ここでは、江戸期 (江戸時代) に全国規模で作成された国絵図のうち、河内国絵図について詳細をまとめています。一覧は末尾にあります。
(1) 概要
河内国は五畿七道のうち五畿に属する国である。国立公文書館所蔵の『天保河内国絵図』は紅葉山文庫旧蔵・勘定所旧蔵の両方が現存し、前者 (紅葉山文庫旧蔵) が『天保国絵図河内国』(#764268) としてオンライン公開されている。

摂津・和泉・河内 3国の国界 (国境) については『30.3. 摂津・和泉・河内の国絵図』を参照。
(2) 寛永河内国絵図
『寛永河内国絵図』は、江戸期 (江戸時代) に全国規模で作成されたと考えられている国絵図の 2番目、寛永年間(1624~1644) に作成された寛永国絵図のうち河内国のものである。ライデン大学図書館 (Universitaire Bibliotheken Leidens)では『河内国絵図 (Kawachi no kuni ezu)』が現存・オンライン公開されており、これが『寛永河内国絵図』であると推定される。本図の大きさは東西136cm × 南北 275cm である※1。

本図について、『小野寺』には「石高は正保期のそれに近似し、また狭山藩主北条家の藩主名からも、正保図の写本と考えられる
」とあるが、正保国絵図と推定される中川忠英旧蔵とは明らかに異なる国絵図である (『小野寺』は科学研究費補助金研究成果報告書であり、後続の論文等で見直されているかと思われる)。
全般的なところでは、本図と中川忠英旧蔵とでは国境記載はまったく異なり、本図のほうが極端に情報が多く、やや頼りない印象の形状で表現された村々や河川流路は『寛永出雲国絵図』や各『余州図』に近い。局所的な部分でいえば、深谷池に浮かぶ 3つの島について本図では各島に村のオブジェクト (小判形) があり、池の東には「飯守古城」が存在する。中川忠英旧蔵では中央の島だけに村のオブジェクト (小判形) があり、また池の東に古城はない。
本図の郡高 (郡単位の石高) を『正保河内国郷帳』※2および『見稲簿』※3の値と比較すれば以下のとおりである。
| 郡 | 本図 | 正保郷帳 | 見稲簿 | |||
|---|---|---|---|---|---|---|
| 錦部郡 | 15,065.9640石 | ※4 | 15,541.4100石 | ※5 | 15,065.9640石 | ※6 |
| 石川郡 | 24,971.8980石 | ※7 | 24,986.5980石 | ※8 | 24,971.8980石 | ※9 |
| 八上郡 | 11,791.7800石 | ※10 | 11,791.7800石 | ※11 | 11,791.7800石 | ※12 |
| 丹南郡 | 18,951.3840石 | ※13 | 19,059.6390石 | ※14 | 18,951.3840石 | ※15 |
| 丹北郡 | 22,381.6660石 | ※16 | 22,381.6660石 | ※17 | 22,381.6460石 | ※18 |
| 古市郡 | 7,390.1100石 | ※19 | 7,350.1100石 | ※20 | 7,390.1100石 | ※21 |
| 安宿部郡※22※23 | 2,281.1750石 | ※24 | 2,361.8217石 | ※25 | 2,281.1750石 | ※26 |
| 大県郡 | 4,403.2300石 | ※27 | 4,818.9555石 | ※28 | 4,403.2300石 | ※29 |
| 志紀郡 | 12,567.4830石 | ※30 | 12,567.4830石 | ※31 | 12,567.4830石 | ※32 |
| 渋川郡 | 21,522.4500石 | ※33 | 21,522.4500石 | ※34 | 21,522.2500石 | ※35 |
| 高安郡 | 5,667.8240石 | ※36 | 6,088.9780石 | ※37 | 5,667.8240石 | ※38 |
| 河内郡 | 14,585.6770石 | ※39 | 14,616.5800石 | ※40 | 14,585.0770石 | ※41 |
| 若江郡 | 34,078.0560石 | ※42 | 34,078.0560石 | ※43 | 34,078.0560石 | ※44 |
| 茨田郡 | 36,263.7500石 | ※45 | 36,308.3490石 | ※46 | 36,263.7500石 | ※47 |
| 讃良郡※48 | 10,265.4940石 | ※49 | 10,365.1700石 | ※50 | 10,265.4940石 | ※51 |
| 交野郡 | 20,990.9470石 | ※52 | 21,073.2970石 | ※53 | 20,990.9470石 | ※54 |
上に示したように、本図の郡高は八上・丹北・古市・志紀・渋川・若江 6郡を除いて正保郷帳よりも小さく、渋川郡・河内郡について「斗」の位の差異を、丹北郡について「升」の位の差異をそれぞれ誤りとして無視すれば、全 16郡で『見稲簿』の数値と一致する。
『見稲簿』は『五畿内志』(『日本輿地通志畿内部』) の一部である『河内国志』の各郡に抜粋されている郷帳だが、どのような性質のものかは記載されていない。「見稲簿」という言葉の用例そのものが限定され、『豊前国八郡見稲簿』※55のほかは『大日本租税志』の引用書目に「天正年間見稲簿』とある程度である。『豊前国八郡見稲簿』は明らかに河内国とは無関係なので、あるいは後者が示唆するように天正年間(1573~1592) まで遡るものなのだろうか。いずれにせよ、石高の差分からいえば正保郷帳よりも古い世代の郷帳であることは確かだろう。
『小野寺』にも言及がある北条氏宗 (久太郎) が狭山藩の藩主だったのは、諸史料によれば寛永2年(1625)~寛文10年(1670) であり、石高と前述の特徴を合わせて考えれば、本図は『寛永河内国絵図』と推定される。このほか本図の様式をまとめれば以下のとおり。
| 城下 | 正方形 (細枠・地色) に城名が表記され、記号化されている。おそらく「北条久太郎居城」(狭山陣屋) だけかと思われる。 | |
| 古城 | 正方形 (太枠・地色) に古城名が表記され、記号化されている。おそらく飯「飯守古城」と「赤坂城」(赤坂古城) のみと思われ、「千早城」は文字だけで表現されている。 | |
| 村 | オブジェクトは不定形の楕円、郡別の彩色。村名はその中に記載、接尾辞なし・漢字表記。村高の記載はないが、本図または原本における省略と思われる。 | |
| 宿駅 | 区別はみられない。 | |
| 郡 | 見出し | 短冊形・太枠・郡別の彩色、郡名・郡高併記。 |
| 境界 (郡界) | 墨線。 | |
| 街道 | 朱線、本道は太線・一里塚あり、脇道は細線・一里塚なしを原則としているものの、脇道でも太線のものが多く、また一里塚が配置されているものもある (『正保河内国絵図』以降との対比で確認)。木目越 (紀見峠) の道が細線・一里塚なしであるのは、この時点では本道とされていないからか。道程記載は錦部郡内の「冨田村ゟ是マテ一里十二丁」だけしか見当たらない。 | |
| 航路 | n/a | |
| 国界 (国境) | 国境 記載 | 「立石越峠ヨリ和州畑村江九町四拾間末ハ立田海道ト一所ニナル難所ニテ牛馬往還ナシ」「木目越峠ヨリ紀州ケカ野マテ一里橋本マテ二里二町高野海道荷馬往還但天見村ヨリ峠マテ坂之内四町小坂アリ」など。『正保河内国絵図』以上に詳細である。 |
| 隣国 色別 | なし。 | |
| 方角記載 | あり。 | |
| 川幅記載 | なし。 | |
| 目録 | なし。 | |
| その他 | 「イ」の符号とともに異本の表記を示していると思われる付記が所々にある。 | |
なお本図の最北部、天野川が淀川に合流する地点北側 (右岸) には郡界と下線で囲まれた「摂州領」がある。これは摂津国の淀川右岸飛地・磯島村 (礒嶋村) が存在する部分で、元禄以降では隣国の事物を一切書かないことを原則とする国絵図においては、それがまだ徹底されていない寛永国絵図の特徴をあらわしている。
注釈
(3) 日本六十余州国々切絵図 河内国
日本六十余州国々切絵図 (余州図) は、江戸期 (江戸時代) に全国規模で作成されたと考えられている国絵図の 2番目、寛永年間(1624~1644) に作成された寛永国絵図の略図・縮図と考えられている国絵図である。余州図は五畿七道 68国のすべてが秋田県公文書館に現存し、「日本六十余州国々切絵図」の通称も同館のものによる。『日本六十余州国々切絵図 河内国』は文字どおりに河内国の余州図であり、『日本六十余州国々切絵図 河内国』として秋田県公文書館デジタルアーカイブでオンライン公開され、大きさは東西 90cm × 南北 146cm である。
ほかに『河内国[畿内図]』 が京都大学 貴重資料デジタルアーカイブで公開され、大きさは東西 160cm × 南北 120cm、『〔河内国絵図〕』(T1-82) が岡山大学 絵図公開データベースシステム で公開され、大きさは東西 117.3cm × 南北 165.0cm である。
『〔河内国絵図〕』(T1-82) には 「異本ニ丹南郡ヲ入十五郡但春齋改ニハ丹南ハナシ
」、『河内国[畿内図]』にも「異本ニ丹南郡ヲ入拾五郡但春齋改ニハ丹南郡ハナシ
」の付記がある。
(4) 正保河内国絵図
『正保河内国絵図』は、江戸期 (江戸時代) に全国規模で作成されたと考えられている国絵図の 3番目、正保年間(1644~1648) から慶安年間(1648~1652) にかけて作成された正保国絵図のうち河内国のものである。国立公文書館所蔵、中川忠英旧蔵の国絵図群 (通称『日本分国図』) には河内国のものが 2分割された形式で含まれ、その両方が現存・オンライン公開されている (『河内国1』(#714361) 『河内国2』(#714247))。これが『正保河内国絵図』であると推定される。

余白部分 (畾紙) の目録に記載された国高 (国単位の石高) は 264,952.342石で、これは『正保河内国郷帳』※1の 264,952.3432石※2に対して矛盾しない。完全に一致しないのは郷帳の数値が勺までの精度があるためで、各郡高を勺以下を切り捨てた上で合計すれば 264,952.342石となって、本図の値に一致する。様式に注目すれば、本図に朱線で書き入れられた街道には主・副 (本・脇) の区別があって、一里塚や道程記載・国境記載等に不足があるようには感じられない。郡内に記載された見出しも標準的であり、枠はない。したがって本図は河内国の正保国絵図である『正保河内国絵図』といえる。
ただし、前述のように本図の目録に記載された国高は『正保河内国郷帳』に一致するが、それにもかかわらず内訳 (郡高) はすべて前項の『寛永河内国絵図』に一致する数値が記載されている。当然ながら、郡高を合計した場合の数値は、国高より小さく一致しない。以下に目録の郡高を示す。
| 郡 | 本図 (目録) | 寛永河内国絵図 | 正保郷帳 | |
|---|---|---|---|---|
| 錦部郡 | 15,065.9640石 | ※3 | 15,065.9640石 | 15,541.4100石 |
| 石川郡※4 | 24,971.8980石 | ※5 | 24,971.8980石 | 24,986.5980石 |
| 八上郡 | 11,791.7800石 | ※6 | 11,791.7800石 | 11,791.7800石 |
| 丹南郡 | 18,951.3840石 | ※7 | 18,951.3840石 | 19,059.6390石 |
| 丹北郡 | 22,381.6660石 | ※8 | 22,381.6660石 | 22,381.6660石 |
| 古市郡 | 7,390.1100石 | ※9 | 7,390.1100石 | 7,350.1100石 |
| 安宿部郡 | 2,281.1750石 | ※10 | 2,281.1750石 | 2,361.8217石 |
| 大県郡 | 4,403.2300石 | ※11 | 4,403.2300石 | 4,818.9555石 |
| 志紀郡 | 12,567.4830石 | ※12 | 12,567.4830石 | 12,567.4830石 |
| 渋川郡 | 21,522.4500石 | ※13 | 21,522.4500石 | 21,522.4500石 |
| 高安郡 | 5,667.8240石 | ※14 | 5,667.8240石 | 6,088.9780石 |
| 河内郡 | 14,585.6770石 | ※15 | 14,585.6770石 | 14,616.5800石 |
| 若江郡 | 34,078.0560石 | ※16 | 34,078.0560石 | 34,078.0560石 |
| 茨田郡 | 36,263.7500石 | ※17 | 36,263.7500石 | 36,308.3490石 |
| 讃良郡 | 10,265.4940石 | ※18 | 10,265.4940石 | 10,365.1700石 |
| 交野郡 | 20,990.9470石 | ※19 | 20,990.9470石 | 21,073.2970石 |
| 総計 (国高) | 264,952.3420石 | ※20 | (なし) | 264,952.3432石 |
| 総計 (手動計算) | 263,178.8880石 | 263,178.8880石 | (略) | |
上記は郡見出しに併記された郡高も同様である (高安郡だけ斗の位が異なるが、明らかに誤記だろう)。これについては、いまのところ「下絵図 (下図) であるため」と理解するしかないが、どういう過程でこの混在が生じたのかは推定も難しい。
なお本図でも、本来描かれるべきではない、摂津国の淀川右岸飛地・磯島村 (礒嶋村) の部分が「摂津国」「ミソ嶋」として描かれている。一方で「領」ではなく「国」と表記され、郡界による区別もより明確になっているなど、国郡の認知は若干、改善されている。
注釈
(5) 元禄河内国絵図
『元禄河内国絵図』は、江戸期 (江戸時代) に全国規模で作成された国絵図の 4番目、元禄年間(1688~1704) に作成された元禄国絵図のうち河内国のものである。元禄国絵図は国立公文書館に多く現存する。本図もその一部であり、『元禄国絵図河内国』(#764190)として現存・オンライン公開されている。

国立公文書館所蔵の元禄国絵図のうち、下総・常陸・日向・薩摩・大隅は正本、五畿 (大和・山城・河内・和泉・摂津) と近江・丹波・播磨は写本であり (本稿の対象ではない、五畿七道 68国以外を除く)、したがって本図も写本である。『元禄近江国絵図』と同様、背景となる自然描写は簡略化されているとみられ、『天保河内国絵図』に比較して山陵と森林がかなり少ない。大きさは東西 137cm × 南北 295cmで、元禄15年(1702) 4月の日付 (『元禄十五年壬午四月』) と井上大和守・安藤筑後守・松前伊豆守・久貝因幡守の名前が記されている。
本図では摂津国の淀川右岸飛地・磯島村 (礒嶋村) は描かれず、その部分はまるで切り取ったかのように空白になっている。
(6) 天保河内国絵図
『天保河内国絵図』は、江戸期に全国規模で作成された国絵図の最後、天保年間(1830~1844) に作成された天保国絵図のうち河内国のものである。冒頭で言及したとおり、『天保河内国絵図』は国立公文書館に紅葉山文庫旧蔵・勘定所旧蔵の両方が現存し、前者 (紅葉山文庫旧蔵) が『天保国絵図河内国』(#764268) としてオンライン公開されている。
紅葉山文庫※1は江戸城内にあった、将軍の利用を原則とする書庫 (図書館) であり、勘定所は勘定奉行を長とする役所である。したがって紅葉山文庫旧蔵は保存と限定的な参照を目的に納められたもの、勘定所旧蔵は実務に供されたものとなるが、紅葉山文庫旧蔵も必要に応じて借用・参照されたようである※2。
『天保河内国絵図』は大きさが東西 174cm × 南北 310cm で、目録の奥書部分には、全国一律に天保9年(1838) の日付 (『天保9年戊戌五月』) と明楽飛騨守・田口五郎左衛門・大沢主馬の名前が記されている。
注釈
(7) 一覧
(8) 更新履歴
内容
:
- ライデン大学図書館所蔵・日本六十余州国々切絵図・中川忠英旧蔵の記事について、それぞれ表題を「寛永河内国絵図」「日本六十余州国々切絵図 河内国」「正保河内国絵図』に変更し、説明を整理した。
- 『元禄河内国絵図』『天保河内国絵図』について説明を整理した。
:
- 日本六十余州国々切絵図の記事を追加した。
:
- 『元禄河内国絵図』の記事を若干追補、『天保河内国絵図』についての記事を追加した。
:
- ライデン大学図書館所蔵の記事について様式を中心に追補した。
:
- 『元禄河内国絵図』の記事を追加し、また外観を示した。
:
- 導入文を追加し、概要を追補した。
:
- 『寛永河内国絵図』『正保河内国絵図』の記事に追加の検討結果を反映し、『正保河内国絵図』について外観を示した。
:
- 構成を再整理し、概要を追加した。誤字・脱字を適宜修正した。
- 同様に一覧表の備考に記載されていた記事を外に出して、表現などわかりづらいところを適宜、見直した。
- 『天保河内国絵図』『寛文河内国絵図』について外観を示した。
:
- 新規作成。