オンラインで参照できる陸奥国仙台領絵図 (陸奥国のうち仙台領※1の絵図) のリストと詳細情報を提供しているページです。
↓一覧へ移動| ^ ※1: | 国絵図における分割単位であるため、かならずしも藩領と一致するわけではない。 |
本図の範囲は陸奥国 宇多郡 (北部)、および亘理郡・刈田郡・伊具郡・柴田郡・名取郡・宮城郡・黒川郡・賀美郡・玉造郡・志田郡・遠田郡・栗原郡・登米郡・牡鹿郡・桃生郡・本吉郡・気仙郡・磐井郡・胆沢郡・江刺郡の 20郡である。陸奥国の郡の変遷と近代の分置については『陸奥国と出羽国』を参照のこと。
国立公文書館所蔵の『天保陸奥国仙台領絵図』は勘定所旧蔵 (#763925) が現存・オンライン公開されている。

陸奥国 仙台領の国絵図は、現存状況がきわめて良好で、作成に関係する資料のほか、境界確認図など副次的に準備された絵図も含めてふんだんに残されている。これには宮城県図書館によるところが大きく、また高解像度でオンライン公開している点も高く評価されるべきである。
非常に残念なのは仙台市博物館の『正保陸奥国仙台領絵図』(『奥州仙台領国絵図』) の解像度・画質が不十分なところで、これが宮城県図書館と同様の解像度であれば、正保・元禄・天保で系統的な検討が可能となるので惜しまれる。
国立公文書館所蔵、中川忠英旧蔵の国絵図群 (通称『日本分国図』) には陸奥国 仙台領のものが分割された形式で含まれ、うち3枚 (#714349 #714178
#714316) が現存・オンライン公開されている。

ただし陸奥国については、近代初期の分置に基づいて組み替えられているため、本来の組み合わせがわかりづらい。これについては『中川忠英旧蔵の本来の組み合わせ』を参照。
本図の余白部分 (畾紙) に目録があり、貫高で国郡高が示されている。これを『正保陸奥国仙台領郷帳』※1の郡高と比較すれば以下のようになる。
| 郡 | 本図 | 正保陸奥国 磐城 | ||
|---|---|---|---|---|
| 江刺郡 | 2,902.879貫 | ※2 | 2,902.879貫 | ※3 |
| 伊沢郡 | 5,187.366貫 | ※4 | 5,187.366貫 | ※5 |
| 磐井郡 | 6,466.650貫 | ※6 | 6,466.650貫 | ※7 |
| 気仙郡 | 1,406.415貫 | ※8 | 1,406.415貫 | ※9 |
| 元良郡 | 本吉郡1,654.149貫 | ※10 | 1,654.149石 | ※11 |
| 桃生郡 | 2,152.948貫 | ※12 | 2,152.948貫 | ※13 |
| 小鹿郡 | 590.930貫 | ※14 | 590.930貫 | ※15 |
| 登米郡 | 1,991.883貫 | ※16 | 1,991.883貫 | ※17 |
| 栗田郡※18 | 8,869.186貫 | ※19 | 8,869.186貫 | ※20 |
| 遠田郡 | 3,384.018貫 | ※21 | 3,384.018貫 | ※22 |
| 志田郡 | 3,189.451貫 | ※23 | 3,189.451貫 | ※24 |
| 玉造郡 | 1,932.142貫 | ※25 | 1,932.142貫 | ※26 |
| 加美郡 | 2,701.440貫 | ※27 | 2,701.440貫 | ※28 |
| 黒川郡 | 3,413.523貫 | ※29 | 3,413.523貫 | ※30 |
| 宮城郡 | 5186.948貫 | ※31 | 5186.948貫 | ※32 |
| 名取郡 | 4,852.952貫 | ※33 | 4,852.952貫 | ※34 |
| 曰理郡 | 1,729.873貫 | ※35 | 1,729.873貫 | ※36 |
| 宇多郡 | 558.201貫 | ※37 | 558.201貫 | ※38 |
| 伊具郡 | 2,892.785貫 | ※39 | 2,892.785貫 | ※40 |
| 柴田郡 | 2,167.900貫 | ※41 | 2,167.900貫 | ※42 |
| 刈田郡 | 2,179.449貫 | ※43 | 2,179.449貫 | ※44 |
| 総計 | 65,411.088貫 | ※45 | 65,411.088貫 | ※46 |
上記のとおり、本図の国郡高はすべて『正保陸奥国仙台領郷帳』と一致し、郡名の表記も変わらない (本吉郡・亘理郡が「元良郡」「曰理郡」であるなど)。様式は正保国絵図の標準で、中川忠英旧蔵に含まれるほかの正保国絵図と共通である。村をあらわすオブジェクトには村名だけが記載され、村高は省略されている。全域が仙台藩領であるため、支配関係の「いろは」記号は付されていない。
| ^ ※1: | 『宮城県図書館資料 7 仙台藩の正保・元禄・天保郷帳』(1987) 所収、cc.4-49。 |
| ^ ※2: | 「貳千九百貳貫八百七拾九文」。 |
| ^ ※3: | 「高合 二千九百二貫八百七十九文」。 |
| ^ ※4: | 「五千百八拾七貫三百六拾六文」。 |
| ^ ※5: | 「高合 五千百八十七貫三百六十六文」。 |
| ^ ※6: | 「六千四百六拾六貫六百五拾文」。 |
| ^ ※7: | 「高合 六千四百六十六貫六百五十文」。 |
| ^ ※8: | 「千四百六貫四百拾五文」。 |
| ^ ※9: | 「高合 千四百六貫四百十五文」。 |
| ^ ※10: | 「千六百五拾四貫百四拾九文」。 |
| ^ ※11: | 「高合 千六百五十四貫百四十九文」。 |
| ^ ※12: | 「貳千百五拾貳貫九百四拾八文」。 |
| ^ ※13: | 「高合 二千百五十二貢九百四十八文」。 |
| ^ ※14: | 「五百九拾貫九百三拾文」。 |
| ^ ※15: | 「高合 五百九十貫九百三十文」。 |
| ^ ※16: | 「千九百九拾壱貫八百八拾三文」。 |
| ^ ※17: | 「高合 千九百九十一貫八百八十三文」。 |
| ^ ※18: | 「栗原郡」の誤り。『正保陸奥国仙台領郷帳』では「栗原郡」。 |
| ^ ※19: | 「八千八百六拾九貫百八拾六文」。 |
| ^ ※20: | 「高合 八千八百六十九貫百八十六文」。 |
| ^ ※21: | 「三千三百八拾四貫拾八文」。 |
| ^ ※22: | 「高合 三千三百八十四貫十八文」。 |
| ^ ※23: | 「三千百八拾九貫四百五拾壱文」。 |
| ^ ※24: | 「高合 三千百八十九貫四百五十一文」。 |
| ^ ※25: | 「千九百三拾貳貫百四拾貳文」。 |
| ^ ※26: | 「高合 高合 千九百三十二貫百四十二文」。 |
| ^ ※27: | 「貳千七百壱貫四百四拾文」。 |
| ^ ※28: | 「高合 二千七百一貫四百四十文」。 |
| ^ ※29: | 「三千四百拾三貫五百貳拾三文」。 |
| ^ ※30: | 「三千四百十三貫五百二十三文」。 |
| ^ ※31: | 「五千百八拾六貫九百四拾八文」。 |
| ^ ※32: | 「五千百八十六貫九百四十八文」。 |
| ^ ※33: | 「四千八百五拾貳貫九百五拾貳文」。 |
| ^ ※34: | 「高合 四千八百五十二貫九百五十二文」。 |
| ^ ※35: | 「千七百貳拾九貫八百七拾三文」。 |
| ^ ※36: | 「高合 千七百二十九貢八百七十三文」。 |
| ^ ※37: | 「五百五拾八貫貳百壱文」。 |
| ^ ※38: | 「高合 五百五十八貫二百一文」。 |
| ^ ※39: | 「貳千八百九拾貳貫七百八拾五文」。 |
| ^ ※40: | 「高合 二千八百九十二貫七百八十五文」。 |
| ^ ※41: | 「貳千百六拾七貫九百文」。 |
| ^ ※42: | 「高合 二千百六十七貫九百文」。 |
| ^ ※43: | 「貳千百七拾九貫四百四拾九文」。 |
| ^ ※44: | 「高合 二千百七十九貫四百四十九文」。 |
| ^ ※45: | 「都合髙六萬五千四百拾壱貫八拾八文」。 |
| ^ ※46: | 3分冊合計 (『三冊都合』) として「六万五千四百十一貫八十八文」。 |
仙台市博物館にも『正保陸奥国仙台領絵図』が現存し、『奥州仙台領国絵図』) として収蔵資料データベースでオンライン公開されている。
同データベースは、jmapps.ne.jpドメインで公開されている、他機関のデジタルアーカイブ等と同様の仕様であり、本図の画像データは 1,075 × 1,600ピクセルで、拡大する機能を備えたビューアが提供されている※1。当然ながら文字の判読は不可能であり、また色の調整も適切とはいえない。
一方で本図は『復刻 仙台領国絵図』(2000)および『仙台市史 資料編2 近世1 藩政』(1996)に収録され、詳細に内容を確認することができる。これらによれば、本図は前項中川忠英旧蔵と同一の国絵図であり、余白部分 (畾紙) に存在する目録に貫高で記載された国郡高も一致する。
大きさは東西 517cm × 南北 837cm、『元禄陸奥国仙台領絵図』の作成に当たって幕府から貸与を受け、描き写されたものと推定されている。かなり忠実に模写されたとみられ、緻密さは正本と変わらないものと想像される。
| ^ ※1: | 文字どおりに拡大することができる。 |
宮城県図書館には『元禄陸奥国仙台領絵図』が現存し、〔仙臺領國繪圖〕(#57673)として叡知の杜Webで公開されている。

本図は国許に残された控図で、元禄14年(1701) に再提出した際に作成された。大きさは東西 516cm × 841cm※1、余白部分 (畾紙) にある目録の奥書に相当する部分には元禄12年(1699) 8月の日付 (『元禄十二巳卯年八月』) と松平陸奥守の名前が記されている。また国高は石高で 600,000石 (『髙都合六拾万石』) と記載されている。
本図は背景となる自然描写も含めて緻密に描かれ、正本同等に作成されている。保存状態もよく、取り扱いの誤りによって生じる破損も見受けられないが、全体的に折り目付近の摩耗が強く、村のオブジェクトに施された郡ごとの彩色は、剥離によって判読できなくなったものが多い。またこれは顔料の性質に依存すると思われ、郡によっては一部を残してほとんどの村の文字が失われている。画像データとしては 9,735 × 15,854ピクセルあり、これはほかの多くの国絵図では十分な大きさといえ、広大な陸奥国 仙台領でも村名まで読み取れる。しかし国境記載などもっとも小さな文字となると判読が難しい。圧縮率は抑えられ高品質である。
宮城県図書館には、これとは別の『元禄陸奥国仙台領絵図』も現存し、〔仙臺領國繪圖〕(#61089)、同 (#61090)、および同 (#61091)として叡知の杜Webで公開されている。
これらは、目録に記載されているとおりの元禄12年(1699) にいったん完成し、幕府に提出された 2枚とその控図 1枚である。裏書 (解説では『表書き』) によれば清書は「一様に」行ったとあって、どれも緻密で美しく、提出されたものと控図の区別はできない。
興味深いのは背景となる自然描写が三者三様であることで、特定の山岳や特異な地形ではない、一般の山陵や樹林帯には清書を担当した絵師たちの個性や使用する顔料の違いがあらわれているようである。

大きさはすべて 東西 535cm × 南北 888cmと目録に記載されている。3枚の位置づけから同じ大きさで作成されているのは確かだが、100枚以上の和紙をつなぎ合わせたものである以上、やや疑問ではある。画像データとしては順に 18,558 × 30,000ピクセル、19984 × 31967ピクセル、および 18679 × 30,000ピクセルの高解像度・高品質で、文字は筆致まで確認できる。
本図と再提出控図 (#57673) を比較すると、目立つのは再提出図における国境記載の増加であり、本図の国境記載は街道が通過する峠に限られるのに対し、再提出控図ではその間の尾根筋で名称が与えられた山々のすべてに記載が追加されている。また隣国記載に注目すると、本図では「奥州之内 岩城領 (奥州之内岩城領)」「奥州之内 白川・福島・二本松・三春領 (奥州之内白川福嶋二本松三春領)」とあるものが、再提出控図では「奥州之内 磐城・棚倉・相馬領 (奥州之内岩城棚倉相馬領)」「奥州之内 福島領 (奥州之内福嶋領)」に見直されている。ただし「奥州之内」の略記は見逃され、これは『天保陸奥国仙台領絵図』でようやく「陸奥国 磐城・棚倉・相馬領 (陸奥國岩城棚倉相馬領)」「陸奥国 福島領 (陸奥國福嶋領)」に改められた (出羽国各領の『羽州之内』も同じ)。
また出羽国 新庄領との国界は、本図では南北にほぼ直線状に描かれているが、再提出控図ではV字に切り込まれ、陸奥国 仙台領のほうへ後退している。このほか隣国色分けのうち出羽国 山形領のものは、茶系統から再提出控図では濃い灰色に変更されている。
| ^ ※1: | 数値が東西・南北のどちらかは本稿で判断した。 |
仙台市博物館にも 2種類の『元禄陸奥国仙台領絵図』が現存し、ひとつは『陸奥国仙台領国絵図』 (#2151) として収蔵資料データベースでオンライン公開されている。

本図は、解説によれば宮城県図書館所蔵の〔仙臺領國繪圖〕(#57673)と同じ控図で、大きさは東西 529.7cm × 南北 847.8cm、本図のほうが状態が良好に見える。画像データとしては jmapps.ne.jpドメインには珍しく 6,138 × 10,000 ピクセルと大きい。とはいえ、なお不十分であって類推すれば村名の文字が判読できる程度である。また圧縮率は高く、JPEG特有の歪みで本来の繊細な描写は損なわれている。
もうひとつは『陸奥国仙台領国絵図』 (#2152) として、同様に収蔵資料データベースでオンライン公開されている。

本図は、解説によれば元禄14年(1701) に再提出した際に返却された「元禄12年に幕府に献上した絵図2鋪」のうちのひとつであるという。しかしその「2鋪」は、宮城県図書館に現存する〔仙臺領國繪圖〕(#61089)、同 (#61090)、および同 (#61091)のうちの 2枚であるはずで、矛盾する。
また本図の国境記載は〔仙臺領國繪圖〕(#57673) (再提出控図) と同じで、すでに追記が完了している。これについて解説は「元禄14年提出絵図で修正した記載を返却後に加筆したとみられる」とするものの、隣国記載もすべて再提出控図と変わらず、胡粉や付箋 (懸紙) で修正されたような形跡も見当たらない。さらに出羽国 新庄領との国界も再提出控図と同じであり、これは単純な修正では改めることはできない。出羽国 山形領の隣国色分けも同様である。
したがって本図は返却されたものに加筆したようなものではなく、あくまでも再提出のために作成されたもののひとつであるといえる。史料は現在 9分割され、それぞれ裏打ちされた状態で、解説によれば 1分割あたり東西 183.0cm × 南北 291.0cmとあるので、もとはおおむね東西 549cm × 南北 873cmだったとみられる。画像データとしては #2151と同様に 6,600前後 × 10,000ピクセルと大きく、これに 9分割されていることが幸いして文字の判読に十分な解像度となっている。しかし圧縮率は高く、やはり本来の繊細な描写は損なわれている。本図もまた正本相当のもの (控図か、やむなく提出が見送られた準正本) と推定されるものの、このためさらに詳細な検討を行うことはできない。
冒頭で言及のとおり、『天保陸奥国仙台領絵図』は国立公文書館に勘定所旧蔵 (#763925) が現存・オンライン公開されている。
紅葉山文庫※1は江戸城内にあった書庫、勘定所は勘定奉行を長とする役所であり、したがって紅葉山文庫旧蔵は保存と限定的な参照目的のために納められたもの、勘定所旧蔵は実務に供されたものとなるが、紅葉山旧蔵も必要に応じて借用・参照されたようである※2。
『天保陸奥国仙台領絵図』は東西 523cm × 南北 748cm、目録の奥書部分には、全国一律に天保9年(1838) の日付 (『天保9年戊戌五月』) と明楽飛騨守・田口五郎左衛門・大沢主馬の名前が記されている。天保国絵図一般については『9. 天保国絵図』を参照のこと。
| ^ ※1: | 「紅葉山文庫」はほかの各種用語と同様、近代以降の俗称・学術用語。近世は主に「御文庫」と呼ばれ、「官庫」とも呼ばれた。 |
| ^ ※2: | 『紅葉山文庫』(1980)。 |
→ 『凡例』
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