オンラインで参照できる備後国絵図 (備後国の国絵図) のリストと詳細情報を提供しているページです。

↓一覧へ移動
(1) 概要

備後国は山陽道に属する国である。国立公文書館所蔵の『天保備後国絵図』は紅葉山文庫旧蔵・勘定所旧蔵の両方が現存し、紅葉山文庫旧蔵 (#763973) がオンライン公開されている。

Fig.865 天保備後国絵図 (国立公文書館所蔵)
(2) 正保備後国絵図 (広島県立歴史博物館所蔵)

広島県立歴史博物館には、『菅茶山関係資料』の一部として『備後国絵図』があり、『正保備後国絵図』と推定されている。

本図の大きさは東西 280cm × 南北 310cm※1で、景観から「1670年頃よりも古い情報を記した地図と見られる」とし、様式については一里塚の記載と縮尺だけを検討して『正保備後国絵図』と推定しており、頼りない印象が残る。解説にあるように「正保の備後国絵図は、広島藩が絵図元 (製作責任者) とされていて、福山藩領の図は水野氏の福山藩から情報を提供されたものと見られる」とあるように、下絵図とすれば理解できる。

本図は 600 × 656ピクセルの外観だけが公開され、詳細を検討することはできない。しかし郡の区別を村のオブジェクトではなく郡域の全体を彩色する方法は正保国絵図としては例外的であり、『正保備後国絵図』をもとに独自に作成されたものか、下絵図と考えられる。

注釈
^ ※1: 数値が東西・南北のどちらかは本稿で判断した。
(3) 正保備後国絵図 (中川忠英旧蔵)

国立公文書館所蔵、中川忠英旧蔵の国絵図群 (通称『日本分国図』) には備後国のものが含まれ、現存する (#714417)。オンラインでは公開されていない。『福井』によれば、大きさは東西 343cm × 南北 363cm※1、国高は 248,606.910石 (都合高弐拾四万八千六百六石九斗壱升) で、中川忠英旧蔵の正保国絵図における一般的な様式に従っているという。

本図の石高について直接対照可能な史料は見当たらない。『正保備後国絵図』の可能性は高いが、本図の性質を明らかにするためには景観を含めた検討が必要といえる。

注釈
^ ※1: 数値が東西・南北のどちらかは本稿で判断した。
(4) 正保備後国絵図 (松平乗命旧蔵)

国立公文書館所蔵、松平乗命旧蔵の国絵図群 (通称『日本分国絵図』) にも備後国のものが含まれ、現存する (#725141)。やはりオンラインでは公開されていない。

この松平乗命旧蔵の国絵図群には、松平乗命から明治政府へ渡る前後 (明治5~6年(1872~1873))に、京都府が一式を借用して忠実に模写したものも存在し、京都府立京都学・歴彩館に現存、館古044: 国絵図という一群で管理されている。その『備後国絵図』もオンラインでは公開されていないが、本図の大きさは東西 346.5cm × 南北 372.5cm※1である。

国立公文書館所蔵の原本は大きさについて情報を得られないが、基本的に京都府立京都学・歴彩館の写本はそのままの大きさで写しているので、同程度の大きさと考えることができる。『福井』によれば国郡高の記載はなく、「松平安芸守領分」「浅野因幡守領分」「水野美作守領分」と「三行に大書するのみである」といい、「水野美作守勝種が福山藩主であったのは寛文三年から元禄十年までであるから、本図は元禄図か。確定しがたい」と結論づけている。しかし福山藩主・水野氏で美作守を名乗った江戸前期の人物には、第2代の水野勝俊も存在し、ほかの支配者も正保国絵図が作成された期間と為政期間が重なる。

記載為政期間藩・代※2
松平安芸守浅野みつあきら寛永9年(1632)~寛文12年(1672)広島藩・第2代
浅野因幡守浅野長治寛永9年(1632)~延宝3年(1675)三次藩・初代
水野美作守水野勝俊寛永16年(1639)~承応4年(1655)福山藩・第2代

大きさからいっても『正保備後国絵図』と思われるが、より詳細には様式・景観の検討が必要である。

注釈
^ ※1: 数値が東西・南北のどちらかは本稿で判断した。
^ ※2: どれも当家における代。
(5) 天保備後国絵図

冒頭で言及のとおり、『天保備後国絵図』は国立公文書館に紅葉山文庫旧蔵・勘定所旧蔵の両方が現存し、紅葉山文庫旧蔵 (#763973) がオンライン公開されている。

紅葉山文庫※1は江戸城内にあった書庫、勘定所は勘定奉行を長とする役所であり、したがって紅葉山文庫旧蔵は保存と限定的な参照目的のために納められたもの、勘定所旧蔵は実務に供されたものとなるが、紅葉山旧蔵も必要に応じて借用・参照されたようである※2

『天保備後国絵図』は東西 409cm × 南北 388cm、目録の奥書部分には、全国一律に天保9年(1838) の日付 (『天保9年戊戌五月』) と明楽飛騨守・田口五郎左衛門・大沢主馬の名前が記されている。天保国絵図一般については『9. 天保国絵図』を参照のこと。

注釈
^ ※1: 「紅葉山文庫」はほかの各種用語と同様、近代以降の俗称・学術用語。近世は主に「御文庫」と呼ばれ、「官庫」とも呼ばれた。
^ ※2: 『紅葉山文庫』(1980)
(6) 一覧

『凡例』

種別参照可否確定名称等所蔵・公開備考
確定根拠
余州当該国絵図であることが確定した、村名の文字を明瞭に判読可能な高解像度の画像がオンライン公開されている。所蔵#15749秋田県公文書館 デジタルアーカイブ
余州当該国絵図であることが確定した、村名の文字を明瞭に判読可能な高解像度の画像がオンライン公開されている。筆者T1-96岡山大学 絵図公開 データベースシステム
余州当該国絵図であることが確定した、村名の文字を明瞭に判読可能な高解像度の画像がオンライン公開されている。筆者備後国[山陽道図]京都大学貴重資料 デジタルアーカイブ
余州備後国図収蔵品データベース (広島県立歴史博物館所蔵) 「泉水嶋」(現在の仙酔島) の脱落がないのは岡山大学・京都大学と共通するが、石高の記載がないのは秋田と共通する。一方で国境記載はどちらよりも詳細な印象がある。
正保当該国絵図であることは確定していない (推定等)、かつ外観が紹介されているだけ。所蔵備後国絵図広島県立歴史博物館参照
正保当該国絵図であることは確定していない (推定等)、かつ非公開でオンラインで参照もできない。筆者中川忠英旧蔵国立公文書館 デジタルアーカイブ参照
正保当該国絵図であることは確定していない (推定等)、かつ非公開でオンラインで参照もできない。筆者松平乗命旧蔵国立公文書館 デジタルアーカイブ参照
正保当該国絵図であることは確定していない (推定等)、かつ非公開でオンラインで参照もできない。筆者松平乗命旧蔵(写)歴史資料アーカイブ (京都府立京都学・歴彩館所蔵)参照
天保当該国絵図であることが確定した、村名の文字を明瞭に判読可能な高解像度の画像がオンライン公開されている。所蔵#763973国立公文書館 デジタルアーカイブ正 (紅葉山)参照
天保当該国絵図であることが確定しているが非公開、オンラインで参照できない。所蔵#763970国立公文書館 デジタルアーカイブ正 (勘定所)参照
不明当該国絵図であることは確定していないが (推定等)、村名の文字を明瞭に判読可能な高解像度の画像がオンライン公開されている。T1-130岡山大学 絵図公開 データベースシステム
不明当該国絵図であることは確定していないが (推定等)、村名の文字を明瞭に判読可能な高解像度の画像がオンライン公開されている。T1-131岡山大学 絵図公開 データベースシステム
不明当該国絵図であることは確定していないが (推定等)、村名の文字を明瞭に判読可能な高解像度の画像がオンライン公開されている。T1-132岡山大学 絵図公開 データベースシステム[下?]
(7) 更新履歴

2026.04.02:

2026.02.18:

2026.02.11:

2026.01.31:

2026.01.02: