オンラインで参照できる安芸国絵図 (安芸国の国絵図) のリストと詳細情報を提供しているページです。
↓一覧へ移動安芸国 (芸州) は山陽道に属する国である。国立公文書館所蔵の『天保安芸国絵図』は紅葉山文庫旧蔵 (#763975) が現存・オンライン公開されている。

『日本六十余州国々切絵図 (余州図)』は、秋田県公文書館に 68国のすべてが現存し、秋田県公文書館デジタルアーカイブで公開されている。『日本六十余州国々切絵図』の通称も同館のものによる。『余州図』についての一般論は『6. 寛永国絵図・日本六十余州国々切絵図』を参照。
秋田県公文書館デジタルアーカイブでは『日本六十余州国々切絵図 安芸国』が公開され、東西 142cm × 南北 101cm、ほかに『安芸国[山陽道図]』 が京都大学貴重資料デジタルアーカイブで公開され、大きさは東西 160cm × 南北 117cm、『〔安芸国絵図〕』(#T1-97) が岡山大学 絵図公開データベースシステム で公開され、東西 164.3cm × 南北 117.2cm である。
また広島県立歴史博物館には、『安芸図』が現存し、これも安芸国の『余州図』である。大きさは東西 138.00cm × 94.00cm、画像データとしては 1,600 × 1,075ピクセルで、jmapps.ne.jpドメインのほかのものと同様、文字はほとんど判読できない。拡大する機能を備えたビューアが提供されている※1。
| ^ ※1: | 文字どおりに拡大することができる。 |
広島県立歴史博物館には『安芸国絵図』が現存し、『正保安芸国絵図』と推定されている。
本図も画像データとしては 1,376 × 1,200ピクセルで、拡大する機能を備えたビューアが提供されている※1。かろうじて余白部分 (畾紙) にある目録の文字は判読できるので、まとめれば以下のようになる。ただし「?」とした部分はそれでも判読できないか (『※』)、折り目にあたるため文字を確認できないか (『□』) のどちらかである。
| 郡 | 本図 | 郷帳※2 | ||
|---|---|---|---|---|
| 佐東郡 | 16,505.214石 | ※3 | 16,505.214石 | ※4 |
| 佐西郡 | 34,?98.070石 | ※5 | 34,798.070石 | ※6 |
| 豊田郡 | 51,414.858石 | ※7 | 51,414.858石 | ※8 |
| 山県郡 | 28,518.669石 | ※9 | 28,518.669石 | ※10 |
| 安北郡 | 16,1?3.7?6石 | ※11 | 16,193.796石 | ※12 |
| 賀茂郡 | 49,?98.892石 | ※13 | 49,298.892石 | ※14 |
| 安南郡 | 2?,?56.685石 | ※15 | 25,356.685石 | ※16 |
| 高田郡 | 43,075.002石 | ※17 | 43,075.002石 | ※18 |
| 総計 (国高) | 269,478.310石 | ※19 | 266,862.556石 | ※20 |
『安芸国知行帳』は元和5年(1619)、福島正則に代わって浅野長晟が広島に入ったときの郷帳を享保4年(1719) に写したものである。上にまとめたように本図の各郡高はこの『安芸国知行帳』と整合する。また国郡高以外の文字は判読不可能だが、見る限り様式は正保国絵図の仕様に従っている。なお佐東郡・豊田郡は村のオブジェクト (小判形) が 2色で彩色され、これは中川忠英旧蔵でよくみられる形式である。
本図の大きさは東西 405cm × 南北 301cmで『天保安芸国絵図』と同等、また本図の郡構成は寛文4年(1664) の変更前のものであることからも『正保安芸国絵図』であると確認できる (変更前: 佐東・佐西・安北・安南、変更後: 沼田・佐伯・高宮・安芸)。
なお本図の郡高の合計 (計算値) は、判読できない部分を『安芸国知行帳』で補えば 265,161.186石であり、国高と一致しない (差分 4,317.124石)。記載されている国高 269,478.310石は、寛永11年(1634) 広島藩の一部を三次藩として立藩する際に申告した数値であり、その内訳では高田郡だけが異なっている (本図 43,075.002石、寛永11年(1634) 47,392.126石、差分 4,317.124石)。
寛永11年(1634) の申告値とは、寛永11年(1634) 8月4日付『徳川家光領知判物』(広島藩)※21および『徳川家光領知判物・拝知目録』(三次藩)※22に反映されている数値である。ただし前者 (広島藩) については史料の制約上、郡単位の内訳はわからない。一方で、寛文4年(1664) のいわゆる寛文印知では「任寛永十一年八月四日先判之旨」とあって、その寛永11年(1634) 8月4日付の数値がそのまま反映されていることがわかるので、間接的に広島藩の郡単位の内訳もさかのぼることができる。
寛文印知の国郡高をまとめれば以下のとおりである。
| 郡 | 広島藩※23 | 三次藩※24 | 合計 | ||
|---|---|---|---|---|---|
| 沼田郡※25 | 16,505.214石 | ※26 | n/a | 16,505.214石 | |
| 佐伯郡※27 | 34,645.495石 | ※28 | 152.575石 | ※29 | 34,798.070石 |
| 豊田郡 | 49,674.943石 | ※30 | 1,739.915石 | ※31 | 51,414.858 石 |
| 山県郡 | 28,518.669石 | ※32 | n/a | 28,518.669石 | |
| 高宮郡※33 | 16,193.796石 | ※34 | n/a | 16,193.796石 | |
| 賀茂郡 | 49,298.892石 | ※35 | n/a | 49,298.892石 | |
| 安芸郡※36 | 25,356.685石 | ※37 | n/a | 25,356.685石 | |
| 高田郡 | 46,406.306石 | ※38 | 985.820石 | ※39 | 47,392.126石 |
| 総計 (計算値) | 266,600.000石 | 2,878.310石 | 269,478.310石 | ||
上にまとめたように、寛永11年(1634) 8月4日付『徳川家光領知判物』における高田郡は 47,392.126石である。なお三次藩分については、寛永11年(1634) 8月4日付『徳川家光領知判物・拝知目録』に目録があるため、上記の寛文印知の数値と一致することを確認できる。
高田郡の石高 (郡高) は天保郷帳でも 43,927.781石に過ぎないので、寛永11年(1634) の 47,392.126石は過大であり、差分にあらわれている 4,317.124石は何らかの調整値ということになる。『広島県史 近世資料編2』(1976) の解題によれば「寛永11年(1634) 新たに新開を加えて不足高を補い、三次支藩 5万石と合せて42万6,500石として幕府に提出した」(数値は安芸・備後の合計、漢数字は算用数字に直した) といい、これに関係しているとみられる。ただし、なぜ「不足高」を補わなければならなかったのかや、この数値が天保郷帳・国絵図作成までにどのように再調整されたのか (47,392.126石 → 43,927.781石) に関しては釈然としないところがある。
| ^ ※1: | 文字どおりに拡大することができる。 |
| ^ ※2: | 『安芸国知行帳』、『広島県史 近世資料編2』(1976) 所収、cc.89-96。なお表紙の記載は「安芸国御知行帳」、また県史における史料名は『備後国知行帳』(『備後国御知行帳』)と合わせて『安芸国・備後国知行帳』(cc.89-100)。 |
| ^ ※3: | 「高一万六千五百五石二斗一舛四合」。 |
| ^ ※4: | 「小以壱万六千五百五石弐斗壱升四合」。 |
| ^ ※5: | 「高三万四千※百九十八石七舛」。 |
| ^ ※6: | 「小以三万四千七百九拾八石七升」。 |
| ^ ※7: | 「高五万千四百十四石八斗五舛八合」。 |
| ^ ※8: | 「小以五万千四百拾四石八斗五升八合」。 |
| ^ ※9: | 「高二万八千五百十八石六斗六舛九合」。 |
| ^ ※10: | 「小以弐万八千五百拾八石六斗六升九合」。 |
| ^ ※11: | 「高一万六千百※十三石七斗※舛六合」。 |
| ^ ※12: | 「小以壱万六千百九拾三石七斗九升六合」。 |
| ^ ※13: | 「高四万九千□百十八石八斗九舛二合」。 |
| ^ ※14: | 「小以四万九千弐百九拾八石八斗九升弐合」。 |
| ^ ※15: | 「高二万※千□百五十六石六斗八舛五合」。 |
| ^ ※16: | 「小以弐万五千三百五拾六石六斗八升五合」。 |
| ^ ※17: | 「高四万三千七十五石二合」。 |
| ^ ※18: | 「小以四万三千七拾五石弐合」。 |
| ^ ※19: | 「高二十六万九千四百七十八石三斗一舛」。 |
| ^ ※20: | 「惣高合弐拾六万六千八百六拾弐石五斗五升六合」。 |
| ^ ※21: | 『広島県史 近世資料編2』(1976) 所収、c.83。 |
| ^ ※22: | 『広島県史 近世資料編2』(1976) 所収、c.85-87。 |
| ^ ※23: | 寛文4年(1664) 4月5日付『浅野光晟宛領知判物・目録』、『寛文朱印留 上』(1980) 所収、cc.33-34。 |
| ^ ※24: | 寛文4年(1664) 4月5日付『浅野長治宛領知朱印状・目録』、『寛文朱印留 上』(1980) 所収、cc.99-100。 |
| ^ ※25: | 『安芸国知行帳』では「佐東郡」。 |
| ^ ※26: | 「高壱万六千五百五石弐斗壱升四合」 |
| ^ ※27: | 『安芸国知行帳』では「佐西郡」。 |
| ^ ※28: | 「高三万四千六百四拾五石四斗九升五合」。 |
| ^ ※29: | 寛永11年(1634)「百石五斗五升」および「五拾弐石弐升五合」、寛文4年(1664)「高百五拾弐石五斗七升五合」。 |
| ^ ※30: | 「高四万九千六百七拾四石九斗四升三合」。 |
| ^ ※31: | 寛永11年(1634)「千七百拾九石五斗壱升五合」および「弐拾石四斗」、寛文4年(1664)「高千七百三拾九石九斗壱升五合」。 |
| ^ ※32: | 「高弐万八千五百拾八石六斗六升九合」。 |
| ^ ※33: | 『安芸国知行帳』では「安北郡」。 |
| ^ ※34: | 「高壱万六千百九拾三石七斗九升六合」。 |
| ^ ※35: | 「高四万九千弐百九拾八石八斗九升弐合」。 |
| ^ ※36: | 『安芸国知行帳』では「安南郡」。 |
| ^ ※37: | 「高弐万五千三百五拾六石六斗八升五合」。 |
| ^ ※38: | 「高四万六千四百六石三斗六合」。 |
| ^ ※39: | 寛永11年(1634)「九百八拾五石八斗弐升」、「高九百八拾五石八斗弐升」。 |
国立公文書館所蔵、中川忠英旧蔵の国絵図群 (通称『日本分国図』) には安芸国のものが含まれ、現存する (#714418)。オンラインでは公開されていない。『福井』によれば、大きさは東西 396cm × 南北 313cm※1、国高は 269,478.310石 (高弐拾六万九千四百七拾八石参斗壱升) で、広島県立歴史博物館所蔵と一致する。
『福井』は『元禄安芸国絵図』とした上で「右の国高に続いて、田畑の内わけ、松平安芸守、浅野因幡守の領分石高、切畑や小物成の高を連記してある。このような記載例は珍しい」としているが、そもそもの仮定で誤っている。この記載も広島県立歴史博物館所蔵と整合し、『正保安芸国絵図』であれば疑問はまったくない。
| ^ ※1: | 数値が東西・南北のどちらかは本稿で判断した。 |
国立公文書館所蔵、松平乗命旧蔵の国絵図群 (通称『日本分国絵図』) にも安芸国のものが含まれ、現存する (#725071)。やはりオンラインでは公開されていない。
この松平乗命旧蔵の国絵図群には、松平乗命から明治政府へ渡る前後 (明治5~6年(1872~1873))に、京都府が一式を借用して忠実に模写したものも存在し、京都府立京都学・歴彩館に現存、館古044: 国絵図という一群で管理されている。その『安芸国絵図』もオンラインでは公開されていないが、本図の大きさは東西 384.5cm × 南北 293.4cm※1、また目録は国立公文書館デジタルアーカイブよりも充実し、郡高が記載されている。これをまとめれば以下のとおりである。
| 郡 | 本図※2 | 郷帳※3 |
|---|---|---|
| 佐東郡 | 16,505.214石 | 16,505.214石 |
| 佐西郡 | 34,798.070石 | 34,798.070石 |
| 豊田郡 | 51,414.818石 | 51,414.858石 |
| 山県郡 | 28,518.669石 | 28,518.669石 |
| 安北郡 | 16,103.796石 | 16,193.796石 |
| 加茂郡※4 | 49,398.892石 | 49,298.892石 |
| 安南郡 | 25,356.685石 | 25,356.685石 |
| 高田郡 | 43,075.002石 | 43,075.002石 |
豊田・安北・加茂 (賀茂) の 3郡の差異は写し誤りとみられる。本図の様式については情報を得られないが、大きさからいっても『正保安芸国絵図』と考えて妥当だろう。
冒頭で言及のとおり、『天保安芸国絵図』は国立公文書館に紅葉山文庫旧蔵 (#763975) が現存・オンライン公開されている。
紅葉山文庫※1は江戸城内にあった書庫、勘定所は勘定奉行を長とする役所であり、したがって紅葉山文庫旧蔵は保存と限定的な参照目的のために納められたもの、勘定所旧蔵は実務に供されたものとなるが、紅葉山旧蔵も必要に応じて借用・参照されたようである※2。
『天保安芸国絵図』は東西 390cm × 南北 346cm、目録の奥書部分には、全国一律に天保9年(1838) の日付 (『天保9年戊戌五月』) と明楽飛騨守・田口五郎左衛門・大沢主馬の名前が記されている。天保国絵図一般については『9. 天保国絵図』を参照のこと。
| ^ ※1: | 「紅葉山文庫」はほかの各種用語と同様、近代以降の俗称・学術用語。近世は主に「御文庫」と呼ばれ、「官庫」とも呼ばれた。 |
| ^ ※2: | 『紅葉山文庫』(1980)。 |
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