ここでは、江戸期 (江戸時代) に全国規模で作成された国絵図のうち、越前国絵図について詳細をまとめています。一覧は末尾にあります。
(1) 概要
越前国は五畿七道のうち北陸道に属する国である。国立公文書館所蔵の『天保越前国絵図』は勘定所旧蔵が現存し、『天保国絵図越前国』(#763936) としてオンライン公開されている。

越前国は『慶長越前国絵図』が現存し (ただし幕府の指示によって作成された慶長国絵図かどうかは未確定)、『正保越前国絵図』・『元禄越前国絵図』のほか、これらの間に個別に指示されて作成された国絵図や、内部向けに支配関係の現状が反映された国絵図が多く残っている。『19.2. 越前・加賀の国絵図』 も参照。
(2) 慶長越前国絵図
福井県文書館に寄託されている国絵図に『越前国絵図』(#1592809)があり、デジタルアーカイブ福井でオンライン公開されている。大きさは東西 226cm × 南北 276cm である※1。

本図は、徳川政権 (江戸幕府) の指示による慶長国絵図とみなされることがあるものの、実際にはその期間 (慶長9~10年(1604~1605)) に作成されたといえる決定的な事物は見出せない。また村高が村のオブジェクトの中に記載されていることや、郡内の見出しには郡名・郡高・村数だけが記載され、要求された田畑別の内訳がないことは、慶長国絵図の仕様に反する。このため、本図は一連の慶長国絵図のひとつとみなすことは難しい。
ただし、それは江戸幕府指示による慶長国絵図ではないというだけであって、本図が江戸初期の国絵図であり、かつ様式の統一が進む正保国絵図より古いものということには変わらない。比較的大きな村のオブジェクト (楕円) を同じ方向に配した上で、城郭などを具体的な景観で描くのは『元和年間石見国絵図』 と似たところがあって興味深い。
本図の保存状態はかなり良好で、虫喰いや破れなどによる欠損や摩耗は見当たらないが、南西 (左下) 部の敦賀付近には墨が染み込んだような跡がある。これは西 (左) の縁全体も同様だが、絵図の読み取りにはほとんど影響はなく、幸運に感じる。
注釈
(3) 日本六十余州国々切絵図 越前国
日本六十余州国々切絵図 (余州図) は、江戸期 (江戸時代) に全国規模で作成されたと考えられている国絵図の 2番目、寛永年間(1624~1644) に作成された寛永国絵図の略図・縮図と考えられている国絵図である。余州図は五畿七道 68国のすべてが秋田県公文書館に現存し、「日本六十余州国々切絵図」の通称も同館のものによる。『日本六十余州国々切絵図 越前国』は文字どおりに越前国の余州図であり、『日本六十余州国々切絵図 越前国』として秋田県公文書館デジタルアーカイブでオンライン公開され、大きさは東西 69cm × 南北 105cm である。
ほかに『越前国[北陸道図]』 が京都大学 貴重資料デジタルアーカイブで公開され、大きさは東西 77cm × 南北 105cm、『〔越前国絵図〕』(T1-63) が岡山大学 絵図公開データベースシステム で公開され、大きさは東西 77.9cm × 南北 108.4cm である。
(4) 越前国絵図 (#1593284)
『正保越前国絵図』は、江戸期 (江戸時代) に全国規模で作成されたと考えられている国絵図の 3番目、正保年間(1644~1648) から慶安年間(1648~1652) にかけて作成された正保国絵図のうち越前国のものである。福井県文書館に寄託され、デジタルアーカイブ福井でオンライン公開されている『越前国絵図』(#1593284)がこの『正保越前国絵図』であると推定されている。大きさは東西 467cm × 南北 479cm である※1。

本図の郡高は以下のとおりで『正保越前国郷帳』(『越前国知行高之帳』) と整合することから『正保越前国絵図』と判断できる。
| 郡 | 本図 | 正保郷帳 |
|---|---|---|
| 足羽北郡 | 40,208.899石 | 40,248.899石 |
| 高四万弐百八石八斗九升九合 | 髙合四万弐百四拾八石八斗九升九合 | |
| 足羽南郡 | 51,714.7__石 | 51,714.729石 |
| 高五万千七百拾四石七⊏⊐ | 髙合五万千七百拾四石七斗弐升九合 | |
| 吉田郡 | 79,192.125石 | 79,192.125石 |
| 高七万九千百九拾貳石壱斗貳升五合 | 髙合七万九千百九拾弐石壱斗弐升五合 | |
| 丹生北郡 | 87,503.162石 | 87,449.364石 |
| 高八万七千五百三石壱斗六升弐合 | 髙合八万七千四百四拾九石三斗六升四合 | |
| 今南東郡 | 15,215.746石 | 15,215.746石 |
| 高壱万五千貳百十五石七斗四升六合 | 髙合壱万五千弐百拾五石七斗四升六合 | |
| 今南西郡 | 33,774.101石 | 33,774.101石 |
| 高三万三千七百七拾四石壱斗壱合 | 髙合三万三千七百七拾四石壱斗壱合 | |
| 今北東郡 | 35,784.547石 | 35,784.547石 |
| 高三万五千七百八拾四石五斗四升七合 | 髙合三万五千七百八拾四石五斗四升七合 | |
| 南仲条郡 | 37,038.484石 | 37,038.484石 |
| 高三万七千三拾八石四斗八升四合 | 髙合三万七千三拾八石四斗八升四合 | |
| 坂南郡 | 46,347.330石 | 46,347.330石 |
| 高四万六千三百四拾七石三斗三升 | 髙合四万六千三百四拾七石三斗三升 | |
| 坂北郡 | 138,614.249石 | 138,614.249石 |
| 高拾三万八千六百拾四石弐斗四升九合 | 髙合拾三万八千六百拾四石弐斗四升九合 | |
| 大野郡 | 93,545.303石 | 93,545.303石 |
| 高九万三千五百四拾五石三斗三合 | 髙合九万三千五百四拾五石三斗九合 | |
| 敦賀郡 | 21,368.431石 | 21,368.431石 |
| 高弐万千三百六十八石四斗三升壱合 | 髙合弐万千三百六拾八石四斗三升壱合 |
本図では、足羽南郡の斗以下は、折り目にかかっているのでほとんど読み取れない (最初の『七』が類推できる程度)。しかし基本的には郷帳と同じ値が記載されているのだろう。足羽北郡の相違は本図で「四拾」が欠けているだけで、ほかは丹生北郡を除いて完全に一致する。
丹生北郡の差異理由はわからないが、『越前国名蹟考』※2の「近世郷村高寄」にある正保4年(1647) 付「正保図帳」では丹生北郡 87,503.162石※3とあって一致する。『越前国知行高之帳』は正保3年(1646) 6月7日付なので、最終的に幕府に献上した郷帳の数値としては 87,503.162石といえるだろうか。
本図の一番の特徴は、村のオブジェクトにおける郡の区別が彩色ではなく形状によってなされていることにあり、小判形以外に方形・真円・正五角形・扇型などが存在する。代わりに彩色は支配関係の区別にあてられ、「いろは」の記号は付与されていない。また郡界の墨線は省略され、隣国色別の彩色もまったくなく、初見の場合にかなりの違和感を受ける原因を与えている。
しかしこれら以外の様式は標準的であり、背景となる自然描写も緻密に描かれている。沿岸に比べて山陵側に国境情報が少ないのはもとからだろう。サイズもおそらく正本を踏襲し、後代の写本とは異なり分厚い紙が使用されている。前述の独自の仕様からいえば、『正保越前国絵図』の直接の控図や写しではなく、内部の実用目的に作成されたのだろう。
本図の保存状態は良好で虫喰いや破損・水損等は見あたらない。ただ、彩色の経年変化に加え、酸化と思われる変色が全体にあって、鮮やかさはかなり失われている。
注釈
(5) 御国大絵図 (#1593590)
福井県文書館に寄託・現存する国絵図に『御国大絵図』(#1593590)があり、デジタルアーカイブ福井でオンライン公開されている。

大きさは東西 376cm × 南北 422cm で※1、本図は前項の『越前国絵図』(#1593284) を改訂したものであり、承応年間(1652~1655) 作成と推定されている。やはり内部の実用目的に作成された絵図とみられる。
本図の郡高を『越前国絵図』(#1593284) と比較すれば以下のようになる。
| 郡 | 『越前国絵図』 (#1593284) | 本図 |
|---|---|---|
| 足羽北郡 | 40,208.899石 | 40,248.89_石 |
| 高四万弐百八石八斗九升九合 | 髙四万弐百四拾八石八斗九舛□合 | |
| 足羽南郡 | 51,714.7__石 | 51,714.729石 |
| 高五万千七百拾四石七⊏⊐ | 髙五萬千七百拾四石七斗弐舛九合 | |
| 吉田郡 | 79,192.125石 | 79,192.125石 |
| 高七万九千百九拾貳石壱斗貳升五合 | 髙七万九千百九十貳石一斗弐舛五合 | |
| 丹生北郡 | 87,503.162石 | 87,449.364石 |
| 高八万七千五百三石壱斗六升弐合 | 髙八万七千五百三石壱斗六舛弐合 | |
| 今南東郡 | 15,215.746石 | 15,215.746石 |
| 高壱万五千貳百十五石七斗四升六合 | 髙壱万五千弐百拾五石七斗四舛六合 | |
| 今南西郡 | 33,774.101石 | 33,774.101石 |
| 高三万三千七百七拾四石壱斗壱合 | 髙三万三千七百七拾四石壱斗壱合 | |
| 今北東郡 | 35,784.547石 | 35,784.547石 |
| 高三万五千七百八拾四石五斗四升七合 | 髙三萬五千七百八十四石五斗四舛七合 | |
| 南仲条郡 | 37,038.484石 | 37,038.484石 |
| 高三万七千三拾八石四斗八升四合 | 髙三万七千三拾八石四斗八舛四合 | |
| 坂南郡 | 46,347.330石 | 46,347.330石 |
| 高四万六千三百四拾七石三斗三升 | 髙四万六千三百四十七石三斗三舛 | |
| 坂北郡 | 38,614.249石 | 138,614.249石 |
| 高拾三万八千六百拾四石弐斗四升九合 | 髙拾三万八千六百拾四石弐斗四舛九合 | |
| 大野郡 | 93,545.303石 | 93,548.120石 |
| 高九万三千五百四拾五石三斗三合 | 髙九万三千五百四拾八石壱斗弐舛 | |
| 敦賀郡 | 21,368.431石 | 21,368.431石 |
| 高弐万千三百六十八石四斗三升壱合 | 髙貳万千三百六拾八石四斗三舛壱合 |
『越前国絵図』(#1593284)と本図とで差異がみられる 3郡のうち、足羽北郡については、本図では「四拾」が欠けておらず、『越前国知行高之帳』の値にほぼ一致する (合の値は摩耗により読み取れない)。また足羽南郡については、#1593284 で読み取れない部分が本図では確認でき、値は郷帳に一致する。一方、大野郡については #1593284・郷帳と本図との間に明らかな差異がある。しかし『越前国名蹟考』※2の正保4年(1647) 付「正保図帳」では、大野郡は 93,548.120石であり※3、本図はこれに一致する。結局のところ『正保越前国郷帳』の郡高として正確なのは『越前国名蹟考』の「正保図帳」のようだ※4。
このほか本図では #1593284 から支配関係が見直されている (逆にいえばそれによって本作成時期が推定される)。たとえば #1593284 では「万千代分」「松平万千代領分」とある福井藩主・松平光通は、本図では慶安元年(1648)以降の「従四位下少将」により「少将領分」という表現に改められている。
本図の保存状態は #1593284 と同様だが、よほど実務に多用されたのか、折り目を中心にかなりの摩耗が生じている。
注釈
(6) 越前国ノ図 (#1593742)
福井県文書館に寄託・現存する国絵図に『越前国ノ図』(#1593742)があり、デジタルアーカイブ福井でオンライン公開されている。

大きさは東西 402cm × 南北 435cm で※1、本図は前項までの『越前国絵図』(#1593284) や『御国大絵図』(#1593590) とは異なって、8郡による構成である。他国と同様、越前国でもいわゆる寛文印知※2の前後で郡が再編され、従来の 12郡から 8郡となった。本図にはこれが反映されている。
しかし、なによりも大きな特徴は、本図が正保国絵図の様式に従っていることだろう。つまり村のオブジェクトはすべて標準的な小判形で、かつ郡別に彩色されている。これによって、隣国色別の彩色こそ欠けるものの、本図はもっとも「正保越前国絵図らしい」国絵図といえる。また、本図は状態がきわめて良く、ほとんど作成されたときのままにある。様式からいっても実用ではなく、たとえば明暦の大火後に幕府の求めに応じて作成されたものなのだろう。
なお、本図の郡界は標準の墨線ではなく、渋味のある赤紫 (梅紫) の線で表現されている。河川がかなり濃い藍色 (搗色・勝色) で表現され、墨線では区別が難しいからだろう。同じような『正保出羽国絵図』も墨線ではなく、金泥を模したような色で引かれていた。またこの梅紫は『慶長長門国絵図』・『慶長周防国絵図』と類似することも興味深い。何らかの古い共通の様式があるのかもしれない。
注釈
(7) 越前国之図 (#1605757)
福井県文書館に寄託・現存する国絵図に『越前国之図』(#1605757)があり、デジタルアーカイブ福井でオンライン公開されている。

大きさは東西 398cm × 南北 408cm で※1、本図は貞享2年(1685) に作成された。正保国絵図などの全国一律に作成が指示されたものとは異なって、越前国に限定された『貞享越前国絵図』とも呼べる国絵図である。余白部分 (畾紙) の目録に奥書はないが、裏書に簡単な経緯と作成にかかわった人物の名前が連記され、ここには貞享2年(1685) 7月の日付 (『貞享二乙丑歳七月日』) も記されている※2。
本図の様式は、藩独自・実用的 (『御国大絵図』(#1593590) など) と幕府指示・標準的 (『越前国ノ図』(#1593742)) の間を取ったようなものになっている。村のオブジェクトでいえば、本図では小判形を基本に (標準的)、方形・真円なども併用され、支配を区別している (実用的)。彩色は郡別だが (標準的)、相給の場合は図形が並べられ、村高の内訳がそれぞれに記載されている (実用的)。本図の作成は越前国における支配の見直しが関係しているとされる※2。『越前国ノ図』(#1593742) の印象を残しながら標準から外れた様式になっているのは、このあたりが関係しているのだろう。
本図の別の特徴として、寺社・付加情報が多く、街道も詳細化されている点があげられる。山・峠・野などの局所的な地形や名勝・旧跡等の名前が短冊形に入れられ、付近に置かれている。白山に登山道 (禅定道、禅定道・馬場も参照) が具体的に示されていることも興味深く、関係する堂宇や滝の景観まで書き入れられている。越前国では本図の作成にあわせて広範な調査が行われ、『越前地理指南』という地誌にまとめられたといい※2、それが反映されている。
このほか本図の郡界は墨線ではなく、街道とは異なる深い朱 (紅樺) であらわされ、これは『越前国ノ図』(#1593742) の仕様を継承しているのだろう。一方で白山付近を含む山側の形状は異なり、このとき改められたのではないだろうか。
注釈
(8) 元禄越前国絵図
『元禄越前国絵図』は、江戸期 (江戸時代) に全国規模で作成された国絵図の 4番目、元禄年間(1688~1704) に作成された元禄国絵図のうち越前国のものである。福井県文書館に寄託され、デジタルアーカイブ福井でオンライン公開されている『[越前国絵図]』(#1593916)がこの『元禄越前国絵図』にあたる。

本図の大きさは東西 479cm × 南北 422cm で※1、余白部分 (畾紙) にある目録には「越前国高都合并郡色分目録 (越前國髙都合并郡色分目錄)」の表題とともに郡名・郡高・村数が一覧され、奥書に元禄14年(1701) 5月の日付 (『元禄十四年辛巳年五月』) と松平兵部大輔の名前が記されている。
その日付の左に貼られた付箋によれば「此御絵図者、御伺絵ニ而、月付五月也、請御絵図、月付八月也」※2といい、本図はほぼ完成されたものである。本図 (伺絵図) をもって内見に受けたところ、何らかの指摘があったとみられ、是正の上で清書したもの (清絵図) が 8月に提出された。目録には貼紙を重ねて石高を修正した跡がある。
注釈
(9) [越前国絵図] (#1594190)
福井県文書館に寄託・現存する国絵図に『[越前国絵図]』(#1594190)があり、デジタルアーカイブ福井でオンライン公開されている。
![Fig.320 [越前国之図] (#1594190・福井県文書館寄託・デジタルアーカイブ福井公開)](../../images/knz/fig320knz.jpg)
本図の大きさは東西 474cm × 南北 430cm で※1、裏書によれば、幕府御目が来訪するにあたって作成されたもので、『元禄越前国絵図』をベースに村のオブジェクトの彩色を郡別から支配別に変更したものである。『越前国絵図』(#1593284)などとは異なって、オブジェクトの形状は小判形から変えずに色の組み合わせで表現されているため、かなり色鮮やかな印象を受ける。全体の大きさとともに村のオブジェクト以外は驚くほど精密に描き写されている※2。
余白部分 (畾紙) の目録では村の彩色が変更されたことにともない、郡名・郡高の一覧にあった、郡別彩色の凡例 (色の見本) は除かれ、国高の次に支配の一覧とその凡例が足されている。奥書には享保10年(1725) (享保十乚巳年) の日付と松平千次郎の名前が記載され、また裏書には享保10年(1725) 10月 (享保十乚巳年十月) の日付と作成に関係した人物の名前が列記されている。
注釈
(10) 越前国絵図 (#1594277)
福井県文書館に寄託・現存する国絵図に『越前国絵図』(#1594277)があり、デジタルアーカイブ福井でオンライン公開されている。

『松平文庫目録』(1968) によれば、前項の『[越前国絵図]』(#1594190)と同様の目的で作成されたものと推定され、その時期は内容から元文年間(1736~1741) とみられる。『[越前国絵図]』(#1594190) の直後で変更部分が限定されるためか、大きさは東西 175cm × 南北 157cm の縮図であり※1、村高は省略され、背景となる自然描写も簡略化されている。しかし後代の写本とは異なって原本には忠実であり、特に省かれやすい隣国色別もそのままなので、大きさをいわれなければ両者の違いはほとんどわからない (本図では郡界の墨線が目立つ程度)。やはりその精密さには驚かされる。
余白部分 (畾紙) にある目録の形式も『[越前国絵図]』(#1594190)と変わらないが、奥書に相当する部分はなく、したがって日付・人名は記載されていない。なお『福井市史 資料編 別巻 絵図・地図』(1989) の解説で言及される城下の描写や河川名は『元禄越前国絵図』の特徴であって、本図はそれを継承しているだけである。また『越前国之図』(#1605757)と比較・評価しているが、同図と本図は系統・経緯の異なる国絵図であり、意味がない。
注釈
(11) 天保越前国絵図
『天保越前国絵図』は、江戸期に全国規模で作成された国絵図の最後、天保年間(1830~1844) に作成された天保国絵図のうち越前国のものである。冒頭で言及したとおり、『天保越前国絵図』は国立公文書館に勘定所旧蔵が現存し、『天保国絵図越前国』(#763936) としてオンライン公開されている。ほかに縮図が存在する。ただし縮図については『福井a』では「下図」とある。
紅葉山文庫※1は江戸城内にあった、将軍の利用を原則とする書庫 (図書館) であり、勘定所は勘定奉行を長とする役所である。したがって紅葉山文庫旧蔵は保存と限定的な参照を目的に納められたもの、勘定所旧蔵は実務に供されたものとなるが、紅葉山文庫旧蔵も必要に応じて借用・参照されたようである※2。
『天保越前国絵図』は大きさが東西 459cm × 南北 423cm で、目録の奥書部分には、全国一律に天保9年(1838) の日付 (『天保9年戊戌五月』) と明楽飛騨守・田口五郎左衛門・大沢主馬の名前が記されている。
注釈
(12) 越前国之図 (#1595226)
福井県文書館に寄託・現存する国絵図に『越前国之図』(#1595226)があり、デジタルアーカイブ福井でオンライン公開されている。

大きさは東西 446cm × 南北 410cm で※1、『松平文庫目録』(1968)および解説は、裏書の内容から本図を『天保越前国絵図』の控図と判断している。天保国絵図は、元禄国絵図の分割写本を配布した上で、重ねた薄紙 (懸紙) に変更内容を記載・提出させ、清書は幕府で一括して行うという方式が採られた。したがって、元禄国絵図以前と同じ意味の「控図」(正本の控図) が国許に残ることはなく、あるとすればその、分割写本に薄紙 (懸紙) を重ねたもの、の控図ということになる。
同様に国許に残された天保国絵図は、『天保信濃国絵図 』(上田市立博物館所蔵) のように、提出した帯状の形態のままに作成されていることが多いが、本図は 1枚の絵図として作成されている。内容からいえば、本図は『元禄越前国絵図』に天保国絵図作成時点の現状を反映したもののようだ。これについて国郡高を検討すると、本図の余白部分 (畾紙) にある目録に記載された国郡高は、各郡内見出しの郡名に併記された郡高とともに『元禄越前国絵図』に一致する。
| 郡 | 元禄 | 本図 | 天保 | |||
|---|---|---|---|---|---|---|
| 足羽郡 | 91,963.62800石 160村 | ※2 | 91,963.62800石 159村 | ※3 | 92,863.62600石 164村 | ※4 |
| 吉田郡 | 79,289.73840石 139村 | ※5 | 79,289.73840石 139村 | ※6 | 80,804.03200石 140村 | ※7 |
| 丹生郡 | 87,599.48990石 229村 | ※8 | 87,599.48990石 229村 | ※9 | 87.973.14880石 232村 | ※10 |
| 今立郡 | 85,667.18500石 201村 | ※11 | 85,667.18500石 201村 | ※12 | 86,200.01100石 205村 | ※13 |
| 南条郡 | 37,232.29100石 93村 | ※14 | 37,203.29100石 93村 | ※15 | 35,639.51050石 92村 | ※16 |
| 坂井郡 | 185,485.16100石 350村 | ※17 | 185,485.16100石 349村 | ※18 | 185,521.39200石 347村 | ※19 |
| 大野郡 | 95,534.89300石 283村 | ※20 | 95,534.80930石 283村 | ※21 | 97,491.64070石 280村 | ※22 |
| 敦賀郡 | 21,528.50700石 86村 | ※23 | 21,528.50700石 86村 | ※24 | 22,811.45887石 90村 | ※25 |
| 総計 (国高) | 684,271.80960石 1,541村 | ※26 | 684,271.80960石 1,539村 | ※27 | 689,348.01987石 1,557村 | ※28 |
一方で、『天保越前国郷帳』から読み取れる村の分合と改称は、本図に反映されている。たとえば、今立郡 文室村・木留 (木畄) 村※29※30についていえば、『天保越前国郷帳』では文室村に「古者 文室村・木留 (木畄) 村」と付記され、木留村は載らず、『天保越前国絵図』でも木留村には「文室村之内」と付記され、村高は設定されていない。これは本図も同じであり、つまり変更が反映されている。この 2村は『元禄越前国絵図』ではそれぞれに村高が設定され、個別に把握されていた。しかし木留村には「文室村之枝郷」と付記されており、分村したものの最終的には文室村に含めて把握されることになったようだ。また天保郷帳では「古者 小僧原村」と付記される丹生郡 小曽原村※31は、元禄国絵図では「小僧原村」である一方、本図では天保国絵図と同じように「小曽原村」である。
なお天保国絵図は郷帳を先行して提出済みであるため、本図のオブジェクト (小判形) には村高は記載されず、省略されている。ただし村名は中央に記載され、提出を前提としたものにはなっていない (提出を前提とすれば、村高を書き入れられるように右に寄せられている)。これ以外は緻密に描き写されており、保存状態も良好で色鮮やかな国絵図である。
注釈
(13) [越前国之図] (#1595032)
福井県文書館に寄託・現存する国絵図に『[越前国之図]』(#1595032)があり、デジタルアーカイブ福井でオンライン公開されている。
![Fig.323 [越前国之図] (#1595032・福井県文書館寄託・デジタルアーカイブ福井公開)](../../images/knz/fig323knz.jpg)
本図の大きさは東西 456cm × 南北 415cm で※1、解説には「天保国絵図作成時に、出村や垣内まで把握するために福井藩独自で作成した藩用図」とある。実際、余白部分 (畾紙) の目録に記載された村数は『天保越前国絵図』(正本)・『越前国之図』(#1595226)より多く、差分も明示されている。また絵図内にもところどころに村のオブジェクト (小判形) が描き加えられている。
| 郡 | 本図 | 村数の差 | ||
|---|---|---|---|---|
| 元禄 | #1595226 | |||
| 足羽郡 | 91,963.36280石 195村 (+36村) | ※2 | +35村 | +36村 |
| 吉田郡 | 79,289.73840石 164村 (+25村) | ※3 | +25村 | +25村 |
| 丹生郡 | 87,599.4899石 299村 (+70村) | ※4 | +70村 | +70村 |
| 今立郡 | 85,667.18500石 252村 (+51村) | ※5 | +51村 | +51村 |
| 南条郡 | 37,203.29100石 119村 (+26村) | ※6 | +26村 | +26村 |
| 坂井郡 | 185,485.16100石 444村 (+95村) | ※7 | +94村 | +95村 |
| 大野郡 | 95.706.70930石 330村 (+47村) | ※8 | +47村 | +47村 |
| 敦賀郡 | 21,528.50700石 86村 (±0村) | ※9 | ±0村 | ±0村 |
| 総計 (国高) | 684,443.7896石 1,889村 (+350村) | ※10 | +348村 | +350村 |
上記のとおり、本図で認識される村の増加数は、『元禄越前国絵図』ではなく『越前国之図』(#1595226)との差分に一致する。わずかな違いではあるが、元禄国絵図における郡高として正確なのは後者であるようだ。
注釈
(14) 一覧
| 種別 | 解像度 | 参照 | 名称等 |
|---|---|---|---|
| 所蔵・公開 | |||
| 慶長 | 参照 | 越前国絵図 | |
| デジタルアーカイブ福井 公開 (福井県文書館 寄託) | |||
| 余州 | 参照 | 日本六十余州国々切絵図 越前国 (#15724) | |
| 秋田県公文書館 デジタルアーカイブ 公開 | |||
| 余州 | 参照 | 〔越前国絵図〕 (T1-63) | |
| 岡山大学 絵図公開データベースシステム 公開 | |||
| 余州 | 参照 | 越前国[北陸道図] | |
| 京都大学 貴重資料デジタルアーカイブ 公開 | |||
| 正保 | 参照 | 越前国絵図 (#1593284) | |
| デジタルアーカイブ福井 公開 (福井県文書館 寄託) | |||
| 正保 | 参照 | 御国大絵図 (#1593590) | |
| デジタルアーカイブ福井 公開 (福井県文書館 寄託) | |||
| 正保 | 参照 | 越前国ノ図 (#1593742) | |
| デジタルアーカイブ福井 公開 (福井県文書館 寄託) | |||
| その他 | 参照 | 越前国之図 (#1605757) | |
| デジタルアーカイブ福井 公開 (福井県文書館 寄託) | |||
| 元禄 | 参照 | [越前国絵図] (#1605757) | |
| デジタルアーカイブ福井 公開 (福井県文書館 寄託) | |||
| その他 | 参照 | [越前国絵図] (#1594190) | |
| デジタルアーカイブ福井 公開 (福井県文書館 寄託) | |||
| その他 | 参照 | 越前国絵図 (#1594277) | |
| デジタルアーカイブ福井 公開 (福井県文書館 寄託) | |||
| 天保 | 参照 | 勘定所旧蔵 (#763936) | |
| 国立公文書館 デジタルアーカイブ 公開 | |||
| 天保 | 参照 | 縮図 (#764164) | |
| 国立公文書館 デジタルアーカイブ 公開 | |||
| 天保 | 参照 | 越前国之図 (#1595226) | |
| デジタルアーカイブ福井 公開 (福井県文書館 寄託) | |||
| その他 | 参照 | [越前国之図] (#1595032) | |
| デジタルアーカイブ福井 公開 (福井県文書館 寄託) |
(15) 変更履歴
内容
:
- 日本六十余州国々切絵図の記事について、表題を『日本六十余州国々切絵図 越前国』に変更し、説明を整理した。
- 「その他の福井県文書館寄託 越前国絵図」に含まれていたうち、残りの『越前国之図』(#1595226)・『[越前国之図]』(#1595032) の記事を追加した。
- 『[越前国絵図]』(#1594190)・『越前国絵図』(#1594277)・『越前国之図』(#1595226)・『[越前国之図]』(#1595032) について外観を示した。
:
- 「その他の福井県文書館寄託 越前国絵図」に含まれていたうち、『[越前国絵図]』(#1594190)・『越前国絵図』(#1594277) の記事を追加した。
:
- 『御国大絵図』(#1593590)・『越前国ノ図』(#1593742)・『越前国之図』(#1605757) について外観を示した。
:
- 『日本六十余州国々切絵図』の記事を追加した。
- 『慶長越前国絵図』の記事を追補した。
- 『正保越前国絵図』の記事について、表題を「越前国絵図 (#1593284)」に変更し、追補した。
- 「その他の福井県文書館寄託 越前国絵図」の記事を分割し、新たに『御国大絵図』(#1593590)・『越前国ノ図』(#1593742)・『越前国之図』(#1605757)・の記事を追加した。
:
- 「てにをは」等、文章・表現を適宜見直した。
:
- 導入文を追加し、概要を追補した。
:
- 一覧に『御国大絵図』(#1593590)・『越前国ノ図』(#1593742)・『越前国之図』(#1605757)・『越前国絵図』(#1594277)・『[越前国絵図]』(#1594190)・『越前国之図』(#1595226)・『[越前国之図]』(#1595032) を追加した。
- 記事として「その他の福井県文書館寄託 越前国絵図」を追加し、『正保越前国絵図』『元禄越前国絵図』以外の国絵図についてまとめた。
- 『正保越前国絵図』『元禄越前国絵図』の記事を追加した。
- 『天保越前国絵図』について外観を示した。
:
- 構成を再整理し、概要を追加した。誤字・脱字を適宜修正した。
- 同様に一覧表の備考に記載されていた記事を外に出して、表現などわかりづらいところを適宜、見直した。
- 『慶長越前国絵図』について外観を示した。
:
- 新規作成。