ここでは、江戸期 (江戸時代) に全国規模で作成された国絵図のうち、周防国絵図について詳細をまとめています。一覧は末尾にあります。
(1) 概要
周防国は五畿七道のうち山陽道に属する国である。国立公文書館所蔵の『天保周防国絵図』は紅葉山文庫旧蔵・勘定所旧蔵の両方が現存し、後者 (勘定所旧蔵) が『天保国絵図周防国』(#763974) としてオンライン公開されている。

周防国絵図は基本的に長門国絵図とセットで、慶長・寛永・正保・元禄・天保が揃う国絵図のひとつである。しかし広島県立歴史博物館所蔵 (寛永) と山口県文書館所蔵 (正保・元禄) は、最低限の解像度で残念ながら検討には適さない。
(2) 慶長周防国絵図
『慶長周防国絵図』は、江戸期 (江戸時代) に全国規模で作成されたと考えられている国絵図の最初、慶長年間(1596~1615) に作成された慶長国絵図のうち周防国のものである。『慶長周防国絵図』は宇部市デジタルミュージアムで『慶長国絵図控図周防国』として現存・オンライン公開されている。大きさは長辺 315cm × 短辺 167cm、画像データとしては 13,516 × 7,064ピクセルで十分な解像度があり、また圧縮率をおさえて高品質なため、細部まで検討できる。

本図と『慶長長門国絵図』は、裏書の内容から慶長国絵図であることがはっきりしており (『川村b』)、解題 (慶長国絵図の世界) でも「慶長国絵図の中で正当な控図と確認できる唯―のもの
」とされている。
本図と『慶長長門国絵図』の様式をまとめれば以下のとおりである。
| 城下 | 周防国の高嶺城・岩国城、および長門国の萩城・串崎城が具体的に描写されている。大きさは控えめだが表現は細かい。 | |
| 村 | オブジェクトは真円に近い整った楕円、郡別の彩色。村名は基本的にその中に記載、接尾辞なし・漢字表記。村高はその外に記載される。例外として、島嶼部ではオブジェクトが小さく、村名もその外に記載される場合があり、オブジェクトも海岸を反映した形状になっているものもある。また村高のないものは、その後の標準的な記法では「○○村之内」と付記される、ほかの村に包含される村と考えられる。長門国 豊東郡の「府中」「山田」は豊田郡の石高が含まれる表現になっている。 | |
| 宿駅 | 区別はみられない。 | |
| 郡 | 見出し | 墨 (外側)・朱 (内側) の二重枠の短冊形で白に彩色されている。郡名・郡高・反別内訳 (田・畑)・物成を記載。 |
| 境界 (郡界) | 渋味のある赤紫 (梅紫) の太線。安芸との国界にも引かれている (周防・長門国界はさらに太い鈍色の線)。 | |
| 街道 | 朱線、一里塚・道程情報なし。本道・脇道の区別なし。 | |
| 航路 | なし。 | |
| 国界 (国境) | 国境 情報 | 周防・長門相互および海側に記載はない。周防国の北東部に「石見ノ内 吉賀」「安藝ノ内 淺原」「川限 安藝ノ内」、長門国の東部に「石見吉賀郡」の記載があるが、「川限 安藝ノ内」以外は単に隣国の地名を示しているだけ (隣国記載) と考えられる。なお国界にも引かれている郡界の鈍い赤紫 (梅紫) の線は甲島にも引かれ、「甲」の文字とともに北部「安藝ノ内」、南部「周防ノ内」の記載がある。 |
| 隣国 色別 | なし。 | |
| 方角記載 | なし。 | |
| 川幅情報 | なし。 | |
| 目録 | 目録と呼べるのかは難しいが、周防国の南西部に「周防六郡高辻」「并拾六万四千四百二十石二斗一舛二合」と「周防長門十四郡高辻」「合廿九万八千四百八十石二斗三合」の記載、長門国の南東部に「長門八郡高辻」「并拾三万四千五十九石九斗九升一合」の記載と郡界 (『郡境』)・道・川の凡例がある。 | |
| その他 | 山陵の一部に単純な形状・色彩ではあるものの多数の木々で森林が表現され、また白浜がよく目立ち、本図に独特の景観を与えている。長門国の関門海峡対岸の緑彩色部分に、郡の見出しと同じオブジェクトで「豊前門司」の表記がある。 | |
なお『慶長周防国絵図』は長門国と接する部分が切り取られ、『慶長長門国絵図』と重ねることができる。形状から明らかではあるが、□印で接合部も示されている。

(3) 寛永周防国絵図
『寛永周防国絵図』は、江戸期 (江戸時代) に全国規模で作成されたと考えられている国絵図の 2番目、寛永年間(1624~1644) に作成された寛永国絵図のうち周防国のものである。広島県立歴史博物館には『周防国絵図』が現存し、これが『寛永周防国絵図』と推定されている。解説には「島原の乱後の寛永15年(1638) に,幕府が西日本諸国に提出を求めた国絵図の特徴を持つ周防国図
」とある。
(4) 日本六十余州国々切絵図 周防国
日本六十余州国々切絵図 (余州図) は、江戸期 (江戸時代) に全国規模で作成されたと考えられている国絵図の 2番目、寛永年間(1624~1644) に作成された寛永国絵図の略図・縮図と考えられている国絵図である。余州図は五畿七道 68国のすべてが秋田県公文書館に現存し、「日本六十余州国々切絵図」の通称も同館のものによる。『日本六十余州国々切絵図 周防国』は文字どおりに周防国の余州図であり、『日本六十余州国々切絵図 周防国』(#15751)として秋田県公文書館デジタルアーカイブでオンライン公開され、大きさは東西 149cm × 南北 101cm である。
ほかに岡山大学 絵図公開データベースシステムで『〔周防国絵図〕』(T1-99)が公開され、大きさは東西 165.1cm × 南北 117.9cm、京都大学 貴重資料デジタルアーカイブ『周防国[山陽道図]』が公開され、大きさは東西 158cm × 南北 116cm である。
(5) 正保周防国絵図 (山口県文書館所蔵)
『正保周防国絵図』は、江戸期 (江戸時代) に全国規模で作成されたと考えられている国絵図の 3番目、正保年間(1644~1648) から慶安年間(1648~1652) にかけて作成された正保国絵図のうち周防国のものである。『正保周防国絵図』は山口県文書館に防長両国大絵図 (58絵図238-1) として現存し、オンライン公開されている。
『防長の古地図』1984) によれば、本図は萩藩に残された控図で、大きさは東西 553cm × 南北 330cm である※1。しかし山口県文書館で公開されている画像は『高画質画像ダウンロード』で提供されている画像ファイルでも 2,830 × 1,669ピクセルに過ぎず、残念ながら検討には適さない (フィルムをスキャンしたものと思われ、実質的な解像度はさらに低い)。絵図・地図には「高精細画像」として本図および対になる『防長両国大絵図』(58絵図238-2、正保長門国絵図) が紹介されている。『文書館館蔵品情報発信事業について』によれば※2、これは分割撮影の上、1枚に合成したもので、8分割のフィルム撮影であることから相応の限度はあるものの、文字の読み取りまで考慮されている。しかしその「高精細画像」ではビューアを起動する手段が見当たらない。
注釈
(6) 正保周防国絵図 (中川忠英旧蔵)
国立公文書館所蔵、中川忠英旧蔵の国絵図群 (通称『日本分国図』) には周防国のものが含まれ、現存・オンライン公開されている (#714237 )。オンラインでは公開されていない。
『福井b』によれば本図の大きさは東西 530cm × 南北 330cm で※1、余白部分 (畾紙) の目録に「高合弐拾弐万千七百八拾七石六斗 松平大膳大夫
」「右之内 壱万八千七百参拾七石四斗五升五合 毛利日向守
」と記載されている。このうち全体 (国高) の「弐万千」は「万弐千」の誤記であり、実際には 202,787.6石である。この国高は『正保周防・長門国絵図』で確認できる国高と一致し、また記載自体もおそらく『正保周防国絵図』(山口県文書館所蔵)と一致する。「様式や印記は山城国に同じ
」ともあることから、本図も『正保周防国絵図』と確認できる。
なお、解像度に限りがあって文字の判別は困難だが、『正保周防国絵図』には「松平大膳大夫」ではなく「松平長門守」と書かれているように見える。長門守は萩藩の初代・毛利綱広で為政期間は慶安4年(1651) 以前、大膳大夫は第2代の綱広で慶安4年(1651) 以後なので、本図 (中川忠英旧蔵) は明暦の大火後に再提出されたときに現状が反映されたものかもしれない。
注釈
(7) 元禄周防国絵図
『元禄周防国絵図』は、江戸期 (江戸時代) に全国規模で作成された国絵図の 4番目、元禄年間(1688~1704) に作成された元禄国絵図のうち周防国のものである。『元禄周防国絵図』は山口県文書館に周防長門大絵図 (58絵図246-1) として現存し、オンライン公開されている。
『防長の古地図』1984) によれば、本図は萩藩に残された控図で、大きさは東西 612cm × 南北 400cm である※1。しかし山口県文書館で公開されている画像は『高画質画像ダウンロード』で提供されている画像ファイルでも 2892 × 1635ピクセルに過ぎず、残念ながら検討には適さない (フィルムをスキャンしたものと思われ、実質的な解像度はさらに低い)。
なお、この画像ファイルは周辺はトリミングされ、余白部分 (畾紙) の目録も上端だけを確認できる。しかし本図の文書詳細画面に表示されるサムネイル (780 × 488ピクセル) はトリミングされていないが、余白部分 (畾紙) の目録はやはり上端だけに限られる。したがってこれはトリミングの影響ではなく、もともと現存しないようだ。
長門国と同様に、周防国の国郡高もいわゆる寛文印知 (寛文4年(1664) 4月5日付『毛利綱広宛領知判物・目録』※2) で調整された。『元禄周防・長門国絵図』にはその国郡高が記載されているので、本図も同様と思われる。 注釈
(8) 天保周防国絵図 (国立公文書館所蔵)
『天保周防国絵図』は、江戸期に全国規模で作成された国絵図の最後、天保年間(1830~1844) に作成された天保国絵図のうち周防国のものである。冒頭で言及したとおり、『天保周防国絵図』は国立公文書館に紅葉山文庫旧蔵・勘定所旧蔵の両方が現存し、後者 (勘定所旧蔵) が『天保国絵図周防国』(#763974) としてオンライン公開されている。
紅葉山文庫※1は江戸城内にあった、将軍の利用を原則とする書庫 (図書館) であり、勘定所は勘定奉行を長とする役所である。したがって紅葉山文庫旧蔵は保存と限定的な参照を目的に納められたもの、勘定所旧蔵は実務に供されたものとなるが、紅葉山文庫旧蔵も必要に応じて借用・参照されたようである※2。
『天保周防国絵図』は大きさが東西 619cm × 南北 409cm で、目録の奥書部分には、全国一律に天保9年(1838) の日付 (『天保9年戊戌五月』) と明楽飛騨守・田口五郎左衛門・大沢主馬の名前が記されている。
注釈
(9) 天保周防国絵図 (山口県文書館所蔵)
山口県文書館では『天保周防国絵図』として『御両国絵図』が現存・オンライン公開されている。年代に「天保8年[1837]」、内容に「周防国6巻」とあり、帯状に 6分割されている。
天保国絵図の作成は、幕府から提供された元禄国絵図の分割写本に薄紙 (懸紙) を重ね、修正内容を記載して提出する方式だった。本図はその分割写本に基づいて作成・提出した絵図の下絵図 (下図) か控図で、『防長の古地図』1984) によれば控図である。見る限り、修正を反映したものではなく、分割写本をさらに写したものに、修正が必要な部分ごとに貼紙を施したものである。つまり控図として別に作成した絵図ではなく、提出する直前の絵図を控図として残したものと考えられる。
(10) 一覧
(11) 更新履歴
内容
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- 『慶長長門国絵図』の記事に含めていた周防・長門に共通する内容を『慶長周防国絵図』の記事へ移動した。
- 長門国にまとめていた山口県文書館所蔵 各絵図についての記事のうち、「正保周防国絵図」「元禄周防国絵図」については周防国に移動した。
- 『寛永周防国絵図』・『日本六十余州国々切絵図 周防国』・中川忠英旧蔵の記事を追加した。
- 『天保周防国絵図』(山口県文書館所蔵) の記事について、内容を整理した。
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- 『天保長門国絵図』の記事を追加した。
:
- 導入文を追加し、概要を追補した。
- 『慶長周防国絵図』を独立した記事にまとめ、追補した。
- 山口県文書館所蔵の周防・長門 2国の諸絵図を一覧に追加した。
- 山口県文書館所蔵の『天保周防国絵図』を一覧に追加し、記事にまとめた。
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- 『天保周防国絵図』について外観を示した。
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- 構成を再整理し、概要を追加した。誤字・脱字を適宜修正した。
- 『慶長周防国絵図』について外観を示した。
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- 新規作成。