オンラインで参照できる筑前国絵図 (筑前国の国絵図) のリストと詳細情報を提供しているページです。
↓一覧へ移動筑前国は西海道に属する国である。国立公文書館所蔵の『天保筑前国絵図』は紅葉山文庫旧蔵・勘定所旧蔵の両方が現存し、紅葉山文庫旧蔵 (#763998) がオンライン公開されている。

『慶長筑前国絵図』は、福岡藩主・黒田氏の文書を保管する福岡市博物館に現存する。絵図の袋には「慶長年中公儀江被差出候御国絵図扣、壱枚」と記載されているといい、藩主の手許に控図として保管されていたものと考えられている※1。大きさは東西 405cm × 南北 386cm※1。本図はオンラインで公開されていないことはもちろんのこととして、現在のところ確認・閲覧は出版物に限られる。同館の収蔵品データベースは完全ではなく、いまだ未公開の資料が存在し、国絵図も公開されていない。今後これに追加されれば、拡大機能を備えたビューア※2で低解像度・低画質の画像を参照可能となり、外観は確認できるようになる。
他方で『慶長筑前国絵図』には福岡県史資料に所収の複製も存在し、オンラインで参照することができる。

本図は原本をあらたに模写して原版を作成の上で多色刷りしたものと考えられ、背景となる自然描写について、山陵は樹木とともに黒 (墨) 色の濃淡、平地の樹林帯は緑一色で表現されるなど単純化され、国絵図における絵画的な性質は失われている。しかしこの点を除けば、文字情報を中心とする内容そのものは忠実に再現されているようである。もとの大きさは推定で東西 412cm × 南北 394cm※3。なお、本図の原本を含む福岡県史資料所収の国絵図は現在、所在を確認できず、すでに失われているものとみられる。
解説によれば、裏書に「筑前御図古図、慶長中献上控 (筑前御圖古圖、慶長中献上控)」とあるといい、原本は福岡市博物館所蔵の写本である。本図の大きな特徴は、村が小さな真円で表現され、村高ばかりでなく村名もまたその外に記載されている点にある。この様式は、刊本 (出版物) として量産されるような、紙と文字のサイズに制約のある場合に多い様式であり、本図のような国絵図ではほかに例がない。またさらに、この真円は郡ごとに仕様が異なるが、それは中に円・正三角形・正四角形を含めるなど記号化することで実現されており、少ない色数で 15郡が区別されている。これもやはり、使用する色に制限のない国絵図では珍しいが、15郡となると実際には似たような色があって区別は難しくなるので、合理的な方法といえる。
このほか本図には縮尺の表示があって、これは『慶長摂津国絵図』と『慶長小豆島絵図』の例がほかにあるだけである。様式をまとめると以下のとおり。
| 城下 | 福岡城・博多城は町場とともに記号化されている。形状は多角形 (長方形の組み合わせ)、村のオブジェクトと同様の細枠、彩色は白。ほかの城は背景とオブジェクトの中間的な位置づけの岩山に城名が記載され、町場のみ記号化されている。その形状は短冊形、枠・色は同じ。 | |
| 村 | オブジェクトは小さな真円、郡別の記号・彩色の組み合わせ。村名は村高とともに外に記載、接尾辞あり・漢字表記。 | |
| 宿駅 | 区別はみられない。 | |
| 郡 | 見出し | 彩色のない短冊形に郡名だけが記載されている。 |
| 境界 (郡界) | なし。 | |
| 街道 | 朱線、一里塚あり、道程記載なし、本道・脇道の区別なし。一里塚はほとんどが「〔〕」で朱線を挟むようにあらわされているが、控図では具体的に「榎の木を一本植えた状態」の塚が具体的に描かれている※1。本図でも場所によっては「〔〕」に重ねてそれらしき形状のオブジェクトも記載されているが、緑一色のため、前提知識なしに塚に樹木 (榎) が植えられたものとは識別できない。 | |
| 航路 | なし。 | |
| 国界 (国境) | 国境 記載 | 山側は「豊後日田ヘ越道」「豊前ヘ越道」「肥前ヘ越道」と、このほかに樹木とともに「豊前筑前堺ノ松」「筑前筑後肥前堺ノ松」の記載がある。後者は『慶長摂津国絵図』にも存在する描写である。海側に国境記載は一切ない。 |
| 隣国 色分け | なし。 | |
| 方角記載 | 「福岡ヨリ」を付記の上で東西南北が示されており、図面全体の方角ではない。このためほかとは性質が異なり、図面全体としては 60°ほど反時計回りに回転させると、ほかの国絵図とおおむね整合する向きとなる。 | |
| 川幅記載 | なし。 | |
| 目録 | 「筑前国拾五郡絵図目録 (筑前國拾五郡繪圖目錄)」を表題として、村記号の凡例も兼ねた 15郡の一覧があり、郡高とその田畑内訳・物成・村数が記載され、これに総計である国高と同様の内訳等が続く。 | |
| その他 | 縮尺が示されている。 | |
国立公文書館所蔵、中川忠英旧蔵の国絵図群 (通称『日本分国図』) には筑前国のものが複数分割された形式で含まれ、このうち 2分割が現存・オンライン公開されている (#714360 #714171)。

福井は単に「二鋪に分割」としているが、正確には 3分割以上 (おそらく 4分割) のうちの 2枚 (2鋪) だけが存在し、#714360は西南部で糟屋・莚田 (席田)・那珂・早良・志摩・怡土の 6郡を含み、#714171は西北部で宗像郡だけを含む (大部分は海)。この 2枚で西半分が構成され、残りの東半分、御牧 (遠賀)・鞍手・穂波・嘉摩 (嘉麻)・上座・下座・夜須・御笠の 8郡は存在しない。
| 郡 | 本図 (目録) | 正保筑前国郷帳※1 | ||
|---|---|---|---|---|
| 御牧郡※2 | 39,350.06075石 | ※3 | 39,350.60075石 | ※4 |
| 宗像郡 | 48,288.91660石 | ※5 | 48,288.91660石 | ※6 |
| 鞍手郡 | 47,464.09630石 | ※7 | 47,464.09630石 | ※8 |
| 穂波郡 | 32,602.40810石 | ※9 | 32,602.40810石 | ※10 |
| 嘉摩郡 | 38,860.37622石 | ※11 | 38,860.37622石 | ※12 |
| 上座郡 | 21,205.72400石 | ※13 | 21,205.72040石 | ※14 |
| 下座郡 | 17,971.32350石 | ※15 | 17,971.32350石 | ※16 |
| 夜須郡 | 33,205.77909石 | ※17 | 33,205.77990石 | ※18 |
| 三笠郡 | 32,607.50482石 | ※19 | 32,607.50482石 | ※20 |
| 糟屋郡 | 53,440.68490石 | ※21 | 53,440.68490石 | ※22 |
| 莚田郡 | 8,719.91000石 | ※23 | 8,719.91000石 | ※24 |
| 那珂郡 | 36,498.23001石 | ※25 | 36,498.23001石 | ※26 |
| 早良郡 | 38,672.56190石 | ※27 | 38,672.56190石 | ※28 |
| 志摩郡 | 37,422.45000石 | ※29 | 37,422.45000石 | ※30 |
| 怡土郡※31 | 36,202.03790石 | ※32 | 36,202.03790石 | ※33 |
| 総計 | 522,512.60130石 | ※34 | 522,512.60130石 | ※35 |
目録における国郡高は『正保筑前国郷帳』と整合するので『正保筑前国絵図』の写本とわかるが、郡高は御牧・上座・夜須の 3郡で一致せず、どれも中川忠英旧蔵は桁を誤っている。
| ^ ※1: | 『筑前国中郷帳』。 |
| ^ ※2: | 中世から江戸初期までの遠賀郡の名称。寛文4年(1664) 遠賀郡に戻る。 |
| ^ ※3: | 「高三万九千三百五拾石六舛七夕五才」。 |
| ^ ※4: | 「合高三万九千三百五拾石六斗七夕五才」。 |
| ^ ※5: | 「高四万八千貳百八拾八石九計壹舛六合六夕」。 |
| ^ ※6: | 「合高四万八千弐百八拾八石九斗壱升六合六夕」。 |
| ^ ※7: | 「高四万七千四百六拾四石九舛六合三夕」。 |
| ^ ※8: | 「合高四万七千四百六拾四石九升六合三夕」。 |
| ^ ※9: | 「高三万貳千六百貳石四計八合壹夕」。 |
| ^ ※10: | 「合高参万弐千六百弐石四斗八合壱夕」。 |
| ^ ※11: | 「高三万八千八百六拾石三計七舛六合貳夕貳才」。 |
| ^ ※12: | 「合高参万八千八百六拾石三斗七升六合弐夕弐才」。 |
| ^ ※13: | 「高貳万千貳百五石七計貳舛四合」。 |
| ^ ※14: | 「合高弐万千弐百五石七斗弐升四夕」。 |
| ^ ※15: | 「高壹萬七千九百七拾壹石三計貳舛三合五夕」。 |
| ^ ※16: | 「合高壱万七千九百七拾壱石三斗弐升三合五夕」。 |
| ^ ※17: | 「高三万三千貳百五石七計七舛九合九才」。 |
| ^ ※18: | 「合高三万三千弐百五石七斗七升九合九夕」。 |
| ^ ※19: | 「高三萬貳千六百七石五計四合八夕貳才」。 |
| ^ ※20: | 「合高三万弐千六百七石五斗四合八夕弐才」。 |
| ^ ※21: | 「高五万三千四百四拾石六計八舛四合九夕」。 |
| ^ ※22: | 「合高五万三千四百四拾石六斗八升四合九夕」。 |
| ^ ※23: | 「高八千七百拾九石九計壹舛」。 |
| ^ ※24: | 「合高八千七百拾九石九斗壱升」。 |
| ^ ※25: | 「高三万六千四百九拾八石貳計三舛壹才」。 |
| ^ ※26: | 「合高三万六千四百九拾八石弐斗三升壱才 」。 |
| ^ ※27: | 「高三万八千六百七拾貳石五計六舛壹合九夕」。 |
| ^ ※28: | 「合高三万八千六百七拾弐石五斗六升壱合九夕」。 |
| ^ ※29: | 「高三万七千四百弐拾貳石四計五舛」。 |
| ^ ※30: | 「合高三万七千四百弐拾弐石四斗五升」。 |
| ^ ※31: | 『正保筑前国郷帳』では「怡𡈽郡」、「土」と「𡈽」の違いはほぼ書き癖であり、特に意味はない。 |
| ^ ※32: | 「高三萬六千貳飛躍貳石三舛七合九夕」。 |
| ^ ※33: | 「合高三万六千弐百弐石三升七合九夕」。 |
| ^ ※34: | 「都合高五拾貳萬貳千五百拾貳石六計壹合三夕」。 |
| ^ ※35: | 「都合高五拾弐万弐千五百拾弐石六斗壱合三夕」。 |
九州大学附属図書館には『御國繪圖』が現存し、九大コレクション 貴重資料デジタルアーカイブでオンライン公開されている。

『天和2年(1682)「御国絵図」(筑前国絵図) について』※1によれば、天和2年(1682) の写しで、寛文4年(1664) 以降の郡の再編成 (改称) が反映されている。村高・郡高の記載はなく、余白 (畾紙) 部分にも郡の一覧はない。しかし見る限りそれ以外の情報に不足はなく、サイズは正本相当で、また単なる写本では省略される自然描写は正本相当の緻密さである。『天和2年(1682)「御国絵図」(筑前国絵図) について』は「福岡藩が独自に作成した」としているが、明暦の大火後に再提出されるとき、現状が反映されたものの控図か、それに相当するものではないだろうか。
| ^ ※1: | 『九州大学附属図書館報「図書館情報」Vol.39, No.2 (通巻206号)』(2003) 所収、pp.31-32。 |
『慶長筑前国絵図』と同じく福岡市博物館には『正保筑前国絵図』も現存する。『福岡市博物館だより No.7』(1992)によれば「当館のおもな黒田資料」に「絵図58件」が含まれ、「このうち正保3(1646)年の『御国中絵図控』は初めて徳川幕府が全国の藩に命じてつくらせた国絵図として貴重」とあり、「初めて」はともかく、本図は控図であることがわかる。オンラインでは公開されていないことと、将来の見込みについては『慶長筑前国絵図』と変わらない。
前項と同様に『元禄筑前国絵図』も福岡市博物館に現存する。本図については『福岡市博物館常設展示案内 改訂版』(1992) に『元禄十四年御国絵図』としてその存在と外観は確認できる。オンラインでは公開されていないことと、将来の見込みについては『慶長筑前国絵図』などと変わらない。
冒頭で言及のとおり、『天保筑前国絵図』は国立公文書館に紅葉山文庫旧蔵・勘定所旧蔵の両方が現存し、紅葉山文庫旧蔵 (#763998) がオンライン公開されている。
紅葉山文庫※1は江戸城内にあった書庫、勘定所は勘定奉行を長とする役所であり、したがって紅葉山文庫旧蔵は保存と限定的な参照目的のために納められたもの、勘定所旧蔵は実務に供されたものとなるが、紅葉山旧蔵のものも必要に応じて借用・参照されたようである※2。
『天保筑前国絵図』は東西 413cm × 南北 346cm、目録の奥書部分には、全国一律に天保9年(1838) の日付 (『天保9年戊戌五月』) と明楽飛騨守・田口五郎左衛門・大沢主馬の名前が記されている。天保国絵図一般については『9. 天保国絵図』を参照のこと。
なお、福岡市博物館には『天保筑前国絵図』も現存し、史料群の来歴から考えて本図も控図と考えられる。オンラインでは公開されていないことと、将来の見込みについては『慶長筑前国絵図』などと変わらない。
| ^ ※1: | 「紅葉山文庫」はほかの各種用語と同様、近代以降の俗称・学術用語。近世は主に「御文庫」と呼ばれ、「官庫」とも呼ばれた。 |
| ^ ※2: | 『紅葉山文庫』(1980)。 |
『福岡県史資料』は昭和初期に刊行された史料集で、付録として筑前・筑後・豊前の国絵図を所収する。以下はその一覧である (続編・別編は除く)。所収された国絵図は戦災で失われたようで現存を確認できない。
| 巻 | 国絵図・近代地図 | 備考 | |
|---|---|---|---|
| 第1輯 (1932) | 1 | 糸島郡地方旧領地別図 | n/a |
| 2 | 寛保年間柳河藩領地図 | ||
| 3 | 築上郡地方旧領地別図 | ||
| 第2輯 (1933) | 1 | 慶長年間筑前国図 | → 参照 |
| 2 | 正保年間豊前六郡図 | 複製。解説によれば原本には「正保年上納繪圖之寫、豐前國繪圖」とあるという。おそらく裏書で、表面にこの記載は見当たらない。 | |
| 第3輯 (1934) | 1 | 久留米藩領古図 | n/a |
| 第4輯 (1935) | 1 | 秋月藩領地図 | n/a |
| 2 | 矢部川流域水利図 | ||
| 第5輯 (1935) | 1 | 元禄十四年豊前図 | 複製。郡の一覧に「元禄十四辛巳年四月 小笠原右近将監・小笠原信濃守」と記載され、国高は 273,801.8483石 (『高都合弐拾七万三千八百壱石八斗四舛八合三夕』)。 |
| 第6輯 (1936) | 1 | 正保年間筑前国図 | 複製。「原図に年号の明記なけれども、正保年間の図と思はるるもの」と解説にある。記載されている国高は 522,512.6013石 (『都合高五拾弐万弐千五百拾弐石六斗壱合三夕』)、正保筑前国郷帳 (『筑前国中郷帳』) の国高に一致する。 |
| 第7輯 (1937) | 1 | 元禄十四年筑後図 | 複製。郡の一覧に「元禄十四辛巳三月 有馬中務大輔・立花飛騨守」と記載され、国高は 331,497.769石 (『高都合三拾三万千四百九拾七石七斗六舛九合』)。 |
| 第8輯 (1937) | 1 | 元禄十四年筑前国 | 複製。郡の一覧に「元禄十四辛巳年六月 松平肥前守」と記載され、国高は 606,981.42石 (『高都合六拾万六千九百八拾壹石四斗貳升』)。 |
| 第9輯 (1938) | 1 | 筑後川図1 | n/a |
| 2 | 筑後川図2 | ||
| 第10輯 (1939) | 1 | 福岡城図 | n/a |
| 2 | 秋月家中屋敷図 | ||
| 3 | 久留米城図 | ||
| 4 | 柳河城図 | ||
| 5 | 小倉城図 | ||
→ 『凡例』
| 種別 | 参照可否・確定 | 名称等 | 所蔵・公開 | 備考 | ||
|---|---|---|---|---|---|---|
| 確定 | 他 | 根拠 | ||||
| 慶長 | 掲載 | 慶長年間筑前國圖 | 『福岡県史資料 第2輯』(1933/1972) 付録 | 写 → 参照 | ||
| 慶長 | 慶長筑前国絵図 | 福岡市博物館 | 控 → 参照 | |||
| 余州 | 所蔵 | #15760 | 秋田県公文書館 デジタルアーカイブ | 写 | ||
| 余州 | 筆者 | T1-90 | 岡山大学 絵図公開 データベースシステム | 写 | ||
| 余州 | 筆者 | 筑前国[西海道図] | 京都大学貴重資料 デジタルアーカイブ | 写 | ||
| その他 | 所蔵 | 筑後筑前豊後豊前 四ヶ国之図 | 明治大学博物館 | 写 → 参照 | ||
| その他 | 所蔵 | 筑前国中図 | 福岡県立図書館 デジタルアーカイブ | 写 「安永八亥歳 二月下旬写之」「明石行仲」とある。内容は寛永前期以降と推定されている。 | ||
| 正保 | 筆者 | 中川忠英旧蔵 (#714360 | 国立公文書館 デジタルアーカイブ | 写 → 参照 | ||
| 正保 | 所蔵 | 御國繪圖 | 九州大学附属図書館 九大コレクション 貴重資料デジタルアーカイブ | 写 → 参照 | ||
| 正保 | 筆者 | 正保年間筑前國圖 | 『福岡県史資料 第6輯』(1936/1972) 付録 | 写 → 参照 | ||
| 正保 | (正保筑前国絵図) | 福岡市博物館 | 控 → 参照 | |||
| 元禄 | 掲載 | 元祿十四年筑前圖 | 『福岡県史資料 第8輯』(1937/1972) 付録 | 不 → 参照 | ||
| 元禄 | 所蔵 | (元禄筑前国絵図) | 福岡市博物館 | 控 → 参照 | ||
| 天保 | 所蔵 | #763998 | 国立公文書館 デジタルアーカイブ | 正 (紅葉山) → 参照 | ||
| 天保 | 所蔵 | #763997 | 国立公文書館 デジタルアーカイブ | 正 (勘定所) → 参照 | ||
| 天保 | 筆者 | (天保筑前国絵図) | 福岡市博物館 | 控 → 参照 | ||
2026.03.22:
2026.02.18:
2026.02.11:
2026.02.04:
2026.01.31:
2026.01.02: