ここでは、江戸期 (江戸時代) に全国規模で作成された国絵図のうち、長門国絵図について詳細をまとめています。一覧は末尾にあります。
(1) 概要
長門国 (長州) は五畿七道のうち山陽道に属する国である。国立公文書館所蔵の『天保長門国絵図』は紅葉山文庫旧蔵・勘定所旧蔵の両方が現存し、後者 (勘定所旧蔵) が『天保国絵図長門国』(#763992) としてオンライン公開されている。

長門国絵図は基本的に周防国絵図とセットで、慶長・寛永・正保・元禄・天保が揃う国絵図のひとつである。しかし広島県立歴史博物館所蔵 (寛永) と山口県文書館所蔵 (正保・元禄) は、最低限の解像度で残念ながら検討には適さない。
(2) 慶長長門国絵図
『慶長長門国絵図』は、江戸期 (江戸時代) に全国規模で作成されたと考えられている国絵図の最初、慶長年間(1596~1615) に作成された慶長国絵図のうち長門国のものである。『慶長長門国絵図』は宇部市デジタルミュージアムで『慶長国絵図控図長門国』として現存・オンライン公開されている。大きさは長辺 264cm × 短辺 171cm、画像データとしては 11,476 × 7,141ピクセルで十分な解像度があり、また圧縮率をおさえて高品質なため、細部まで検討できる。

様式を含めてこのほかは『慶長周防国絵図』を参照のこと。
(3) 寛永長門国絵図
『寛永長門国絵図』は、江戸期 (江戸時代) に全国規模で作成されたと考えられている国絵図の 2番目、寛永年間(1624~1644) に作成された寛永国絵図のうち長門国のものである。広島県立歴史博物館には『長門国絵図』が現存し、これが『寛永長門国絵図』と推定されている。解説には「島原の乱後の寛永15年(1638) に,幕府が西日本諸国に提出を求めた国絵図の特徴を持つ長門国図
」とある。
(4) 日本六十余州国々切絵図 長門国
日本六十余州国々切絵図 (余州図) は、江戸期 (江戸時代) に全国規模で作成されたと考えられている国絵図の 2番目、寛永年間(1624~1644) に作成された寛永国絵図の略図・縮図と考えられている国絵図である。余州図は五畿七道 68国のすべてが秋田県公文書館に現存し、「日本六十余州国々切絵図」の通称も同館のものによる。『日本六十余州国々切絵図 長門国』は文字どおりに長門国の余州図であり、『日本六十余州国々切絵図 長門国』(#15752)として秋田県公文書館デジタルアーカイブでオンライン公開され、大きさは東西 141cm × 南北 95cm である。
ほかに岡山大学 絵図公開データベースシステムで『〔長門国絵図〕』(T1-98)が公開され、大きさは東西 163.5cm × 南北 117.2cm、京都大学 貴重資料デジタルアーカイブ『長門国[山陽道図]』が公開され、大きさは東西 158cm × 南北 114cm である。
(5) 正保長門国絵図 (中川忠英旧蔵)
『正保長門国絵図』は、江戸期 (江戸時代) に全国規模で作成されたと考えられている国絵図の 3番目、正保年間(1644~1648) から慶安年間(1648~1652) にかけて作成された正保国絵図のうち長門国のものである。国立公文書館所蔵、中川忠英旧蔵の国絵図群 (通称『日本分国図』) には長門国のものが含まれ、現存・オンライン公開されている (#714172 )。これが『正保長門国絵図』と推定される。

本図の様式は正保国絵図として標準的であり、中川忠英旧蔵のうち正保国絵図と確認される絵図とも共通する。また、長門国はいわゆる寛文印知の寛文4年(1664) を前後して郡構成が再編されているが、本図はもとの 8郡構成であり、これによって明暦の大火後の再提出で現状が反映されたものではないことを確認できる。
本図では、村をあらわすオブジェクト (小判形) に支配関係の「いろは」記号が付されてものの、中には接尾辞のない村名だけが記載され、村高は省略されている。「馬次」と付記されたオブジェクトは、ほかとは区別され真円であり、これは確認する限りでは山口県文書館所蔵と共通する。以下に郡高を一覧にまとめて示す。
| 本図 | 寛文印知※1 | ||
|---|---|---|---|
| 阿武郡 | 36,354.279石※2 | 阿武郡 | 38,515.030石※3 |
| 大津郡 | 17,680.683石※4 | 大津郡 | 18,214.137石※5 |
| 見島郡 | 584.041石※6 | ||
| 豊田郡 | 18,732.427石※7 | 豊浦郡 | 45,082.229石※8 |
| 豊西郡 | 13,754.750石※9 | ||
| 豊東郡 | 19,571.010石※10 | ||
| 厚狭郡 | 12,414.888石※11 | 厚狭郡 | 32,306.463石※12 |
| 厚東郡 | 18,091.500石※13 | ||
| 美祢郡 | 30,023.860石※14 | 美祢郡 | 31,921.745石※15 |
| 総計 (国高) | 166,623.400石※16 | 総計 (国高) | 166,623.000石※17 |
本図に記載されている国高は上記のとおり 166,623.400石だが、郡高を総計すると 166,623.397石となり、一致しない。これは美祢郡の郡高は正確には 30,023.863石 (『髙三万貳拾三石八計六舛三合』) であるべきで、この 0.003石 (三合) を補えば、166,623.400石となって一致する。『正保長門国絵図』と『正保長門国絵図』を合成の上で作成されたと考えられる山口県文書館所蔵の『長門周防両国絵図』(58絵図240-2) でも、美祢郡は 166.623.400石である。
また、寛文印知 (寛文4年(1664) 4月5日付『毛利綱広宛領知判物・目録』) の国高は、判物に記載されている数値であり、斗以下が省略され「拾六万六千六百弐拾三石余」となっている。郡高を総計した場合は 166,623.645石である。本図の 166.623.400石との差分 0.45石 (四升五合) については、寛文印知における拝領高を石単位にするための調整と思われる。なお、再編前後の郡高も単純な対応関係にはなっていない。これも何らかの調整によるものと考えられるが、数値上のものか、あるいは領域の変動をともなうものかはわからない。
注釈
(6) 正保長門国絵図 (山口県文書館所蔵)
『正保長門国絵図』は山口県文書館にも防長両国大絵図 (58絵図238-2) として現存し、オンライン公開されている。
『防長の古地図』1984) によれば、本図は萩藩に残された控図で、大きさは東西 480cm × 南北 335cm である※1。しかし山口県文書館で公開されている画像は『高画質画像ダウンロード』で提供されている画像ファイルでも 2,480 × 1,725ピクセルに過ぎず、残念ながら検討には適さない (フィルムをスキャンしたものと思われ、実質的な解像度はさらに低い)。絵図・地図には「高精細画像」として本図および対になる『防長両国大絵図』(58絵図238-1、正保周防国絵図) が紹介されている。『文書館館蔵品情報発信事業について』によれば※2、これは分割撮影の上、1枚に合成したもので、8分割のフィルム撮影であることから相応の限度はあるものの、文字の読み取りまで考慮されている。しかしその「高精細画像」ではビューアを起動する手段が見当たらない。
注釈
(7) 正保周防・長門国絵図
『長門周防両国絵図』(58絵図240-2)および『防長両国全図』(袋入絵図2)は、どちらも萩藩が独自に作成したと考えられる国絵図で、山口県文書館に現存・オンライン公開されている (それぞれ 780 × 508ピクセル、780 × 463ピクセル)。
この 2つの絵図は、『正保周防国絵図』・『正保長門国絵図』 が合成された形式で、『正保周防・長門国絵図』といえる国絵図である。全体的に縮小されていることもあって、描写は簡略化され、情報は取捨選択されている。『国絵図との関連で作成された防長両国一枚絵図について』※2によれば、大きさはそれぞれ東西 261.5cm × 南北 164.5cm、および東西 271.0cm × 南北 156.0cm である※1。
長門国の郡構成と郡高に注目すると、この 2つの絵図は興味深い。郡構成については、前者は『正保長門国絵図』を踏襲する一方、後者は寛文印知以後の 6郡構成に変化している。しかし後者の郡高は前者 (および単体の『正保長門国絵図』) との対応関係が明確で、寛文印知とは異なっている。以下に、この 2つに『正保長門国絵図』(中川忠英旧蔵)の国郡高を合わせて示す。『長門周防両国絵図』『防長両国全図』の国郡高は『国絵図との関連で作成された防長両国一枚絵図について』による。
| 正保長門国絵図 | 長門周防両国絵図 | 防長両国全図 | |||
|---|---|---|---|---|---|
| 阿武郡 | 36,354.279石 | 阿武郡 | 36,354.279石 | 阿武郡 | 36,354.279石 |
| 大津郡 | 17,680.683石 | 大津郡 | 17,680.683石 | 大津郡 | 17,131.363石 |
| 見島郡 | 549.320石 | ||||
| 豊田郡 | 18,732.427石 | 豊田郡 | 18,732.427石 | 豊浦郡 | 52,058.187石 |
| 豊西郡 | 13,754.750石 | 豊西郡 | 13,754.750石 | ||
| 豊東郡 | 19,571.010石 | 豊東郡 | 19,571.010石 | ||
| 厚狭郡 | 12,414.888石 | 厚狭郡 | 12,414.888石 | 厚狭郡 | 30,506.388石 |
| 厚東郡 | 18,091.500石 | 厚東郡 | 18,091.500石 | ||
| 美祢郡 | 30,023.860石 | 美祢郡 | 30,023.863石 | 美祢郡 | 30,023.863石 |
| 総計 (国高) | 166,623.400石 | 総計 (国高) | 166,623.400石 | 総計 (国高) | 166,623.400石 |
注釈
(8) 元禄長門国絵図
『元禄長門国絵図』は、江戸期 (江戸時代) に全国規模で作成された国絵図の 4番目、元禄年間(1688~1704) に作成された元禄国絵図のうち長門国のものである。『元禄長門国絵図』は山口県文書館に周防長門大絵図 (58絵図246-2) として現存し、オンライン公開されている。
『防長の古地図』1984) によれば、本図は萩藩に残された控図で、大きさは東西 525cm × 南北 403cm である※1。しかし山口県文書館で公開されている画像は『高画質画像ダウンロード』で提供されている画像ファイルでも 2760 × 1833ピクセルに過ぎず、残念ながら検討には適さない (フィルムをスキャンしたものと思われ、実質的な解像度はさらに低い)。
なお、この画像ファイルは周辺はトリミングされ、余白部分 (畾紙) の目録も上端だけを確認できる。しかし本図の文書詳細画面に表示されるサムネイル (780 × 538ピクセル) はトリミングされていないが、余白部分 (畾紙) の目録はやはり上端だけに限られる。したがってこれはトリミングの影響ではなく、もともと現存しないようだ。
注釈
(9) 元禄周防・長門国絵図
『周防長門一枚絵図』(58絵図239)、『周防長門両国絵図』(58絵図242)、および『防長両国絵図』(袋入絵図1)は、どれも萩藩が独自に作成した国絵図で、山口県文書館に現存・オンライン公開されている (それぞれ 780 × 525ピクセル、780 × 509ピクセル、および 780 × 500ピクセル)。
この 3つの絵図は、『元禄周防国絵図』・『元禄長門国絵図』 が合成された形式で、『正保周防・長門国絵図』と同じように『元禄周防・長門国絵図』といえる国絵図である。『国絵図との関連で作成された防長両国一枚絵図について』※2によれば、裏書があって、元禄12年(1699) 5月に国絵図を幕府に提出したときにその控図として作成されたことが明記されている。全体的に縮小されていることもあって、描写は簡略化され、情報は取捨選択されている。大きさはそれぞれ東西 248.0cm × 南北 155.0cm、東西 253.0 × 南北 155.5cm、および東西 246.0cm × 南北 154.5cm である※1。これらの国絵図の郡構成と郡高は寛文印知に一致する。
注釈
(10) 周防長門国高都合色分図・周防長門両国絵図
『周防長門国高都合色分図』(袋入絵図9)、および『周防長門両国絵図』(58絵図243)は、どちらも萩藩が独自に作成した国絵図で、山口県文書館に現存・オンライン公開されている (それぞれ 780 × 500ピクセル、および 780 × 680ピクセル)。
『国絵図との関連で作成された防長両国一枚絵図について』※1によれば※2、正徳5年(1715)~享保16年(1731) の作成と推定され、裏書には「享保三戌年」の記載があるものの、判読できない文字があって文意はわからない。『周防長門国高都合色分図』の目録では年代を「享保3年[1718]」としている。様式などは『元禄周防・長門国絵図』と変わらない。大きさはそれぞれ東西 245.5cm × 南北 154.5cm、および東西 182cm × 南北 153.5cm で※3、それぞれ欠損部分があって、前者は余白部分 (畾紙) の目録のうち長門国の大部分、後者は長門国 (絵図本体) の過半が現存しない。
注釈
(11) 天保長門国絵図 (国立公文書館所蔵)
『天保長門国絵図』は、江戸期に全国規模で作成された国絵図の最後、天保年間(1830~1844) に作成された天保国絵図のうち長門国のものである。冒頭で言及したとおり、『天保長門国絵図』は国立公文書館に紅葉山文庫旧蔵・勘定所旧蔵の両方が現存し、後者 (勘定所旧蔵) が『天保国絵図長門国』(#763992) としてオンライン公開されている。
紅葉山文庫※1は江戸城内にあった、将軍の利用を原則とする書庫 (図書館) であり、勘定所は勘定奉行を長とする役所である。したがって紅葉山文庫旧蔵は保存と限定的な参照を目的に納められたもの、勘定所旧蔵は実務に供されたものとなるが、紅葉山文庫旧蔵も必要に応じて借用・参照されたようである※2。
『天保長門国絵図』は大きさが東西 486cm × 南北 391cm で、目録の奥書部分には、全国一律に天保9年(1838) の日付 (『天保9年戊戌五月』) と明楽飛騨守・田口五郎左衛門・大沢主馬の名前が記されている。
注釈
(12) 天保長門国絵図 (山口県文書館所蔵)
山口県文書館では『天保長門国絵図』として『御両国絵図』が現存・オンライン公開されている。年代に「天保8年[1837]」、内容に「長門国7巻」とあり、帯状に 7分割されている。『高画質画像ダウンロード』で相応のサイズの画像を確認できる (7,268 × 5,272ピクセル)。
天保国絵図の作成は、幕府から提供された元禄国絵図の分割写本に薄紙 (懸紙) を重ね、修正内容を記載して提出する方式だった。本図はその分割写本に基づいて作成・提出した絵図の下絵図 (下図) か控図で、『防長の古地図』1984) によれば控図である。見る限り、修正を反映したものではなく、分割写本をさらに写したものに、修正が必要な部分ごとに貼紙を施したものである。つまり控図として別に作成した絵図ではなく、提出する直前の絵図を控図として残したものと考えられる。
(13) 一覧
(14) 更新履歴
内容
:
- 『慶長長門国絵図』の記事に含めていた周防・長門に共通する内容を『慶長周防国絵図』の記事へ移動した。
- 中川忠英旧蔵の記事について、表題を『正保長門国絵図 (中川忠英旧蔵)』に変更し、内容を整理した。
- 長門国にまとめていた山口県文書館所蔵 各絵図についての記事のうち、「正保周防国絵図」「元禄周防国絵図」については周防国に移動した。さらに残部については「正保長門国絵図 (山口県文書館所蔵)」「正保周防・長門国絵図」「元禄長門国絵図」「元禄周防・長門国絵図」「周防長門国高都合色分図・周防長門両国絵図」に分割した。
- 『寛永周防国絵図』・『日本六十余州国々切絵図 長門国』の記事を追加した。
- 『天保長門国絵図』(山口県文書館所蔵) の記事について、内容を整理した。
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- 『天保長門国絵図』の記事を追加した。
:
- 『慶長長門国絵図』の記事について様式を中心に追補した。
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- 導入文を追加し、概要を追補した。
- 山口県文書館所蔵の周防・長門 2国の諸絵図を一覧に追加し、記事にまとめた。
- 山口県文書館所蔵の『天保長門国絵図』を一覧に追加し、記事にまとめた。
:
- 『慶長長門国絵図』を独立した記事にまとめ、追補した。
:
- 『天保長門国絵図』について外観を示した。
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- 構成を再整理し、概要を追加した。誤字・脱字を適宜修正した。
- 『慶長長門国絵図』について外観を示した。
:
- 新規作成。