オンラインで参照できる但馬国絵図 (但馬国の国絵図) のリストと詳細情報を提供しているページです。

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(1) 概要

但馬国 (但州) は山陰道に属する国である。国立公文書館所蔵の『天保但馬国絵図』は紅葉山文庫旧蔵 (#763943) が現存・オンライン公開されている。

Fig.852 天保但馬国絵図 (国立公文書館所蔵)
(2) 『寛永但馬国絵図』『正保但馬国絵図』『元禄但馬国絵図』

『兵庫県史 第4巻 近世編2』(1979) によれば、『寛永但馬国絵図』『正保但馬国絵図』『元禄但馬国絵図』の存在を確認できる。同史編纂当時の情報として『寛永但馬国絵図』は個人 (石川忠彦) 所蔵、『正保但馬国絵図』も個人 (武田好弘) 所蔵で、『元禄但馬国絵図』は県史編集室所蔵とあるが、どれも現況について情報を得られず、わからない。なお『元禄但馬国絵図』について、別の文献では個人 (京極高光) 所蔵となっている。生没年から京極高光所蔵から移ったものが県史編集室所蔵と考えられるが、詳細にはやはり情報を得られない。

(3) 中川忠英旧蔵

国立公文書館所蔵、中川忠英旧蔵の国絵図群 (通称『日本分国図』) には但馬国のものが 2分割された形式で含まれ、うち東南部過半の部分 (出石・養父・朝来 3郡) がオンライン公開されている (#714174)。

Fig.877

本図は正保国絵図の様式で描かれ、またほかの中川忠英旧蔵の正保国絵図と共通することから『正保但馬国絵図』と推定される。古城は『若狭敦賀之絵図』『正保出雲・隠岐国絵図』に類似する台状山 (テーブルマウンテン) で表現され、背景とオブジェクトの中間的な表現になっている。村のオブジェクト (小判形) には村名だけが記載され、村高は省略されている。また知行内訳の「いろは」記号も付されていない。

本図の国郡高は以下のとおりである。

本図知行高郡分元禄但馬国郷帳※1
あさ20,388.521石※220,388.521石※320.682.952石※4
20,675.275石※520,675.275石※620,916.100石※7
七味しつみ※86,700石※96,700石※106,700石※11
17,549.177石※1217,549.177石※1317,940.347石※14
城崎きのさき19,999.389石※1519,999.389石※1620,370.208石※17
ふたかた7,926.735石※187,926.735石※197,926.735石※20
美含みくみ11,094.685石※2111,094.685石※2211,098.306石※23
出石いずし24,735.975石※2424,735.975石※2525,037.677石※26
総計129,069.757石※27129,069.757石※28130,673.235石※29

上記のように、本図の国郡高は「知行高郡分」と一致する。この「知行高郡分」は 『但州八郡知行高郡分ケ』※30、または『但馬考』に「今の見数 (今の見數)」として示されている数値で、両者は城崎郡に相違があるものの、百の位の文字の相違 (『九』か『八』の違い) に過ぎない。しかしここから本図の時期を特定することはできない。

国郡高に続く知行内訳のうち「三万五千石 豊岡領」に「京極土肥之助」の名前があることから、「知行高郡分」は豊岡藩主・京極高住 (第2代、延宝2年(1674)~正徳4年(1714)) か、高寛 (第4代、享保6年(1714)~享保11年(1719)) のどちらか時点といえるが、どちらも正保国絵図の作成および再提出の時期より遅い。『但馬考』の知行内訳は内容が異なるものの、時期としてはさらに遠い。

なお『兵庫県史 第4巻 近世編2』(1979) の『慶長10年但馬国における所領の郡別配置状況』(c.24) にまとめられた、「寛永16年但馬国絵図にしるす数字である」とある国高は 134,060.608石で『元禄但馬国郷帳』より多い。また『校補但馬考』の増補部分に記載された「寛永十六年 但馬国中御知高帳控 (寬永十六年 但馬國中御知高帳扣)」の国高は 140,400.287石※31でさらに多く、これらも特定を難しくする。

前述のとおり様式と内容から本図は『正保但馬国絵図』だが、これ以上は前項の、『兵庫県史 第4巻 近世編2』(1979)で言及される『寛永但馬国絵図』『正保但馬国絵図』『元禄但馬国絵図』との比較検討しなければならない。

注釈
^ ※1: 元禄13年 9月付、『兵庫県史 史料編 近世1』(1989) 所収、cc.417-422。
^ ※2: 「髙貳萬三百八拾八石五計貳舛壹合」。
^ ※3: 「高弐万三百八拾八石五斗弐升壱合」「二万三百八十八石五斗二升一合」。
^ ※4: 「小以弐万六百八拾弐石九斗五升弐合 」。
^ ※5: 「髙貳万六百七拾五石弐斗七舛合」。
^ ※6: 「高弐万六百七拾五石弐斗七升五合」「二万六百七十五石二斗七升五合」。
^ ※7: 「小以弐万九百拾六石七斗壱升」。
^ ※8: 「今の見数」では「七美郡」。
^ ※9: 「高六千七百石」 。
^ ※10: 「髙六千七百石」「六千七百石」。
^ ※11: 「小以六千七百石」。
^ ※12: 「髙壹万七千五百四拾九石壹斗七舛七合」。
^ ※13: 「高壱万七千五百四拾九石壱斗七升七合」「一万七千五百四十九石一斗七升七合」。
^ ※14: 「小以壱万七千九百四十石三斗四升七合」
^ ※15: 「髙壹万九千九百九拾九石三斗八舛九合」。
^ ※16: 「高壱万九千九百九拾九石三斗八升九合」、ただし「今の見数」では 100石少なく 19,899.389石 (『一万九千八百九十九石三斗八升九合』)。
^ ※17: 「小以弐万三百七拾石弐斗八合」。
^ ※18: 「髙七千九百貳拾六石七計三舛五合」。
^ ※19: 「高七千九百弐拾六石七斗三升五合」「七千九百二十六石七斗三升五合」。
^ ※20: 「小以七千九百弐拾六石七斗三升五合」。
^ ※21: 「一万千九十四石六斗八升五合」、ただし『但州八郡知行高郡分ケ』では本郡のみ漏れている。
^ ※22: 「髙壹万千九拾四石六計八舛五合」。
^ ※23: 「小以壱万千九拾八石三斗六合」。
^ ※24: 「高弐万四千七百三拾五石九斗七升五合」「二万四千七百三十五石九斗七升五合」。
^ ※25: 「髙貳万四千七百三拾五石九斗七舛五合」。
^ ※26: 「小以弐万五千三拾七石六斗七升七合」。
^ ※27: 「髙都合貳弐万九千六拾九石七計後舛七合」。
^ ※28: 「〆拾弐万九千六拾九石七斗五升七合」、ただし「今の見数」では城崎郡が100石少ないので 128,969.757石 (『通計拾弐萬八千九百六拾九石七斗五升七合』)。
^ ※29: 「高都合拾三万六百七拾三石弐斗三升五合」。
^ ※30: 『出石町史 第3巻 資料編1』(1987) 所収、c.220。
^ ※31: 「總高拾四萬百石貳斗八升七合」。
(4) 一覧

『凡例』

種別参照可否確定名称等所蔵・公開備考
確定根拠
余州当該国絵図であることが確定した、村名の文字を明瞭に判読可能な高解像度の画像がオンライン公開されている。所蔵#15738秋田県公文書館 デジタルアーカイブ
余州当該国絵図であることが確定した、村名の文字を明瞭に判読可能な高解像度の画像がオンライン公開されている。筆者T1-95岡山大学 絵図公開 データベースシステム
余州当該国絵図であることが確定した、村名の文字を明瞭に判読可能な高解像度の画像がオンライン公開されている。筆者但馬国[山陰道図]京都大学貴重資料 デジタルアーカイブ
寛永当該国絵図であることが確定しているが非公開、オンラインで参照できない。その他但馬国絵図個人 (石川忠彦)参照
正保当該国絵図であることは確定していないが (推定等)、村名の文字を明瞭に判読可能な高解像度の画像がオンライン公開されている。筆者中川忠英旧蔵 (#714174 ・ #714238)国立公文書館 デジタルアーカイブ参照
正保当該国絵図であることが確定しているが非公開、オンラインで参照できない。その他但馬国絵図個人 (武田好弘)参照
元禄当該国絵図であることが確定しているが非公開、オンラインで参照できない。その他但馬国絵図兵庫県史編集室参照
天保当該国絵図であることが確定した、村名の文字を明瞭に判読可能な高解像度の画像がオンライン公開されている。所蔵#763943国立公文書館 デジタルアーカイブ正 (紅葉山)
(5) 変更履歴

2026.02.18:

2026.02.04:

2026.01.31:

2026.01.02: