ここでは、江戸期 (江戸時代) に全国規模で作成された国絵図のうち、淡路国絵図について詳細をまとめています。一覧は末尾にあります。
(1) 概要
淡路国は五畿七道のうち南海道に属する国である。国立公文書館所蔵の『天保淡路国絵図』は紅葉山文庫旧蔵が現存し、『天保国絵図淡路国』(#764214) としてオンライン公開されている。

(2) 寛永淡路国絵図
徳島大学附属図書館には『寛永淡路国絵図』として『淡路国絵図』が現存し、貴重資料高精細デジタルアーカイブでオンライン公開されている。大きさは南北 117.9cm × 南北 232.1cmである。

様式に着目すると、村のオブジェクトは独自の短冊形で郡名だけが記載され、これは、全体的に忠実に移そうとしていることから原本に由来するものと推定される。顔料の剥離などによってすでに読み取れなかったとみられる村名は記載されていない (×印の明示があるものと、村名の一部か、または何らかの記号が記載されているものがある)。村高はすべて省略されている。
航路やそれに関係する国境記載・距離情報や一里塚もないが、街道・郡界をそれぞれ朱線・墨線であらわすのは標準的で、古城も記載されている。ただし古城は記号ではなく具体的なオブジェクトとして描かれている。このほか本図の様式を、共通する『寛永阿波国絵図』とあわせてまとめれば以下のとおりである。
| 城下 | 徳島城・須本城 (洲本城) があり、文字と枠のみだが、枠は方形ではなく具体的な範囲を示し、また堀 (濠) とその橋、石垣らしい構造物を拡大して描いている。 | |
| 古城 | 阿波国は正方形 (太枠・白が経年変化または乳白色) に古城名または「古城」が表記され、記号化されている。淡路国は台状山 (テーブルマウンテン) 形オブジェクト (線色同)、山頂の台 (テーブル) に「古城」と表記。 | |
| 村 | オブジェクトは短冊形、地色。村名はその中に記載、接尾辞あり・漢字表記。村高の記載はないが、原本が下図 (下絵図) または控図によるためか、写本における省略と考えられる。 | |
| 宿駅 | 区別はみられない。 | |
| 郡 | 見出し | 阿波国は小判形・太枠・地色、淡路国は短冊型・太枠・地色、ともに郡名だけ記載。 |
| 境界 (郡界) | 墨線。 | |
| 街道 | 朱線、本道は太線、脇道は細線、また阿波国は本道に一里塚あり。道程記載なし。ただし阿波国は余白部分 (畾紙) に表題「道之法目録」で徳島城下から四方への距離 (『德嶋ゟ伊豫堺目迄弐拾里弐町拾九間 但三拾六町壱里』の形式) と「山道之法」の一覧 (『岡村ゟ𛂉𛀋迄 三里半』の景色) があり、これに郡界・道・川・村・古城の凡例が続く。 | |
| 航路 | なし。 | |
| 国界 (国境) | 国境 記載 | 阿波国・山側は「土州竹屋敷ヘ出ル」「予州𛁈んぐう村ヘ出ル」の形式 (1箇所だけ『ヘ越ス』)、讃岐国側だけ「但大道ゟ此境目迄四里」の形式で距離情報が付記される。海側は地形の複雑さを反映して鳴門付近に付加情報が集中し、その中に「阿波孫崎ノ𛂦𛂂ゟ讃州戶崎迄七百五拾四間」などが含まれる。淡路国は記載が見当たらない。 |
| 隣国 色分け | なし。 | |
| 方角記載 | あり。 | |
| 川幅記載 | あり。 | |
| 目録 | 阿波国は見出し「阿波国拾三郡高目録 (阿波國拾三郡高目録)、各郡高・反別内訳 (田・畑・焼畑)、石高総計 (国高)・反別内訳 (同)・村数総計。淡路国は見出し「淡路国二郡村数之覚」、郡ごとの村数、その総計、郡堺・道・川・古城の凡例。 | |
| その他 | 阿波国には吊り橋の描写があり、また河口付近を主に入り江や海岸地形の名称記載が多い。 | |
上記にも示すように、本図の目録には村数と凡例が示されているだけで国郡高は記載されていない。したがって本図から石高に関係する情報は得られない。画像データとしては 7,557 × 14,954ピクセルの高解像度で、また圧縮率はかなりおさえられ十分な品質が保たれているので※1、細部まで確認できる。
注釈
(3) 阿波・淡路両国絵図 (1197系)
国文学研究資料館には『阿波・淡路両国絵図』(1197系) が現存し、収蔵歴史アーカイブス データベースに登録されている。本図は 4枚から構成され、#01197-001 と #01197-003 の 2枚が淡路国絵図で、#01197-002 と #01197-004 は阿波国絵図である※1。
『川村a』によれば、絵図を収めた袋に「福島ヲ地切ト唱、十三郡之図故、寛永年間之図ニ可有之事」と記載されており、これによって寛永年間(1624~1644) の国絵図と推定されている。徳島城の城郭南の地形 (三角州) は『阿波国大絵図』(t001)では「地き𛄀」(地切れ)、『寛文阿波国絵図』では「福島 (福嶋)」であり、未発達で自然のままの地形がやがて安定して開発可能な土地になる過程があらわされている。
淡路国絵図の大きさはそれぞれ 163cm × 304cm (#01197-001)、132cm × 271cm (#01197-003) とある。『川村a』によれば、海面の彩色に相違があるものの、内容は同じとされ、「舟路の図示がなく、交通関係の注記も少ない
」という。おそらく『寛永淡路国絵図』と同じ系統の国絵図と思われるが、これ以上はわからない。
注釈
(4) 日本六十余州国々切絵図 淡路国
日本六十余州国々切絵図 (余州図) は、江戸期 (江戸時代) に全国規模で作成されたと考えられている国絵図の 2番目、寛永年間(1624~1644) に作成された寛永国絵図の略図・縮図と考えられている国絵図である。余州図は五畿七道 68国のすべてが秋田県公文書館に現存し、「日本六十余州国々切絵図」の通称も同館のものによる。『日本六十余州国々切絵図 淡路国』は文字どおりに淡路国の余州図であり、『日本六十余州国々切絵図 淡路国』として秋田県公文書館デジタルアーカイブでオンライン公開され、大きさは東西 99cm × 南北 108cm である。
ほかに『淡路国[南海道図]』 が京都大学 貴重資料デジタルアーカイブで公開され、大きさは東西 110cm × 南北 131cm、『〔淡路国絵図〕』(T1-109) が岡山大学 絵図公開データベースシステム で公開され、大きさは東西 116.0cm × 南北 163.1cm である。
(5) 正保淡路国絵図 (ライデン大学図書館所蔵)
ライデン大学図書館 (Universitaire Bibliotheken Leidens) では『淡路国絵図 (Awaji no kuni ezu)』が現存・オンライン公開されている。大きさは長辺 (南東・北西) 294cm × 短辺 (南西・北東) 212cm※1である。

本図は全体的な様式と、前項の『寛永淡路国絵図』および次項の『元禄淡路国絵図』との対比から『正保淡路国絵図』と推定される。郡界は墨色、街道は朱色で示され、一里塚や道程記載が存在し、沿岸の国境記載も詳細である。村は小判形のオブジェクトで表現され、村名・村高とも省略されていない。また正保より前の国絵図に特徴的な古城は一掃され、見当たらない。一方で郡内の見出しは短冊型であり、その中に郡名が記載され、須本城 (洲本城) には堀と石垣が具体的に描かれている (石垣は『寛永淡路国絵図』には描かれていない)。
余白部分 (畾紙) の目録に記載された石高を、いわゆる寛文印知、および元禄阿波国郷帳のものとあわせて示せば下記のとおりである。
注釈
(6) 正保淡路国絵図 (中川忠英旧蔵)
国立公文書館所蔵、中川忠英旧蔵の国絵図群 (通称『日本分国図』) には淡路国のものが含まれ、現存する (#714419)。オンラインでは公開されていない。
『福井b』によれば大きさは東西 227cm × 南北 285cm である※1。また「様式は山城国に同じ」といい、中川忠英旧蔵に含まれるほかの正保国絵図と共通の様式とされ、余白部分 (畾紙) に記載された国高は 70,186.5石 (高合七万百八十六石五斗) である。したがって本図は『正保淡路国絵図』と推定される。
注釈
(7) 松平乗命旧蔵
国立公文書館所蔵、松平乗命旧蔵の国絵図群 (通称『日本分国絵図』) にも淡路国のものが含まれ、現存する (#724995)。オンラインでは公開されていない。
この松平乗命旧蔵の国絵図群には、松平乗命から明治政府へ渡る前後 (明治5~6年(1872~1873))に、京都府が一式を借用して忠実に模写したものも存在し、京都府立京都学・歴彩館に現存、館古044: 国絵図という一群で管理されている。その『淡路国絵図』もオンラインでは公開されていないが、目録は国立公文書館デジタルアーカイブよりもやや充実している。
本図の大きさは、写本で東西 192.5cm × 南北 255.5cm であり※1、(松平乗命旧蔵としての) 原本も同等と考えられる。京都府立京都学・歴彩館の目録によれば「石高記入ナシ、村間の里程記入ナシ、他国への通路・里程の記入アリ」とあり、国郡村高は記載されておらず、本図から石高についての情報は得られない。したがって本図の性質を特定するには、そのほかの内容を検討する必要がある。
注釈
(8) 正保淡路国絵図 (国文学研究資料館所蔵)
国文学研究資料館には『阿波・淡路両国絵図』(1196系) が現存し、収蔵歴史アーカイブス データベースに登録されている。本図は 3枚から構成され、#01196-003 が淡路国絵図であり、残る #01196-001 は徳島城絵図、#01196-002 は阿波国絵図である※1。目録によれば正保3年(1646) の成立であり、目録奥書か、端書・裏書等に明記されているものと思われる。淡路国絵図の大きさは東西 186cm × 南北 276cm である※2。
また、上記とは別に『淡路国絵図』(#01195)も現存し、収蔵歴史アーカイブス データベースに登録されている。同様に目録奥書か、端書・裏書等に正保3年(1646) の日付が明記されているものと思われる。大きさは東西 220cm × 南北 270cm または 東西 224cm × 南北 280cmで※2※3である。
この 2枚の『正保淡路国絵図』については詳細な情報が得られないが、大きさは中川忠英旧蔵と共通し、また徳島蜂須賀家文書に含まれることから、一方が正本相当の控図で、他方は下絵図を残したものと推定される。あるいは『元禄淡路国絵図』の作成にあたって幕府から借用されたものに基づく写本も含まれるかもしれない。
注釈
(9) 元禄淡路国絵図
同じく徳島大学附属図書館には『元禄淡路国絵図』として『<仮題>淡路国絵図』が現存し、貴重資料高精細デジタルアーカイブでオンライン公開されている。大きさは東西 205.1cm × 南北 267.3cmである。

本図は解説に「元禄国絵図の下絵図類と考えられる」とあるとおりに『元禄淡路国絵図』である。これは村々の分合に注目すると確認でき、たとえば三原郡中央部の地頭方村・市村付近の村々について示せば以下のとおりである。
黒道・喜来 2村は、元禄郷帳では地頭頭村の一部として把握され、個別には石高が設定されていなかったが、天保郷帳・国絵図では正式に分村・成立し、個別に石高が設定された。福長・上中原 2村は、元禄郷帳では個別に石高が設定されていたが、天保郷帳・国絵図では市村の一部として把握されるようになって、石高も同村に含めて把握されるになった。この動きについて本図の各村を見れば、黒道・喜来 2村には「地頭方村之内」と付記され、村高は記載されておらず、福長・上中原 2村には「○○之内」の付記はなく、村高が記載されている。つまり本図は分合の動きに整合している。なお、これらは元禄・天保の郷帳・国絵図を比較することによってわかる分村・合併の典型といえるようなものである。
しかし、須本城 (洲本城) の南に位置する由良浦に着目すると、元禄国絵図であれば史実と整合しない地形が存在する。本図の由良浦では、北側に港の出入口が開かれて、対岸の「番所」がある部分は島になっている。この出入口は「新川口」といい、明和2年(1765) 1月から同3年(1766) 10月にかけて開削されたもので、これによって由良浦には大型船も入港できるようになった※2。したがって『寛永淡路国絵図』『正保淡路国絵図』に「新川口」はなく、作成期間が元禄10~15年(1697~1702) である『元禄淡路国絵図』にもないはずだが、本図には描かれている。
これについては本図は『元禄淡路国絵図』をもとに現状を反映する途中の『天保淡路国絵図』の下絵図である、とすれば説明しやすい。しかし元禄国絵図の分割写本に基づく天保国絵図の作成過程と本図はあわず、実際に『陸奥国白河二本松三春領絵図』などの各地に現存する天保国絵図の下絵図や、そのときの元禄国絵図 (分割写本) とは明らかに特徴が異なっている。
本図は『元禄淡路国絵図』としては提出を前提として作成されたものの、内見での指摘等でそれが見送られたものと推定される。村のオブジェクト (小判形) では村名が片寄され、あとから村高を書き込めるようになっている。余白部分 (畾紙) には目録を記載するスペースが確保され、郡別彩色の凡例までは記載されている。一里塚や街道に沿った道程記載、沿岸の国境記載に不足があるようにはみえず、背景の自然描写は緻密でもう完成している。したがって本図の地形といえ、明和3年(1766) 10月に完成した「新川口」は、のちに閉塞してしまった本図の「新川口」を浚渫して再び開通させたもの、と考えるのが妥当なようだ※3。
画像データとしては 14,548 × 18,881ピクセルの高解像度で、また圧縮率はかなりおさえられ十分な品質が保たれているので※4、細部まで確認できる。
注釈
(10) 天保淡路国絵図
冒頭で言及のとおり、『天保淡路国絵図』は国立公文書館に紅葉山文庫旧蔵 (#764214) が現存・オンライン公開されている。
紅葉山文庫※1は江戸城内にあった、将軍の利用を原則とする書庫 (図書館) であり、勘定所は勘定奉行を長とする役所である。したがって紅葉山文庫旧蔵は保存と限定的な参照を目的に納められたもの、勘定所旧蔵は実務に供されたものとなるが、紅葉山文庫旧蔵も必要に応じて借用・参照されたようである※2。
『天保淡路国絵図』は大きさが東西 310cm × 南北 330cm で、目録の奥書部分には、全国一律に天保9年(1838) の日付 (『天保9年戊戌五月』) と明楽飛騨守・田口五郎左衛門・大沢主馬の名前が記されている。
注釈
(11) 一覧
(12) 変更履歴
内容
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- 日本六十余州国々切絵図の記事について、表題を『日本六十余州国々切絵図 淡路国』に変更し、説明を整理した。
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- 『正保淡路国絵図』の記事について表題に「(ライデン大学図書館所蔵)」を加え、中川忠英旧蔵・国文学研究資料館所蔵の記事を追加した。
- 日本六十余州国々切絵図・松平乗命旧蔵・『天保淡路国絵図』の記事を追加した。
- 『寛永淡路国絵図』『元禄淡路国絵図』の記事について整理・追補した。
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- 『寛永淡路国絵図』の記事について様式を中心に追補した。
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- 導入文を追加し、概要を追補した。
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- 『正保淡路国絵図』(ライデン大学図書館所蔵) を一覧に追加し、記事にまとめ、また外観を示した。
- 前項にともない『元禄淡路国絵図』について再検討し、記事に反映した。
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- 『寛永淡路国絵図』について考察を追加した。
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- 構成を再整理し、概要を追加した。誤字・脱字を適宜修正した。
- 同様に一覧表の備考に記載されていた記事を外に出して、冗長な表現などを適宜見直した。
- 『寛永淡路国絵図』『天保淡路国絵図』について外観を示し、『元禄淡路国絵図』について考察を追加した。
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- 新規作成。