文庫※1は江戸城内にあった書庫、勘定所は勘定奉行を長とする役所であり、したがって紅葉山文庫旧蔵は保存と限定的な参照目的のために納められたもの、勘定所旧蔵は実務に供されたものとなるが、紅葉山旧蔵も必要に応じて借用・参照されたようである※2。
『天保加賀国絵図』は東西 384cm × 南北 489cm、目録の奥書部分には、全国一律に天保9年(1838) の日付 (『天保9年戊戌五月』) と明楽飛騨守・田口五郎左衛門・大沢主馬の名前が記されている。天保国絵図一般については『9. 天保国絵図』を参照のこと。
| ^ ※1: | 「紅葉山文庫」はほかの各種用語と同様、近代以降の俗称・学術用語。近世は主に「御文庫」と呼ばれ、「官庫」とも呼ばれた。 |
| ^ ※2: | 『紅葉山文庫』(1980)。 |
→ 『凡例』
2026.04.15:
2026.03.29:
2026.02.18:
2026.02.04:
2026.01.31:
2026.01.02: