オンラインで参照できる因幡国絵図 (因幡国の国絵図) のリストと詳細情報を提供しているページです。
↓一覧へ移動因幡国 (因州) は山陰道に属する国である。国立公文書館所蔵の『天保因幡国絵図』は紅葉山文庫旧蔵・勘定所旧蔵の両方が現存し、紅葉山文庫旧蔵 (#764056) がオンライン公開されている。

ライデン大学図書館 (Universitaire Bibliotheken Leidens)では『因幡国絵図 (Inaba no kuni ezu)』が現存・オンライン公開されている。

本図の大きさは東西 136cm × 南北151cm※1、様式は『伯耆国絵図 (Hōki no kuni ezu)』とともに同じライデン大学図書館所蔵の『河内国絵図 (Kawachi no kuni ezu)』と共通し、また鳥取城は具体的な複数の建築物と堀が描かれ、『正保因幡国絵図』(鳥取県立博物館所蔵) の存在からも『寛永因幡国絵図』と考えることができる。
本図の国郡高は以下のとおりである。
| 郡 | 本図 | |
|---|---|---|
| 智頭郡 | 11,735.84石 | ※2 |
| 八上郡 | 16,901.24石 | ※3 |
| 法美郡 | 17,090.01石 | ※4 |
| 岩井郡 | 17,407.74石 | ※5 |
| 上美郡※6 | 14,163.20石 | ※7 |
| 八東郡 | 20,049.69石 | ※8 |
| 高草郡 | 32,517.13石 | ※9 |
| 気多郡 | 22,406.54石 | ※10 |
| 総計 | 152,261.39石 | ※11 |
この国郡高は、比較可能な史料が見当たらず、したがって石高から本図の性質を特定することはできない。
ともにライデン大学図書館所蔵で様式が共通する本図 (『寛永因幡国絵図』) および『寛永伯耆国絵図』の特徴をまとめると以下のようになる。
| 城下 | 因幡国の鳥取城は城および堀 (濠) を具体的に、かつ大きく描写されている。これに対し伯耆国の米子城は正方形 (太枠・白) に「城」とのみ表記され、記号化されている。 | |
| 古城 | 名称は「古城」固定、文字表記だけが大部分、例外的に正方形枠 (おそらく伯耆国の1箇所だけ)。因幡国では破却時期が付記されているものが多い。 | |
| 村 | オブジェクトは不定形の楕円、郡別の彩色。村名はその中に記載、接尾辞なし・漢字表記。村高の記載はないが、原本が下図 (下絵図) または控図によるためか、写本における省略と考えられる。 | |
| 宿駅 | 短冊形で区別される (伯耆国は太枠、因幡は通常)。彩色は郡別の彩色。 | |
| 郡 | 見出し | 短冊形・太枠・赤で彩色、郡名・郡高・村数併記。 |
| 境界 (郡界) | 墨線。 | |
| 街道 | 朱線、一里塚あり (本道)、道程記載あり。本道・脇道で線幅に違いはなく、一里塚の有無で区別。 | |
| 航路 | なし。ただし「此湊ヨリ但馬ノ内濱坂マテ七里」の形式で他国までの距離は記載されている。 | |
| 国界 (国境) | 国境 記載 | 山側は地点と前後距離 (自国側・他国側) を記載。「美作境目人形仙越」「此境目ヨリ伯耆之内穴鴨町迄五里半」「此境目ヨリ美作之内才原村馬次迄一里」の形式、地点は「美作境」の部分だけまたは省略の場合あり、距離は自国側だけの場合あり、必要に応じて「難所馬通ナシ」「但難所」の付記あり、因幡国では脇道について「山路」だけまたは記載自体がない場合もある。海側は前項の距離記載以外に見当たらない。 |
| 隣国 色分け | なし。 | |
| 方角記載 | あり。 | |
| 川幅記載 | あり。 | |
| 目録 | 見出し「因幡国八郡」、郡名・郡高一覧・総計 (国高)。 | |
| その他 | 鳥取城付近に、郡見出しと同じ形式で両国合算の国高が記載されている。 | |
| ^ ※1: | 『小野寺』による。数値が東西・南北のどちらかは本稿で判断した。 |
| ^ ※2: | 「髙一万千七百廿五石八斗四舛」。 |
| ^ ※3: | 「髙一万六千九百一石二斗四舛」。 |
| ^ ※4: | 「高一万七千九拾石一舛」。 |
| ^ ※5: | 「高一万七千四百七石七斗四舛」。 |
| ^ ※6: | 「邑美郡」の異称。 |
| ^ ※7: | 「髙一万四千百六十三石二斗」。 |
| ^ ※8: | 「高二万四拾九石六斗九升」。 |
| ^ ※9: | 「高三万二千五百拾七石一斗三舛」。 |
| ^ ※10: | 「髙二万二千四百六石五斗四舛」。 |
| ^ ※11: | 「高都合拾五万二千二百六拾一石三斗九升」。 |
『日本六十余州国々切絵図 (余州図)』は、秋田県公文書館に 68国のすべてが現存し、秋田県公文書館デジタルアーカイブで公開されている。『日本六十余州国々切絵図』の通称も同館のものによる。『余州図』についての一般論は『6. 寛永国絵図・日本六十余州国々切絵図』を参照。
秋田県公文書館デジタルアーカイブでは『日本六十余州国々切絵図 因幡国』が公開され、東西 141cm × 南北 95cm、ほかに『因幡国[山陰道図]』 が京都大学貴重資料デジタルアーカイブで公開され、大きさは東西 152cm × 南北 120cm、『〔因幡国絵図〕』(#T1-103) が岡山大学 絵図公開データベースシステム で公開され、東西 159.4cm × 南北 116.1cm である。
『正保因幡国絵図』(muse_c201) は鳥取県立博物館に現存し、『因幡国絵図』としてとっとりデジタルコレクションでオンライン公開されている。

本図は「控え図か、写し図と考えられる」とされ、項目「大きさ」に「342×374cm」とある※1。項目「分野」※2が「歴史」である※3『因幡国絵図』(muse_c204#00759)※4(342×374cm)※5は同じ史料を指していると思われる。
本図は「幕府が正保年間 (1644~48年) に諸藩に命じて作成した国絵図の描き方と共通しており」とあるとおり、正保国絵図の様式である。国郡高は以下のとおり。
| 郡 | 本図 | 拝領高※6 | 寛文印知※7 | |||
|---|---|---|---|---|---|---|
| 智頭郡※8 | 11,525石 | ※9 | 11,525.3石 | ※10 | 11,525.3石 | ※11 |
| 八上郡 | 16,630石 | ※12 | 16,630.1石 | ※13 | 16,630.1石 | ※14 |
| 法美郡 | 16,796石 | ※15 | 16,796.5石 | ※16 | 16,796.5石 | ※17 |
| 岩井郡※18 | 17,110石 | ※19 | 17,110.1石 | ※20 | 17,110.1石 | ※21 |
| 上美郡※22 | 13,982石 | ※23 | 13,982.9石 | ※24 | 13,982.9石 | ※25 |
| 八東郡※26 | 19,012石 | ※27 | 19,712.8石 | ※28 | 19,712.8石 | ※29 |
| 高草郡 | 31,961石 | ※30 | 31,961.3石 | ※31 | 31,961.3石 | ※32 |
| 気多郡 | 22,023石 | ※33 | 22,023.5石 | ※34 | 22,023.5石 | ※35 |
以上のように本図の各郡高は、元和3年(1617) 池田光政が鳥取藩に移った時点の公称の国高 (『拝領高』) や、いわゆる「寛文印知」の寛文4年(1664) 『池田光仲宛領知判物・目録』の各郡高に整合する。
| ^ ※1: | 2026年2月27日のリニューアル前は項目「基本情報」に記載されていた。 |
| ^ ※2: | リニューアル前は「分野名」という名称だった。 |
| ^ ※3: | 画像があるものについては、リニューアル前の「分野名」は「古絵図(画像データ)」、リニューアル後の「分野」は「古地図」、識別子は "muse_c201"のまま変わらない。表示される文字列が変更されてわかりづらくなった。なお 「歴史」の識別子は "muse_c204"で、表示される文字列はリニューアル前後で変わらない。 |
| ^ ※4: | 番号は項目「受入番号 (資料番号)」による。リニューアル前の項目は「管理ID」という名称だった。この項目は画像がないものについては表示されるが、画像があるものについては表示されない (リニューアル前後で同じ)。 |
| ^ ※5: | リニューアル前の項目「基本情報」に表示されていた情報による。リニューアル後は項目「基本情報」がなく、また画像がないものについては項目「大きさ」もないため、わからなくなった。 |
| ^ ※6: | 『鳥取藩史 第5巻 民政志』(1971) 所収『各村高物成表』(cc.467-505) による。 |
| ^ ※7: | 寛文4年(1664) 4月5日付『池田光仲宛領知判物・目録』、『寛文朱印留 上』(1980) 所収 c.30。 |
| ^ ※8: | 本図では「知頭郡」。 |
| ^ ※9: | 「高壱万千五百弐拾五石余」。 |
| ^ ※10: | 「壱万千五百弐拾五石三斗」。 |
| ^ ※11: | 「高壱万千五百弐拾五石三斗」。 |
| ^ ※12: | 「高壱万六千六百三拾石余」。 |
| ^ ※13: | 「壱万六千六百三拾石壱斗」。 |
| ^ ※14: | 「高壱万六千六百三拾石壱斗」。 |
| ^ ※15: | 「高壱万六千七百九拾六石余」。 |
| ^ ※16: | 「壱万六千七百九拾六石五斗」。 |
| ^ ※17: | 「高壱万六千七百九拾六石五斗」。 |
| ^ ※18: | 『池田光仲宛領知判物・目録』では「石井郡」。 |
| ^ ※19: | 「高壱万七千百拾石余」。 |
| ^ ※20: | 「壱万七千百拾石壱斗」。 |
| ^ ※21: | 「高壱万七千百拾石壱斗」。 |
| ^ ※22: | 『池田光仲宛領知判物・目録』・拝領高では「邑美郡」。 |
| ^ ※23: | 「高壱万三千九百八拾弐石余」。 |
| ^ ※24: | 「壱万三千九百八拾弐石九斗」。 |
| ^ ※25: | 「高壱万三千九百八拾弐石九斗」。 |
| ^ ※26: | 『池田光仲宛領知判物・目録』では「八束郡」。 |
| ^ ※27: | 「高壱万九千拾弐石余」。 |
| ^ ※28: | 「壱万九千七百拾弐石八斗」。 |
| ^ ※29: | 「高壱万九千七百拾弐石八斗」。 |
| ^ ※30: | 「高三万千九百六拾壱石余」。 |
| ^ ※31: | 「三万千九百六拾壱石三斗」。 |
| ^ ※32: | 「高三万千九百六拾壱石三斗」。 |
| ^ ※33: | 「高弐万弐千弐拾三石余」。 |
| ^ ※34: | 「弐万弐千弐拾三石五斗」。 |
| ^ ※35: | 「高弐万弐千弐拾三石五斗」。 |
『元禄因幡国絵図』は鳥取県立博物館に現存し、『因幡国絵図』(muse_c204#00740)としてとっとりデジタルコレクションで存在を確認できるが、オンラインでは公開されていない。作成年代は「元禄11年10月」、大きさは「317×344cm」とあって※1、後代の写本ではなく控図か、最終段階の下絵図を控図として残したものではないかと考えられる。
『新編八頭郡誌 1巻 ふるさとの歴史 上』(1988)の口絵に本図と考えられる国絵図の全体が掲載され、松平伯耆守の名前が記されていることを確認できる。またその外観は控図か、最終段階の下絵図であることを肯定する。
なお本図は『鳥取県立博物館総合案内』(1985)にも「図版89」として『元禄伯耆国絵図』とともに掲載されている。しかし『新編八頭郡誌』とはかなり異なる印象を受ける。「図版89」は「国絵図(模写)」とあるものの、説明には「図版は原資料を撮影した」とあるので、「館内に展示されているものは模写図だが、この図版自体は原本を撮影したものである」と理解できる※2。しかし安易な自動処理で赤みを除去したものと推定され (『新編八頭郡誌』に掲載されたものも赤みが強く、色の調整は不十分ではある)、模写の失敗作にしか見えない。四方もトリミングされている。
| ^ ※1: | リニューアル前の項目「基本情報」に表示されていた情報による。リニューアル後は項目「基本情報」がなく、また画像がないものについては項目「大きさ」もないため、わからなくなった。 |
| ^ ※2: | 同館年報にも「元禄の国絵図レプリカの展示」とあって、実際に館内に展示されているのは模写したものらしい。なお、年報はhttps://www.pref.tottori.lg.jp/265347.htmに掲載されているが、URLは自治体特有の数字からなるものなので、永続性は保証されていないと思われる。 |
冒頭で言及のとおり、『天保因幡国絵図』は国立公文書館に紅葉山文庫旧蔵・勘定所旧蔵の両方が現存し、紅葉山文庫旧蔵 (#764056) がオンライン公開されている。
紅葉山文庫※1は江戸城内にあった書庫、勘定所は勘定奉行を長とする役所であり、したがって紅葉山文庫旧蔵は保存と限定的な参照目的のために納められたもの、勘定所旧蔵は実務に供されたものとなるが、紅葉山旧蔵も必要に応じて借用・参照されたようである※2。
『天保因幡国絵図』は東西 304cm × 南北 266cm、目録の奥書部分には、全国一律に天保9年(1838) の日付 (『天保9年戊戌五月』) と明楽飛騨守・田口五郎左衛門・大沢主馬の名前が記されている。
基本的に状態が良好な天保国絵図にあって、本図には水損による染みと、それによって張り付いた部分を剥がした際に発生したとみられる顔料の剥離が認められる。天保国絵図一般については『9. 天保国絵図』を参照のこと。
| ^ ※1: | 「紅葉山文庫」はほかの各種用語と同様、近代以降の俗称・学術用語。近世は主に「御文庫」と呼ばれ、「官庫」とも呼ばれた。 |
| ^ ※2: | 『紅葉山文庫』(1980)。 |
『天保因幡国絵図』は鳥取県立博物館にも現存し、『因幡国絵図』(muse_c201)としてとっとりデジタルコレクションでオンライン公開されている。
本図は時代が「天保7(1836)年11月」、大きさは「54×272cm×5枚」とあって、図の北西端に「天保七年申十一月」「公義上リ御控繪圖」の記載がある国絵図である。形態から、元禄国絵図の分割写本に変更部分について薄紙 (懸紙) を重ねたものを、形態もそのまま書き写して国許の控えとした国絵図とみられる。
『正保因幡国絵図』と同様、『因幡国絵図』(muse_c204#00745/#00746/#00747/#00748/#00749は同じ史料を指していると思われる。それぞれ作成年代は「天保7年11月」、大きさは「54×272cm」とある※1。
一方、別に『因幡国絵図』 (muse_c204#12770/#12771/#12772/#12773/#12774が存在し、それぞれ作成年代は「天保7年」、大きさは「54×269cm」とあって※1、同様のものかと思われるが、画像・詳細情報ともなく不明である。
| ^ ※1: | リニューアル前の項目「基本情報」に表示されていた情報による。リニューアル後は項目「基本情報」がなく、また画像がないものについては項目「大きさ」もないため、わからなくなった。 |
→ 『凡例』
2026.04.12:
2026.03.15:
2026.03.08:
2026.02.18:
2026.02.11:
2026.02.04:
2026.01.31:
2026.01.02: