安芸国絵図

ここでは、江戸期 (江戸時代) に全国規模で作成された国絵図のうち、安芸国絵図について詳細をまとめています。一覧は末尾にあります。

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(1) 概要

安芸国 (芸州) は五畿七道のうち山陽道に属する国である。国立公文書館所蔵の『天保安芸国絵図』は紅葉山文庫旧蔵が現存し、『天保国絵図安芸国』(#763975) としてオンライン公開されている。

Fig.823 天保安芸国絵図 (国立公文書館 所蔵)
Fig.823 天保安芸国絵図 (国立公文書館 所蔵)

(2) 日本六十余州国々切絵図 安芸国

日本六十余州国々切絵図 (余州図) は、江戸期 (江戸時代) に全国規模で作成されたと考えられている国絵図の 2番目、寛永年間(1624~1644) に作成された寛永国絵図の略図・縮図と考えられている国絵図である。余州図は五畿七道 68国のすべてが秋田県公文書館に現存し、「日本六十余州国々切絵図」の通称も同館のものによる。『日本六十余州国々切絵図 安芸国』は文字どおりに安芸国の余州図であり、『日本六十余州国々切絵図 安芸国』として秋田県公文書館デジタルアーカイブでオンライン公開され、大きさは東西 142cm × 南北 101cm である。

ほかに『安芸国[山陽道図]』京都大学 貴重資料デジタルアーカイブで公開され、大きさは東西 160cm × 南北 117cm、『〔安芸国絵図〕』(#T1-97)岡山大学 絵図公開データベースシステム で公開され、大きさは東西 164.3cm × 南北 117.2cm である。

また広島県立歴史博物館には、『安芸図』が現存し、これも安芸国の『余州図』である。大きさは東西 138.00cm × 94.00cm、画像データとしては 1,600 × 1,075ピクセルで、jmapps.ne.jpドメインのほかのものと同様、文字はほとんど判読できない。拡大する機能を備えたビューアが提供されている※1

注釈

(3) 正保安芸国絵図 (広島県立歴史博物館所蔵)

広島県立歴史博物館には『安芸国絵図』が現存し、『正保安芸国絵図』と推定されている。

本図も画像データとしては 1,376 × 1,200ピクセルで、拡大する機能を備えたビューアが提供されている※1。かろうじて余白部分 (畾紙) にある目録の文字は判読できるので、まとめれば以下のようになる。ただし「?」とした部分はそれでも判読できないか (『※』)、折り目にあたるため文字を確認できないか (『□』) のどちらかである。

国郡高の一覧
本図郷帳※2
佐東郡16,505.214石※316,505.214石※4
佐西郡34,?98.070石※534,798.070石※6
豊田郡51,414.858石※751,414.858石※8
山県郡28,518.669石※928,518.669石※10
安北郡16,1?3.7?6石※1116,193.796石※12
賀茂郡49,?98.892石※1349,298.892石※14
安南郡2?,?56.685石※1525,356.685石※16
高田郡43,075.002石※1743,075.002石※18
総計 (国高)269,478.310石※19266,862.556石※20

『安芸国知行帳』は元和5年(1619)、福島正則に代わって浅野ながあきらが広島に入ったときの郷帳を享保4年(1719) に写したものである。上にまとめたように本図の各郡高はこの『安芸国知行帳』と整合する。また国郡高以外の文字は判読不可能だが、見る限り様式は正保国絵図の仕様に従っている。なお佐東郡・豊田郡は村のオブジェクト (小判形) が 2色で彩色され、これは中川忠英旧蔵でよくみられる形式である。

本図の大きさは東西 405cm × 南北 301cmで『天保安芸国絵図』と同等、また本図の郡構成は寛文4年(1664) の変更前のものであることからも『正保安芸国絵図』であると確認できる (変更前: 佐東・佐西・安北・安南、変更後: 沼田・佐伯・高宮・安芸)。

なお本図の郡高の合計 (計算値) は、判読できない部分を『安芸国知行帳』で補えば 265,161.186石であり、国高と一致しない (差分 4,317.124石)。記載されている国高 269,478.310石は、寛永11年(1634) 広島藩の一部を三次藩として立藩する際に申告した数値であり、その内訳では高田郡だけが異なっている (本図 43,075.002石、寛永11年(1634) 47,392.126石、差分 4,317.124石)。

(a) 寛永11年(1634) の申告値

寛永11年(1634) の申告値とは、寛永11年(1634) 8月4日付『徳川家光領知判物』(広島藩)※21および『徳川家光領知判物・拝知目録』(三次藩)※22に反映されている数値である。ただし前者 (広島藩) については史料の制約上、郡単位の内訳はわからない。一方で、寛文4年(1664) のいわゆる寛文印知では「任寛永十一年八月四日先判之旨」とあって、その寛永11年(1634) 8月4日付の数値がそのまま反映されていることがわかるので、間接的に広島藩の郡単位の内訳もさかのぼることができる。

寛文印知の国郡高をまとめれば以下のとおりである。

寛文印知の国郡高
広島藩※23三次藩※24合計
沼田郡※2516,505.214石※26n/a16,505.214石
佐伯郡※2734,645.495石※28152.575石※2934,798.070石
豊田郡49,674.943石※301,739.915石※3151,414.858 石
山県郡28,518.669石※32n/a28,518.669石
高宮郡※3316,193.796石※34n/a16,193.796石
賀茂郡49,298.892石※35n/a49,298.892石
安芸郡※3625,356.685石※37n/a25,356.685石
高田郡46,406.306石※38985.820石※3947,392.126石
総計 (計算値)266,600.000石2,878.310石269,478.310石

上にまとめたように、寛永11年(1634) 8月4日付『徳川家光領知判物』における高田郡は 47,392.126石である。なお三次藩分については、寛永11年(1634) 8月4日付『徳川家光領知判物・拝知目録』に目録があるため、上記の寛文印知の数値と一致することを確認できる。

高田郡の石高 (郡高) は天保郷帳でも 43,927.781石に過ぎないので、寛永11年(1634) の 47,392.126石は過大であり、差分にあらわれている 4,317.124石は何らかの調整値ということになる。『広島県史 近世資料編2』(1976) の解題によれば「寛永11年(1634) 新たに新開を加えて不足高を補い、三次支藩 5万石と合せて42万6,500石として幕府に提出した」(数値は安芸・備後の合計、漢数字は算用数字に直した) といい、これに関係しているとみられる。ただし、なぜ「不足高」を補わなければならなかったのかや、この数値が天保郷帳・国絵図作成までにどのように再調整されたのか (47,392.126石 → 43,927.781石) に関しては釈然としないところがある。

注釈

(4) 正保安芸国絵図 (中川忠英旧蔵)

国立公文書館所蔵、中川忠英旧蔵の国絵図群 (通称『日本分国図』) には安芸国のものが含まれ、現存する (#714418)。オンラインでは公開されていない。『福井bによれば、大きさは東西 396cm × 南北 313cm※1、国高は 269,478.310石 (高弐拾六万九千四百七拾八石参斗壱升) で、広島県立歴史博物館所蔵と一致する。

『福井bは『元禄安芸国絵図』とした上で「右の国高に続いて、田畑の内わけ、松平安芸守、浅野因幡守の領分石高、切畑や小物成の高を連記してある。このような記載例は珍しい」としているが、そもそもの仮定で誤っている。この記載も広島県立歴史博物館所蔵と整合し、『正保安芸国絵図』であれば疑問はまったくない。

注釈

(5) 正保安芸国絵図 (松平乗命旧蔵)

国立公文書館所蔵、松平乗命旧蔵の国絵図群 (通称『日本分国絵図』) にも安芸国のものが含まれ、現存する (#725071)。やはりオンラインでは公開されていない。

この松平乗命旧蔵の国絵図群には、松平乗命から明治政府へ渡る前後 (明治5~6年(1872~1873))に、京都府が一式を借用して忠実に模写したものも存在し、京都府立京都学・歴彩館に現存、館古044: 国絵図という一群で管理されている。その『安芸国絵図』もオンラインでは公開されていないが、本図の大きさは東西 384.5cm × 南北 293.4cm※1、また目録は国立公文書館デジタルアーカイブよりも充実し、郡高が記載されている。これをまとめれば以下のとおりである。

郡高の一覧
本図※2郷帳※3
佐東郡16,505.214石16,505.214石
佐西郡34,798.070石34,798.070石
豊田郡51,414.818石51,414.858石
山県郡28,518.669石28,518.669石
安北郡16,103.796石16,193.796石
加茂郡※449,398.892石49,298.892石
安南郡25,356.685石25,356.685石
高田郡43,075.002石43,075.002石

豊田・安北・加茂 (賀茂) の 3郡の差異は写し誤りとみられる。本図の様式については情報を得られないが、大きさからいっても『正保安芸国絵図』と考えて妥当だろう。

注釈

(6) 天保安芸国絵図

天保安芸国絵図』は、江戸期に全国規模で作成された国絵図の最後、天保年間(1830~1844) に作成された天保国絵図のうち安芸国のものである。冒頭で言及したとおり、『天保安芸国絵図』は国立公文書館に紅葉山文庫旧蔵が現存し、『天保国絵図安芸国』(#763975) としてオンライン公開されている。

紅葉山文庫※1は江戸城内にあった、将軍の利用を原則とする書庫 (図書館) であり、勘定所は勘定奉行を長とする役所である。したがって紅葉山文庫旧蔵は保存と限定的な参照を目的に納められたもの、勘定所旧蔵は実務に供されたものとなるが、紅葉山文庫旧蔵も必要に応じて借用・参照されたようである※2

『天保安芸国絵図』は大きさが東西 390cm × 南北 346cm で、目録の奥書部分には、全国一律に天保9年(1838) の日付 (『天保9年戊戌五月』) と明楽飛騨守・田口五郎左衛門・大沢主馬の名前が記されている。

注釈

(7) 一覧

安芸国絵図の一覧
種別解像度参照名称等
所蔵・公開
余州村名の文字を明瞭に判読可能な高解像度の画像がオンライン公開されている。参照日本六十余州国々切絵図 安芸国 (#15750)
秋田県公文書館 デジタルアーカイブ 公開
余州村名の文字を明瞭に判読可能な高解像度の画像がオンライン公開されている。参照〔安芸国絵図〕 (T1-97)
岡山大学 絵図公開データベースシステム 公開
余州村名の文字を明瞭に判読可能な高解像度の画像がオンライン公開されている。参照安芸国[山陽道図]
京都大学 貴重資料デジタルアーカイブ 公開
余州史料としての活用は限定される低解像度の画像がオンライン公開されている。参照安芸図
収蔵品データベース 公開 (広島県立歴史博物館所蔵)
正保史料としての活用は限定される低解像度の画像がオンライン公開されている。参照安芸国絵図
収蔵品データベース 公開 (広島県立歴史博物館 所蔵)
正保オンラインでは参照できない、またはそもそも一般に公開されていない。参照中川忠英旧蔵
国立公文書館 デジタルアーカイブ 公開
正保オンラインでは参照できない、またはそもそも一般に公開されていない。参照松平乗命旧蔵
国立公文書館 デジタルアーカイブ 公開
正保オンラインでは参照できない、またはそもそも一般に公開されていない。参照松平乗命旧蔵(写)
歴史資料アーカイブ 公開 (京都府立京都学・歴彩館 所蔵)
天保村名の文字を明瞭に判読可能な高解像度の画像がオンライン公開されている。参照紅葉山文庫所蔵 (#763975)
国立公文書館 デジタルアーカイブ 公開

(8) 更新履歴

内容

:

  • 日本六十余州国々切絵図の記事について、表題を『日本六十余州国々切絵図 安芸国』に変更し、説明を整理した。

:

  • 日本六十余州国々切絵図の記事を追加した。
  • 『正保安芸国絵図』 (広島県立歴史博物館所蔵) の記事について、わかりづらい表現を見直した。

:

  • 『正保安芸国絵図』 (広島県立歴史博物館所蔵) の記事を追加した。
  • 中川忠英旧蔵・松平乗命旧蔵を一覧に追加し、記事にまとめた。
  • 『天保安芸国絵図』の記事を追加した。

:

  • 導入文を追加し、概要を追補した。

:

  • 構成を再整理し、概要を追加した。誤字・脱字を適宜修正した。
  • 『天保安芸国絵図』について外観を示した。

:

  • 新規作成。