オンラインで参照できる丹波国絵図 (丹波国の国絵図) のリストと詳細情報を提供しているページです。
↓一覧へ移動丹波国は山陰道に属する国である。国立公文書館には『天保丹波国絵図』が現存する。

『日本六十余州国々切絵図 (余州図)』は、秋田県公文書館に 68国のすべてが現存し、秋田県公文書館デジタルアーカイブで公開されている。『日本六十余州国々切絵図』の通称も同館のものによる。『余州図』についての一般論は『6. 寛永国絵図・日本六十余州国々切絵図』を参照。
秋田県公文書館デジタルアーカイブでは『日本六十余州国々切絵図 丹波国』が公開され、東西94cm × 南北68cm、ほかに『丹波国[山陰道図]』 が京都大学貴重資料デジタルアーカイブで公開され、大きさは東西 108cm × 南北80cm、『〔丹波国絵図〕』(#T1-58) が岡山大学 絵図公開データベースシステム で公開され、東西 109.8cm × 南北 78.6cm である。
国立公文書館所蔵、中川忠英旧蔵の国絵図群 (通称『日本分国図』) には丹波国絵図のものが含まれ、現存する (#714176)。オンラインでは公開されていない。
『福井』によれば、大きさは東西 439cm × 南北 335cm※1、余白部分 (畾紙) に存在する目録には石高として 289.829.146石 (高都合弐拾八万九千八百弐拾九石壱斗四升六合) と記載されている。この国高は『栗田文庫善本書目』(1940) に含まれる『丹波国郷帳』(#259) の国高と一致する。『丹波国郷帳』は奥書に正保4年(1648) 3月の日付 (『正保四年亥三月吉日』) と松平山城守・稲葉美濃守・菅沼左近太夫の名前が記された郷帳であり、『正保丹波国郷帳』である。本図の様式や描写された景観はオンライン公開されていないため検討できないが、『福井』は「様式は山城国に同じ」とし、山城国絵図は正保国絵図の仕様に従っていることから本図は『正保丹波国絵図』といえる。
なおこの『丹波国郷帳』(#259) が現存するかどうかはわからない。『陽明文庫・栗田文庫の史料調査・撮影』※2によれば、戦災により「栗田文庫」の相当量は失われたという。
元禄国絵図は国立公文書館に多く現存し、下総・常陸・日向・薩摩・大隅が正本、五畿 (大和・山城・河内・和泉・摂津) とその周囲である近江・丹波・播磨が写本である (令制国 68国ではないものを除く、元禄国絵図の一般論については『8. 元禄国絵図』を参照)。

『元禄丹波国絵図』(#3146785) は写本のひとつである。大きさは東西 399cm × 南北 311cm、丹波国の場合は比較するものがないが、『元禄近江国絵図』の例から、背景の自然描写では山陵と森林の多くが省略されているとみられる。実際『天保丹波国絵図』と比較するとその数は少ない。元禄13年(1700) 11月の日付 (『元禄十三庚辰年十一月』) と朽木伊予守・小出伊勢守・織田山城守の名前が記されている。
冒頭で言及のとおり、『天保丹波国絵図』は国立公文書館に現存し、オンライン公開されている (#1271805)。
天保国絵図は紅葉山文庫か勘定所のどちらかの旧蔵である。紅葉山文庫※1は江戸城内にあった書庫、勘定所は勘定奉行を長とする役所であり、したがって紅葉山文庫旧蔵は保存と限定的な参照目的のために納められたもの、勘定所旧蔵は実務に供されたものとなるが、紅葉山旧蔵も必要に応じて借用・参照されたようである※2。
『天保丹波国絵図』については書誌に記載がなくどちらの旧蔵かはわからない。大きさは東西 399cm × 南北 311cm、目録の奥書部分には、全国一律に天保9年(1838) の日付 (『天保9年戊戌五月』) と明楽飛騨守・田口五郎左衛門・大沢主馬の名前が記されている。天保国絵図一般については『9. 天保国絵図』を参照のこと。
| ^ ※1: | 「紅葉山文庫」はほかの各種用語と同様、近代以降の俗称・学術用語。近世は主に「御文庫」と呼ばれ、「官庫」とも呼ばれた。 |
| ^ ※2: | 『紅葉山文庫』(1980)。 |
→ 『凡例』
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