オンラインで参照できる河内国絵図 (河内国の国絵図) のリストと詳細情報を提供しているページです。

↓一覧へ移動
(1) 概要

河内国は五畿に属する国である。国立公文書館所蔵の『天保河内国絵図』は紅葉山文庫旧蔵・勘定所旧蔵の両方が現存し、紅葉山文庫旧蔵 (#764268) がオンライン公開されている。

Fig.824 天保河内国絵図 (国立公文書館所蔵)

摂津・和泉・河内 3国の国界付近については『30.3. 摂津・和泉・河内の国絵図』を参照。

(2) ライデン大学図書館所蔵
ライデン大学図書館 (Universitaire Bibliotheken Leidens)では『河内国絵図 (Kawachi no kuni ezu)』が現存・オンライン公開されている。大きさは 東西136cm × 南北 275cm※1

Fig.814 寛永河内国絵図 (ライデン大学図書館 Universitaire Bibliotheken Leidens 所蔵)

本図について、『小野寺』では「石高は正保期のそれに近似し、また狭山藩主北条家の藩主名からも、正保図の写本と考えられる」とされているが、中川忠英旧蔵とは明らかに異なる国絵図であり、おそらくその後の正式な論文等で見直されているかと思われる。

全般的なところで国境記載はまったく異なり、本図のほうが極端に情報が多く、やや頼りない印象の形状で表現された村々や河川流路は『寛永出雲国絵図』や各『余州図』に近い。局所的な部分でいえば、深谷池に浮かぶ三つの島について中川忠英旧蔵では中央の島だけに村形 (小判形) があるのに対して、本図では各島にある。また池の東には「飯守古城」が存在する (中川忠英旧蔵には存在しない)。この「古城」は時代が下るに従って特定のオブジェクトとしては描かれなくなるものである (山名や名所旧跡と同様、背景の一部としては残る)。

本図の郡高を『正保河内国郷帳』※2および『日本輿地通志畿内部』(通称『五畿内志』) の『河内国志』の各郡に記載された『見稲簿』の値と比較すれば以下のとおりである。

本図正保郷帳見稲簿
錦部にしごり15,065.9640石※315,541.4100石※415,065.9640石※5
石川郡24,971.8980石※624,986.5980石※724,971.8980石※8
かみ11,791.7800石※911,791.7800石※1011,791.7800石※11
たんなん18,951.3840石※1219,059.6390石※1318,951.3840石※14
たんぼく22,381.6660石※1522,381.6660石※1622,381.6460石※17
古市郡7,390.1100石※187,350.1100石※197,390.1100石※20
安宿部やすかべ※21※222,281.1750石※232,361.8217石※242,281.1750石※25
おおがた4,403.2300石※264,818.9555石※274,403.2300石※28
12,567.4830石※2912,567.4830石※3012,567.4830石※31
渋川郡21,522.4500石※3221,522.4500石※3321,522.2500石※34
高安郡5,667.8240石※356,088.9780石※365,667.8240石※37
河内郡14,585.6770石※3814,616.5800石※3914,585.0770石※40
若江郡34,078.0560石※4134,078.0560石※4234,078.0560石※43
茨田まんだ36,263.7500石※4436,308.3490石※4536,263.7500石※46
讃良ささら※4710,265.4940石※4810,365.1700石※4910,265.4940石※50
かた20,990.9470石※5121,073.2970石※5220,990.9470石※53

上に示したように、本図の石高は八上・丹北・古市・志紀・渋川・若江 6郡を除いて正保郷帳よりも小さく、渋川郡・河内郡について「斗」の位の差異を、丹北郡について「升」の位の差異をそれぞれ誤りとして無視すれば、全 16郡で『見稲簿』の数値と一致する。

この『見稲簿』については情報を得られないが、石高の差分から正保郷帳よりも古い世代の郷帳であることは確かだろう。『大日本租税志』の引用書目に『天正年間見稲簿』とあるが、無関係の『豊前国八郡見稲簿』※54以外に用例そのものが見当たらないところからいえば、あるいはこれか。

『小野寺』でも言及される北条氏宗 (久太郎) が狭山藩の藩主だったのは諸史料によれば寛永2年(1625)~寛文10年(1670) であり、石高と前述の様式を合わせて考えれると、本図は『寛永河内国絵図』と推定される。このほか本図の様式をまとめれば以下のとおり。

城下正方形 (細枠・地色) に城名が表記され、記号化されている。おそらく「北条久太郎居城」(狭山陣屋) だけと思われる。
古城正方形 (太枠・地色) に古城名が表記され、記号化されている。おそらく「飯守古城」(飯盛城)・「赤坂城」(赤阪城) のみと思われる。
オブジェクトは不定形の楕円、郡別の彩色。村名はその中に記載、接尾辞なし・漢字表記。村高の記載はないが、原本が下図 (下絵図) または控図によるためか、写本における省略と考えられる。
宿駅区別はみられない。
見出し短冊形・太枠・郡別の彩色、郡名・郡高併記。
境界 (郡界)墨線。
街道朱線、本道は太線・一里塚あり、脇道は細線・一里塚なしを原則としているものの、脇道でも太線のものが多く、また一里塚が配置されているものもある (『正保河内国絵図』以降との対比で確認)。木目越 (紀見峠) の道が細線・一里塚なしであるのは、この時点では本道とされていないからか。道程記載は錦部郡内の「冨田村ゟ是マテ一里十二丁」だけしか見当たらない。
航路n/a
国界 (国境)国境 記載「立石越峠ヨリ和州畑村江九町四拾間末ハ立田海道ト一所ニナル難所ニテ牛馬往還ナシ」「木目越峠ヨリ紀州ケカ野マテ一里橋本マテ二里二町高野海道荷馬往還但天見村ヨリ峠マテ坂之内四町小坂アリ」など。正保国絵図以上に詳細である。
隣国 色分けなし。
方角記載あり。
川幅記載なし。
目録なし。
その他「イ」の符号とともに異本の表記を示していると思われる付記が所々にある。
注釈
^ ※1: 『小野寺』による。数値が東西・南北のどちらかは本稿で判断した。
^ ※2: 『枚方市史資料 第8集 河内国正保郷帳写』(1984) 所収。
^ ※3: 「一万五千六十五石九斗六升四合」。
^ ※4: 「壱万五千五百四拾壱石四斗壱升」。
^ ※5: 「一萬五千零六十五石九斗六四合」。
^ ※6: 「二万四千九百七十一石八斗九升八合」。
^ ※7: 「弐万四千九百八拾六石五斗九升八合」。
^ ※8: 「二萬四千九百七十一石八斗九升八合」。
^ ※9: 「一万千七百九十一石七斗八升」。
^ ※10: 「壱万千七百九拾壱石七斗八升」。
^ ※11: 「一萬一千七百九十一石七斗八升」。
^ ※12: 「一万八千九百五十一石三斗八升四合」。
^ ※13: 「壱万九千五拾九石六斗三升九合」。
^ ※14: 「一萬八千九百五十一石三斗八升四合」。
^ ※15: 「二万二千三百八十一石六斗六升六合」。
^ ※16: 「弐万弐千三百八拾壱石六斗六升六合」。
^ ※17: 「二萬二千三百八十一石六斗四升六合」。
^ ※18: 「七千三百九十石一斗一升」。
^ ※19: 「七千三百五拾石壱斗壱升」、「五」を「九」に校訂。
^ ※20: 「七千三百九十石零一斗一升」。
^ ※21: 本来の読みは「あすかべ」。
^ ※22: 正保郷帳では「安福郡」。
^ ※23: 「二千二百八十一石一斗七升五合」。
^ ※24: 「弐千三百六拾壱石八斗弐升壱合七勺」。
^ ※25: 「二千二百八十一石一斗七升五合」。
^ ※26: 「四千四百三石二斗三升」。
^ ※27: 「四千八百拾八石九斗五升五合五勺」。
^ ※28: 「四千四百零三石二斗三升」。
^ ※29: 「一万二千五百六十七石四斗八升三合」。
^ ※30: 「壱万弐千五百六拾七石四斗八升三合」。
^ ※31: 「一萬二千五百六十七石四斗八升三合」。
^ ※32: 「二万千五百廿二石四斗五升」。
^ ※33: 「弐万千五百弐拾弐石四斗五升」。
^ ※34: 「二萬一千五百二十二石二斗五升」。
^ ※35: 「五千六百六十七石八斗二升四合」。
^ ※36: 「六千八拾八石九斗七升八合」。
^ ※37: 「五千六百六十七石八斗二升四合」。
^ ※38: 「一万四千五百八十五石六斗七升七合」。
^ ※39: 「壱万四千六百拾六石五斗八升」。
^ ※40: 「一萬四千五百八十五石零七升七合」。
^ ※41: 「三万四千七十八石五升六合」。
^ ※42: 「三万四千七拾八石五升六合」。
^ ※43: 「三萬四千零七十八石零五升六合」。
^ ※44: 「三万六千二百六十三石七斗五升」。
^ ※45: 「三万六千三百八石三斗四升九合」。
^ ※46: 「三萬六千二百六十三石七斗五升」。
^ ※47: 本来の読みは「さらら」。
^ ※48: 「一万二百六十五石四斗九升四合」。
^ ※49: 「壱万三百六十五石壱斗七升」。
^ ※50: 「一萬零二百六十五石四斗九升四合」。
^ ※51: 「二万九百九十石九斗四升七合」。
^ ※52: 「弐万千七拾三石弐斗九升七合」。
^ ※53: 「二萬零九百九十石零九斗四升七合」。
^ ※54: 元禄14年(1701) の豊前国郷帳。『大分県史 近世篇3』(1988) によれば幕府に提出された『元禄豊前国郷帳』の原簿。なお同県史は「げんとうぼ」と読んでいる。
(3) 正保河内国絵図

国立公文書館所蔵、中川忠英旧蔵の国絵図群 (通称『日本分国図』) には河内国のものが 2分割された形式で含まれ、すべて現存・オンライン公開されている (#714361 ・ #714247)。

Fig.847 正保大和国絵図 (中川忠英旧蔵・国立公文書館所蔵)

記載されている国高は 264,952.342石で、これは『正保河内国郷帳』の 264,952.3432石※1と一致する (『正保河内国郷帳』の勺以下を切り捨てて総計すると 264,952.342石)。『寛永河内国絵図』と推定されるライデン大学所蔵と比較すると、国境記載は標準的なコンパクトなものに改められている。様式はほかの正保国絵図と共通し、「古城」がなくなって、郡中央付近に記載された郡名・郡高の表記は短冊内に表記する『寛永河内国絵図』に対し、正保以降の国絵図に標準的な形式に変わっている。

ところで本図の興味深い特徴として、郡の一覧における国高は前述のとおり『正保河内国郷帳』と一致する値になっているにもかかわらず、郡高はすべて前項『寛永河内国絵図』と一致する、という事実がある。当然ながら郡高の総計は記載されている国高とは一致しない。郡内に記載された郡高も、高安郡を除いて郡の一覧と同じ数値で (高安郡も斗の位が異なるだけで、おそらく誤記)、郡の一覧だけがほかから混入・合成されたというわけでもない。

本図寛永河内国絵図正保郷帳
錦部郡15,065.9640石※215,065.9640石15,541.4100石
石川郡※324,971.8980石※424,971.8980石24,986.5980石
八上郡11,791.7800石※511,791.7800石11,791.7800石
丹南郡18,951.3840石※618,951.3840石19,059.6390石
丹北郡22,381.6660石※722,381.6660石22,381.6660石
古市郡7,390.1100石※87,390.1100石7,350.1100石
安宿部郡2,281.1750石※92,281.1750石2,361.8217石
大県郡4,403.2300石※104,403.2300石4,818.9555石
志紀郡12,567.4830石※1112,567.4830石12,567.4830石
渋川郡21,522.4500石※1221,522.4500石21,522.4500石
高安郡5,667.8240石※135,667.8240石6,088.9780石
河内郡14,585.6770石※1414,585.6770石14,616.5800石
若江郡34,078.0560石※1534,078.0560石34,078.0560石
茨田郡36,263.7500石※1636,263.7500石36,308.3490石
讃良郡 10,265.4940石※1710,265.4940石10,365.1700石
交野郡20,990.9470石※1820,990.9470石21,073.2970石
総計 (記載)264,952.3420石※19(なし)264,952.3432石
総計 (手動計算)263,178.8880石263,178.8880石(略)

中川忠英旧蔵として残るからには、その原本は控えか、それに準ずるものとして残されていたものと考えられ、郡高の反映を除けば完成された国絵図といえる。またこの事実により、本図は明暦の大火後の再提出時にあったかもしれない現状反映の影響を否定し、前項ライデン大学所蔵が『寛永河内国絵図』であることを肯定する。

注釈
^ ※1: 「弐拾六万四千九百五拾弐石三斗四升三合弐勺」。
^ ※2: 「髙壹萬五千六拾五石九計六舛四合」。
^ ※3: 本図郡内の表記は「石河郡」。
^ ※4: 「髙貳萬四千九百七拾壹石八計九舛八合」。
^ ※5: 「髙壹萬千七百九拾壹石七計八舛」。
^ ※6: 「髙壹萬八千九百五拾壹石三計八舛四合」。
^ ※7: 「髙貳萬貳千三百八拾壹石六計六舛六合」。
^ ※8: 「髙七千三百九拾石壹計壹舛」。
^ ※9: 「髙貳千貳百八拾壹石壹計七舛五合」。
^ ※10: 「髙四千四百三石貳計三舛」。
^ ※11: 「髙壹萬貳千五百六拾七石四計八舛三合」。
^ ※12: 「髙貳萬千五百貳拾貳石四計五舛」。
^ ※13: 「髙五千六百六拾七石八計貳舛四合」。郡内記載の石高は 5,667.2240石 (『髙五千六百六拾七石貳計貳舛四合』)。
^ ※14: 「髙壹萬四千五百八拾五石六計七舛七合」。
^ ※15: 「髙三萬四千七拾八石五舛六合」。
^ ※16: 「髙三萬六千貳百六拾三石七計五舛」。
^ ※17: 「髙壹萬貳百六拾五石四計九舛四合」。
^ ※18: 「髙貳萬九百九拾石九計四舛七合」。
^ ※19: 「都合髙貳拾六萬四千九百五拾貳石三計四舛貳合」。
(4) 元禄河内国絵図

元禄国絵図は国立公文書館に多く現存し、下総・常陸・日向・薩摩・大隅が正本、五畿 (大和・山城・河内・和泉・摂津) とその周囲である近江・丹波・播磨が写本である (令制国 68国ではないものを除く、元禄国絵図の一般論については『8. 元禄国絵図』を参照)。

Fig.939 元禄河内国絵図 (国立公文書館所蔵)

『元禄河内国絵図』(#764190) は写本のひとつである。山城国などと同様に河内国の場合も比較するものがないが、背景の自然描写で山陵と森林の多くが省略されているとみられる。大きさは東西 137cm × 南北 295cm、元禄15年(1702) 4月の日付 (『元禄十五年壬午四月』) と井上大和守・安藤筑後守・松前伊豆守・久貝因幡守の名前が記されている。

(5) 天保河内国絵図

冒頭で言及のとおり、『天保河内国絵図』は国立公文書館に紅葉山文庫旧蔵・勘定所旧蔵の両方が現存し、紅葉山文庫旧蔵 (#764268) がオンライン公開されている。

紅葉山文庫※1は江戸城内にあった書庫、勘定所は勘定奉行を長とする役所であり、したがって紅葉山文庫旧蔵は保存と限定的な参照目的のために納められたもの、勘定所旧蔵は実務に供されたものとなるが、紅葉山旧蔵も必要に応じて借用・参照されたようである※2

『天保河内国絵図』は東西 174cm × 南北 310cm、目録の奥書部分には、全国一律に天保9年(1838) の日付 (『天保9年戊戌五月』) と明楽飛騨守・田口五郎左衛門・大沢主馬の名前が記されている。天保国絵図一般については『9. 天保国絵図』を参照のこと。

注釈
^ ※1: 「紅葉山文庫」はほかの各種用語と同様、近代以降の俗称・学術用語。近世は主に「御文庫」と呼ばれ、「官庫」とも呼ばれた。
^ ※2: 『紅葉山文庫』(1980)
(6) 一覧

『凡例』

種別参照可否確定名称等所蔵・公開備考
確定根拠
余州当該国絵図であることが確定した、村名の文字を明瞭に判読可能な高解像度の画像がオンライン公開されている。所蔵#15734秋田県公文書館 デジタルアーカイブ
余州当該国絵図であることが確定した、村名の文字を明瞭に判読可能な高解像度の画像がオンライン公開されている。筆者T1-82岡山大学 絵図公開 データベースシステム 「異本ニ丹南郡ヲ入十五郡但春齋改ニハ丹南ハナシ」の付記がある。
余州当該国絵図であることが確定した、村名の文字を明瞭に判読可能な高解像度の画像がオンライン公開されている。筆者河内国[畿内図]京都大学貴重資料 デジタルアーカイブ 「異本ニ丹南郡ヲ入拾五郡但春齋改ニハ丹南郡ハナシ」の付記がある。
寛永当該国絵図であることが確定した、村名の文字を明瞭に判読可能な高解像度の画像がオンライン公開されている。筆者Kawachi no kuni ezu (河内国絵図) Ser. 260Universitaire Bibliotheken Leidens (ライデン大学図書館)参照
正保当該国絵図であることが確定した、村名の文字を明瞭に判読可能な高解像度の画像がオンライン公開されている。福井中川忠英旧蔵 (#714361 ・ #714247)国立公文書館 デジタルアーカイブ参照
元禄当該国絵図であることが確定した、村名の文字を明瞭に判読可能な高解像度の画像がオンライン公開されている。所蔵#764190国立公文書館 デジタルアーカイブ参照
天保当該国絵図であることが確定した、村名の文字を明瞭に判読可能な高解像度の画像がオンライン公開されている。所蔵#764268国立公文書館 デジタルアーカイブ正 (紅葉山)参照
天保当該国絵図であることが確定しているが非公開、オンラインで参照できない。所蔵#764265国立公文書館 デジタルアーカイブ正 (勘定所)参照
(7) 更新履歴

2026.03.29:

2026.03.08:

2026.02.23:

2026.02.18:

2026.02.04:

2026.01.31:

2026.01.02: