オンラインで参照できる紀伊国絵図 (紀伊国の国絵図) のリストと詳細情報を提供しているページです。
↓一覧へ移動紀伊国 (紀州) は南海道に属する国である。国立公文書館所蔵の『天保紀伊国絵図』は紅葉山文庫旧蔵・勘定所旧蔵の両方が現存し、紅葉山文庫旧蔵 (#764145) がオンライン公開されている。

古代の伊勢・志摩・紀伊 3国の国界については『23.4. 伊勢・志摩・紀伊天保国絵図』を参照のこと。
『日本六十余州国々切絵図 (余州図)』は、秋田県公文書館に 68国のすべてが現存し、秋田県公文書館デジタルアーカイブで公開されている。『日本六十余州国々切絵図』の通称も同館のものによる。『余州図』についての一般論は『6. 寛永国絵図・日本六十余州国々切絵図』を参照。
秋田県公文書館デジタルアーカイブでは『日本六十余州国々切絵図 紀伊国』が公開され、大きさは東西 95cm × 南北 80cm、ほかに『紀伊国[南海道図]』 が京都大学貴重資料デジタルアーカイブで公開され、大きさは東西 105cm × 南北 77cm、『〔紀伊国絵図〕』(#T1-107) が岡山大学 絵図公開データベースシステム で公開され、大きさは東西 109.6cm × 南北 78.6cm である。
国立公文書館所蔵、中川忠英旧蔵の国絵図群 (通称『日本分国図』) には紀伊国のものが 2分割された形式で含まれ、現存する (#714358#714359)。オンラインでは公開されていない。
一方、三重県が関係する牟婁郡 (室郡) を含む分割 (どちらなのかは記載がない) は『三重県史 別編 絵図・地図』(1994) に掲載されている。出版物のため解像度は限られるものの、余白部分 (畾紙) に記載された国郡高を確認することができる。
また同じく国立公文書館所蔵、松平乗命旧蔵の国絵図群 (通称『日本分国絵図』) にも紀伊国のものが含まれ、現存する (#725076)。オンラインでは公開されていない。
この松平乗命旧蔵の国絵図群には、松平乗命から明治政府へ渡る前後 (明治5~6年(1872~1873))に、京都府が一式を借用して忠実に模写したものも存在し、京都府立京都学・歴彩館に現存、館古044: 国絵図という一群で管理されている。その『紀伊国絵図』もオンラインでは公開されていないが、目録は国立公文書館デジタルアーカイブよりも充実し、国郡高が記載されている。大きさは東西 116.8cm × 南北 250.5cm※1である。
これらの数値を表にまとめると以下のようになる (中川忠英旧蔵は解像度が限られるため、一部推測を含む)。
| 郡 | 中川忠英旧蔵※2 | 松平乗命旧蔵※3 | ||
|---|---|---|---|---|
| 伊都郡 | 34,187.912石 | ※4 | 34,187.912石 | |
| 那賀郡 | 82,968.398石 | ※5 | 82,968.398石 | |
| 名草郡 | 81,197.777石 | ※6 | 81,097.777石 | |
| 海士郡 | 21,038.033石 | ※7 | 21,038.033石 | |
| 有田郡 | 42,621.515石 | ※8 | 42,621.515石 | |
| 日高郡 | 45,333.210石 | ※9 | 45,133.210石 | |
| 室郡 | 91,248.608石 | ※10 | 91,248.608石 | |
| 総計 | (計算値) | 398,595.453石 | 398,295.453石 | |
| (記載値) | 398,395.453石 | ※11 | 398,395.453石 | |
| 支配別 | 中川忠英旧蔵※2 | ||
|---|---|---|---|
| 高野領 | 20,828.474石 | ※12 | |
| 紀州領 | 377,566.979石 | ※13 | |
| 総計 | (計算値) | 398,395.453石 | |
「高野領」は高野山金剛峰寺領、紀州領は紀州藩領のことである。郡高の合計値 (計算値) は、中川忠英旧蔵・松平乗命旧蔵とも記載されている国高に一致しない。名草郡は前者、日高郡は後者がおそらく正しい。もっとも、紀伊国の江戸前期の国郡高は得られないため、本図の性質を国郡高から明らかにすることはできない。
内容に注目すれば、郡界は墨線、街道は朱線で示され、一里塚・道程記載があり、また「高野領」に「いろは」記号として「や」が与えられていることや、国境記載の形式 (『~出ル道』) から正保国絵図の仕様やほかの同図の特徴に合致する。一方で、寛永以前に特有の絵画的な表現はなく、全体の様式も中川忠英旧蔵に含まれる中で正保国絵図と特定できるものと共通である。
したがって本図は『正保紀伊国絵図』と考えて問題ないと考えられるが、国郡高では確かめられない以上は、中川忠英旧蔵・松平乗命旧蔵の全体を検討しなければ確定させることはできない。
| ^ ※1: | 数値が東西・南北のどちらかは本稿で判断した。 |
| ^ ※2: | 筆者の読み取りによる。 |
| ^ ※3: | 京都府立京都学・歴彩館の目録による。 |
| ^ ※4: | 「髙三万四千百八拾七石九斗壹舛貳合」 |
| ^ ※5: | 「髙八万貳千九百六拾八石三斗九舛八合」。 |
| ^ ※6: | 「髙八万千百九拾七石七斗七舛七合 |
| ^ ※7: | 「髙貳万千三拾八石三舛三合」。 |
| ^ ※8: | 「髙四万貳千六百貳拾壹石五斗壹舛五合」。 |
| ^ ※9: | 「髙四万五千三百三拾三石貳斗壹舛」。 |
| ^ ※10: | 「高九万千貳百四拾八石六斗八合」。 |
| ^ ※11: | 「都合髙三拾九万八千三百九拾五石四䚵五舛三合」。 |
| ^ ※12: | 「貳万八百貳拾八石四䚵七舛四合」。 |
| ^ ※13: | 「三拾七万七千五百六拾六石九斗七舛九合」。 |
冒頭で言及のとおり、『天保紀伊国絵図』は国立公文書館に紅葉山文庫旧蔵・勘定所旧蔵の両方が現存し、紅葉山文庫旧蔵 (#764145) がオンライン公開されている。
紅葉山文庫※1は江戸城内にあった書庫、勘定所は勘定奉行を長とする役所であり、したがって紅葉山文庫旧蔵は保存と限定的な参照目的のために納められたもの、勘定所旧蔵は実務に供されたものとなるが、紅葉山旧蔵も必要に応じて借用・参照されたようである※2。
『天保紀伊国絵図』は東西 578cm × 南北 491cm、目録の奥書部分には、全国一律に天保9年(1838) の日付 (『天保9年戊戌五月』) と明楽飛騨守・田口五郎左衛門・大沢主馬の名前が記されている。天保国絵図一般については『9. 天保国絵図』を参照のこと。
| ^ ※1: | 「紅葉山文庫」はほかの各種用語と同様、近代以降の俗称・学術用語。近世は主に「御文庫」と呼ばれ、「官庫」とも呼ばれた。 |
| ^ ※2: | 『紅葉山文庫』(1980)。 |
→ 『凡例』
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