オンラインで参照できる志摩国絵図 (志摩国の国絵図) のリストと詳細情報を提供しているページです。
↓一覧へ移動志摩 (志州) は東海道に属する国である。国立公文書館所蔵の『天保志摩国絵図』は紅葉山文庫旧蔵・勘定所旧蔵の両方が現存し、紅葉山文庫旧蔵 (#764272) がオンライン公開されている。

古代の伊勢・志摩・紀伊 3国の国界については『23.4. 伊勢・志摩・紀伊天保国絵図』を参照のこと。
国立公文書館所蔵、松平乗命旧蔵の国絵図群 (通称『日本分国絵図』) には志摩国のものが含まれ、現存する (#725225)。オンラインでは公開されていない。
この松平乗命旧蔵の国絵図群には、松平乗命から明治政府へ渡る前後 (明治5~6年(1872~1873))に、京都府が一式を借用して忠実に模写したものも存在し、京都府立京都学・歴彩館に現存、館古044: 国絵図という一群で管理されている。その『志摩国絵図』もオンラインでは公開されていない。
大きさは前者が短辺 80cm × 長辺 126cm、後者が短辺 76.8cm × 長辺 117.0cmである。上記のとおり本図はオンラインでは公開されていないが、『三重県史 別編 絵図・地図』(1994) で参照できる。

本図は村高は記載されているものの、余白部分 (畾紙) に目録はなく、郡内にも郡高は記載されていないため、国郡高はわからない。厳密には村高を集計することで国郡高は得られるが、どちらにせよ、江戸前期の志摩国 (答志・英虞 2郡) の正確な石高は得られないため、それによって本図の成立時期を推定することは困難といえる。
一方、様式に視点を移せば、本図で何よりも目に留まるのは、異様に感じられるほど拡大し、また具体的に描かれた鳥羽城とその城下であり、この描写は周囲の縮尺を完全に無視している。もっとも国全体の形状もかなり不正確で歪んでいるためか、この拡大描写も問題に感じられるかといえばそうでもない。このほか本図の様式についてまとめると以下のようになる。
| 城下 | 周囲の縮尺は完全に無視され、巨大かつ詳細に描かれている。 | |
| 古城 | 見当たらない。 | |
| 村 | オブジェクトは小判形、おそらく地色で、少なくとも郡別の彩色にはなっていない。村名はその中に記載、接尾辞なし・漢字表記、村高も中に併記されている (収まらずにはみだしているものが多いが、写しによるものと思われる)。 | |
| 宿駅 | 区別されない、または存在しない。 | |
| 郡 | 見出し | 短冊形・通常枠・赤で彩色、郡名だけ記載。 |
| 境界 (郡界) | 墨線。 | |
| 街道 | 朱線、一里塚なし、本道・脇道で線幅に違いはない。道程記載は、「山田庄 鳥羽ゟ三里余」を国境記載とすれば存在しない。もっとも『天保志摩国絵図』でもこれは同じで、当地の地形を反映してか陸路は重視されていない。 | |
| 航路 | あり。 | |
| 国界 (国境) | 国境 記載 | 山側は南部に「勢州ノ内」として伊勢国の五ケ所湾とその沿岸の「木谷」「泉」「五ケ所」の各村が記載されている。また道程記載に相当する位置ではあるものの「山田庄 鳥羽ゟ三里余」がある。海側は尾張・三河方面ばかりでなく、大阪 (上方)・江戸方面を意識した記載もあって充実、志摩国の性質をあらわしている。 |
| 隣国 色分け | n/a※1 | |
| 方角記載 | あり。 | |
| 川幅記載 | ないと思われる。 | |
| 目録 | なし。 | |
| その他 | 安乗崎と神島に灯明台と思われる構造物がある。三河国の渥美半島先端・伊良湖岬まで描かれ、伊良湖村 (伊良古村) まで含まれる。 | |
上にまとめたように、本図は正保国絵図と考えると、その仕様を満たしていない項目が多い。一方で、この言葉のとおりに「満たしていない」という印象であり、特に前述の城と城下の描写からいえば、本図は『寛永志摩国絵図』である可能性が高い。村のオブジェクトは小判形で村高の記載も中にあり、また航路の記載およびその国境記載によれば、本図の延長に『正保志摩国絵図』を想像することができる。ただし本図には成立時期を特定可能な情報はなく、推定以上のことはいえない。
| ^ ※1: | 色分けされる山側は伊勢国としか接していない。 |
ライデン大学図書館 (Universitaire Bibliotheken Leidens)では『志摩国絵図 (Shima no kuni ezu)』が現存・オンライン公開されている。

大きさは短辺 127cm × 長辺 291cmで※1、本図は見てわかるとおり、松平乗命旧蔵と明らかに同系統の志摩国絵図であり、記載内容もほとんど一致する。本図は乱雑な印象が強く、村のオブジェクトは不定形の楕円で村高は外に付記されている。このため一部は道程記載のようにも見え、まぎらわしい。もっとも、この村高の記載のように漏れなく写そうと努められており、また松平乗命旧蔵がオンライン公開されていないことからいえば、『寛永志摩国絵図』と推定される国絵図の貴重な写本のひとつであることには変わらない。
本図では、郡界 (墨線) がない一方、村のオブジェクトは答志郡 (北部)・英虞郡 (南部) とで赤系統・黄系統に塗り分けられ、区別されている。しかし退色のためか、特に前者はほぼ地色で識別できないものが多い。ただ、どちらも郡界で相対する国府村・甲加村 (甲賀村) や坂崎村・鵜方村は識別しやすい。また松平乗命旧蔵で「英虞郡ノ内」と付記される渡鹿野村も、本図では英虞郡の黄系統で彩色され、正確である。
渡鹿野村は的矢湾内の同名島にある村で、答志郡である湾岸各村に取り囲まれている。通常の領域認識では完全に答志郡内だが、海上での連続性でいえば英虞郡の一部といってもおかしくなく、江戸前期は当地特有の領域認識が優先されたとみられる。寛文4年(1664) のいわゆる寛文印知※2では、内訳の明記はないが塔志郡 (答志郡) 36村・英虞郡 20村で本図と同じ※3、これに対して天保郷帳では答志郡 37村・英虞郡 19村であり、渡鹿野村は答志郡に含まれる。
| ^ ※1: | 『小野寺』による。 |
| ^ ※2: | 寛文4年(1664) 4月5日付『内藤忠政宛領知朱印状・目録』、『寛文朱印留 上』(1980) 所収、c.118。 |
| ^ ※3: | 答志郡のうち、石高 (村高) が設定されておらず、郷帳や宛行状では数えない生浦湾東の「浦村」「答志ノ内ワク」「山原」を除く。本図では生浦湾東西に浦村が 2つあり、うち村高が設定されているのは西の「浦村」、これに対して天保国絵図では東の「浦村」に村高が設定され、西には「浦村之内」と付記された「今村」がある。現在も西の浦村町今浦に対して東の同本浦に中心集落がある。「答志ノ内ワク」は「答志村之内」と付記された「和具村」で変わらず、「山原」は隣接する近世 伊勢国 度会郡 山原村を誤って含めたか、「勢州ノ内」の付記漏れ、または飛地と考えられ、『天保志摩国絵図』には含まれない。 |
『日本六十余州国々切絵図 (余州図)』は、秋田県公文書館に 68国のすべてが現存し、秋田県公文書館デジタルアーカイブで公開されている。『日本六十余州国々切絵図』の通称も同館のものによる。『余州図』についての一般論は『6. 寛永国絵図・日本六十余州国々切絵図』を参照。
秋田県公文書館デジタルアーカイブでは『日本六十余州国々切絵図 志摩国』が公開され、東西 141cm × 南北 95cm、ほかに『志摩国[東海道図]』 が京都大学貴重資料デジタルアーカイブで公開され、大きさは東西 152cm × 南北 120cm、『〔志摩国絵図〕』(T1-52) が岡山大学 絵図公開データベースシステム で公開され、東西 159.4cm × 南北 116.1cm である。
冒頭で言及のとおり、『天保志摩国絵図』は国立公文書館に紅葉山文庫旧蔵・勘定所旧蔵の両方が現存し、紅葉山文庫旧蔵 (#764272) がオンライン公開されている。
紅葉山文庫※1は江戸城内にあった書庫、勘定所は勘定奉行を長とする役所であり、したがって紅葉山文庫旧蔵は保存と限定的な参照目的のために納められたもの、勘定所旧蔵は実務に供されたものとなるが、紅葉山旧蔵も必要に応じて借用・参照されたようである※2。
『天保志摩国絵図』は東西 164cm × 南北 234cm、目録の奥書部分には、全国一律に天保9年(1838) の日付 (『天保9年戊戌五月』) と明楽飛騨守・田口五郎左衛門・大沢主馬の名前が記されている。天保国絵図一般については『9. 天保国絵図』を参照のこと。
| ^ ※1: | 「紅葉山文庫」はほかの各種用語と同様、近代以降の俗称・学術用語。近世は主に「御文庫」と呼ばれ、「官庫」とも呼ばれた。 |
| ^ ※2: | 『紅葉山文庫』(1980)。 |
→ 『凡例』
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